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パブロドグマ  作者: ほたて
少年少女
19/46

21時05分

「仙波——!」


 走る。

 少年の手を引いて、守るべき女性の前を、ただ走る。

 早鐘の様にけたたましく暴れる心の臓を押さえ込む様に、胸元をもう一方の手で握りしめながら、決して立ち止まる事なく。


「仙波——————!」


 聞きたくないと思った。

 自分の後ろを走る少年が、次にどんな言葉を口にするかは、想像に難くなかった。だから、そんな言葉は——お願いだから今は口にしないで欲しいと、強く思っていた。


「待てって、仙波‼︎」


 それでも、その時は訪れてしまう。

 振り解く様に、普段の彼からは想像出来ない乱雑さを以て解かれた、手。繋がれていた間中伝わってきていた温もりが、離れる。


 じん、と痺れる掌を一瞬だけ見つめてから、視線を彼の顔へと向ける。そこに浮かんでいたのは——悲壮も、悲哀も……或いは怒りですら混じらない、確かな焦燥の表情だった。——私の、好きではない顔だった。


「こんだけ離れりゃ文句ねーだろ!二人はここいらで息ぃ潜めておいてくれ!俺は戻るぜ」


 ——————


 あぁ、やっぱり。

 貴方はきっと、そう言うと思った。


「……戻って、どうするの?」

「決まってんだろ、デケムの助太刀だ。野郎が何者かは皆目検討も付きゃしねーけど、【アレ】は絶対にやべー。アイツ一人に押し付けて、芋引いてられるかよ」

「……それで、もしどうにも出来なかったらどうするの?」

「——ぁあ?」

「【アレ】の力が私たちの思い描いているよりも遥かに強大で、女王も花蕗君……二人がかりで手も足も出なかったら、その時はどうするつもりなの?」

「——随分侮ってくれるじゃねーか。心配すんなよ、どう転んでもデケムは必ず無事に帰す。その為なら——」


「——また、自分の首でもあげるの?」


 ぴり、と。

 空気が強張るのを感じる。

 静の声色が、一段階低く沈む。


「……随分棘のある物言いするじゃねーかよ、仙波。こんな土壇場で身内揉めなんざしたくねーんだけど、そこら辺はどう考えてんだよ」


 だが、もう止まらない。

 堰を切った感情は濁流となり、仙波星翠の理性を飲み込む。言葉が、溢れる。


「誤魔化さないで答えてよ。どうするつもりなのか教えてよ、ねぇ」


 ようやく、普段とは明らかに違う星翠の気配に気付いた静が、思わず唇を噛む。それでも、自らの矜持と信念に裏打ちされた、歪な覚悟は揺るがない。


「——俺がどーこーなんざ、どーだって良いだろ。それよりも、今はとにかくデケムを——」


「……どうでもいいって、なに?」

「……は?」

 

「——どうでもいいって、なんだよ‼︎‼︎‼︎」


 ——————


 夜の静けさの中に、痛切な絶叫がこだました。

 そのあまりの迫力に、後ろを走っていた馨も……そして、静でさえ気圧されていた。


「私の友達の憧れの人で!私の恩人で、憧れで!大切な友達の生き死にが、なんでどうでもいいんだよ‼︎‼︎私の大事な友達なのに、その本人が自分自身を、どうしそんな簡単に投げ捨てちゃうんだよ‼︎‼︎私の友達を、私から取り上げないでよ‼︎‼︎」

「——仙、波……?」


 仙波星翠が顔を上げる。

 怒りと腹立たしさでぐしゃぐしゃな顔。その双眸からは、大粒の涙がボロボロと溢れていた。

 その顔のまま、星翠が静の胸倉を掴み上げる。


「ねぇ、私が弱いのがダメ?敵にすぐ捕まる様な間抜けで、折角持ってる力も碌に使いこなせないから?だから、そんな可哀想な私を助ける為に、自分の命はどうだっていいの?答えてよ‼︎‼︎」

「いや、っと……そういう訳じゃ……」

「ここに居たのが抄帷ちゃんだったら違った?命の捨て所にはしなかった?弱くて弱い、仙波星翠だったからあんな風に庇い立てたの?」

「——っぐ、ちょ、マジで——」


「——だったら、変わってやる。変わってみせる」


 感情の奔流に歪む顔を真っ直ぐに。涙で濡らした双眸を、真正面から。花蕗静を見据えたまま、仙波星翠は宣誓する。それは——守られてしまった自らへの、反旗だった。


「もう二度と、花蕗君が私を守ったりする必要なんかない位、京介さんや小理さんの力を必要ともしない位‼︎誰にもこの願いが踏み躙られない様に、私はきっと、変わってみせるから‼︎だから——だから——」


 胸倉を掴んでいた手が、離れる。

 その手は力無く下げられ、その先で、花蕗静の掌を包んだ。

 愛おしむ様に。慈しむ様に。

 やがて——か細く弱々しい、囁く様な声で。


「——独りで、どこかに行っちゃおうとしないで——」


 仙波星翠は、自らの願いを口にした。

 

 伏せられた顔から、とめどなく溢れる涙がこぼれ落ちる。

 力無く、震えながら。それでも懸命に伝えられた言葉の意味は、確かに静に伝わっていた。


 静もまた、言葉を失い顔を伏せた。

 そして、仙波星翠の言葉を反芻し——内心で首を振った。


 ——————


 ——そりゃ無理な話だぜ、仙波。だってよ……俺はもう——


 ——————


 キキっ、と。

 静達の側に、黒塗りの車が停車した。

 閑静な住宅街の狭い路地には窮屈そうな、景観ともまるで不釣り合いな高級車。その運転席から降り、姿を現したのは——女性。見覚えのないその姿に、静が身構える。


 ——このややこしい時に、今度は何だ——!


 白のボウタイブラウスにペンシルスカート。

 秘書風なその姿に、涙を拭いながら、声を挙げた。


「天麻さん——!」

「——なに?」


 言葉に、静が女性を見据える。


 ——コイツが、吉國天麻。松下馨警護の依頼を持ち掛けた、張本人。


 ちら、と。

 天麻が星翠、静——そして馨の顔を順繰りに見やる。

「お取り込み中の所申し訳ございません、星翠様……よろしいでしょうか?」

 無表情で尋ねる天麻。

 言葉に、若干の冷静さを取り戻したらしい……星翠がズズっと鼻を啜りながら、平静を装う。

「だぃじょぶでず……!」

「ありがとうございます」


 星翠に一つ頭を下げた後、天麻が改めて静と馨へ向き直る。

「お初にお目に掛かります。花蕗静様……そして、松下馨様。私は吉國天麻。あなた方を救助に参りました」


 花蕗静が、嗤う。


「はっ。いきなりツラぁ晒したかと思えば、言いたい事言ってくれんな。他責は柄じゃねーけどよ、引き金引いといて随分のんびりしたご到着じゃねーかよ。悠長な話だなぁ、おい」


 ——————


「——ああ。そこは本当に申し訳なかった」


 ——————


 その声は、あまりにも穏やかで。

 その姿は、あまりにも浮世離れしていた。

 

 凪いだ湖畔のざわめきの様な静けさを纏った、純白の髪の青年。後部座席から降りたその姿に、星翠と馨が息を呑む。


「もっと早く迎えに来たかったのだけど、こちらはこちらで少し立て込んでしまってね。ごめんよ、静」

「……アンタは、朝の……」


 それぞれの驚愕を示す三者を横目に、純白の青年が腕を広げる。

「とにもかくにも、先ずは少しゆっくりしないと。皆疲れているでしょう」

「——テメーも人の話聞かねー口かよ。こっちゃそれどころじゃ——」


「うん。デケムの事なら大丈夫。た(・)っ(・)た(・)今(・)、(・)あ(・)ち(・)ら(・)は(・)終(・)わ(・)っ(・)た(・)か(・)ら(・)」


「——————なに?」


 その異変に、最初に気付いたのは星翠だった。

 デケムの顕現、検知魔法の運用継続——その全てが、途絶えている。幻想世界の『パラドクス』が、解除されていた。


「実は『俺』もパラドクスを持っていてね。能力は——『他のパラドクス能力の強制解除』。デケムには怒られてしまいそうだけど、星翠。君の『パラドクス』は切らせてもらった。けど同時に、この位置だったら真《まこと》の『パラドクス』も使えない……しばらくは安全だと思ってくれて構わないよ」


「テメー……マジで何者だ」


 青年が、微笑《わら》う。


 ——————


「名乗りが未だだったね。『俺は』久遠寺御言。よろしくね、馨、星翠——そして改めて、だね。静」

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