20時35分
掻き消えた異形の群れ。その後に残されたのは、静かな夜の闇ばかりだった。その暗がりの中を、静が走る——仙波星翠のもとへと。
「大丈夫か、仙波!」
過ぎった、灼熱の如き怒りが霧散した訳では無かった。
伝えるべき言葉が確かにあって、それを有耶無耶にしたままこの場を終えてたまるものかと、確かに星翠は思っていた。——だが。
「——っ」
焦燥、動揺、不安に……安堵。
周囲諸共巻き込む様な狂気の殺意は、最早面影すらない。あったのは、ただひたすら仙波星翠の身を案じるばかりの表情。
ほだされた訳でもなかった。
それでも——
「大丈夫——うん、大丈夫」
向けられたその顔に、星翠はそれ以外の言葉を口にする事が出来なくなってしまった。
「松下さんも、いらねー怪我なんざ負ってねーか?」
「は、はい!大丈夫です——」
答えながら、馨が僅かに怪訝な顔をする。
——違和感は、星翠だけが感じていた物ではなかった。
——————
——この少年は、今間違いなく、自らの命を投げ出そうとしていた。誰かを守る為、と言えば聞こえはいいが……破綻した論理・成果の確約されないか細い根拠の為に、たった一瞬の躊躇も挟まずに。
気高いかもしれない。
賞賛されて然るべきだろう。
だが、それらは全て、単なる結果論でしか無い。
——他人を救う為に、自分自身を使い潰す。
花蕗静——この少年は、何かがおかしい。
——————
「小娘達に声を掛けてあげるだなんて、本当に、とても素敵な道徳心だわ!」
安堵に息つく静の横に、幻想の女王が降り立つ。
その顔は——やや不満気。
「けれども!今!一番に!誰に!労いの言葉をかけなければいけないか、わからない貴方ではないでしょう?」
「……まさか、感謝の催促をそんな自信満々にされる日が来るとは、考えたこともなかったぜ」
「あら?不満?」
「はっ、それこそまさかだろ——」
軽く笑った後、静が体ごと女王へと向き直る。
絶世の美貌。その双眸を真っ直ぐに見据え……しかして一片の怯えも畏れもないまま、静は柔らかく笑う。
「……来てくれたのが、他でもないアンタで本当によかった。アンタは恩人だ……ありがとう、デケム」
「———〜〜っ‼︎」
頬を赤らめ、口元を手で覆い。女王——否、デケムが声にならない声を挙げる。そんな彼女に、イタズラっぽい笑みを返した後、その視線が再び星翠へと向く。
「仙波も、助かったぜ。鬼の機転だったな、流石だ」
「——うん」
——————
「さてと、だ」
ひとしきり会話を終えた後。静の視線が『影』——未だ『天印』により拘束される『本体』へと向けられた。
「そこの埃は焼き払ってしまっても良いの?シジマ」
少年の意識が敵へと向けられた事を誰よりも早く察したデケムが尋ねる。これに静は、首を横に振った。
「野郎にゃ聞きてぇ事、吐かせてぇ話がたんまりあるからな……ま、素直に答えるかどうかは知らねーけど」
「あら、それなら大丈夫よ!」
「ぁあ?」
「だってほら。手が滑る、だなんて事が無いとは言えないでしょう?」
思わず眉を顰め、自分を見つめる静へ向けて、デケムは大層得意気で……とびきり凶悪な微笑みを浮かべて応えた。
一瞬だけ、キョトンとした表情を浮かべた後。
「…………いいな、それ」
静が、その笑みに呼応した
——————
「おぅおぅおぅ、良いザマじゃねーか変質者。地べたの寝心地は如何だよ」
『本体』の眼前にしゃがみ込み、静が凶暴に口角を上げる。
「お休みのところ心苦しいけどなぁ、皆さんお待ちかねの質問コーナーの時間だ。洗いざらい、知ってることは片っ端からゲロって貰うぜ」
「……先程までの懇願が嘘の様だな。恥じらう、という感覚はないのか?」
沈黙を破り吐き捨てられた静が、益々その笑みを深めた。
「耳心地の良い遠吠えだなぁ、おい。形勢はとっくにひっくり返ってんだよ、間抜け。今度はテメーが命乞いする番だぜ」
「——話すことは何もな———っぁがぁぁあっ!」
劈く悲鳴。
男の言葉が終わるより先——その胸元に、新たな『天印』が突き刺さる。
——『封露の天印』の能力は、行動の強制封印。故に、その切っ先が直接相手の生命を断つ事は無い。だが、刺し貫かれた感覚だけは、別。
貫通に伴う痛覚——焼け付く様な激しい痛みが『本体』を襲った。
『本体』の姿は、相変わらずの真黒い『影』。それでも——表情の一切を要さずに示される苦悶に、女王が微笑む。
「あぁ、ごめんなさい!一思いに焼き払ってあげようと思ったのだけれど、うっかりコッチを使ってしまったわ!」
クスクスと微笑みながら、しゃがんだ静の両肩に手を突き、覗き込む様に女王が『本体』を見下ろす。
「『封露』というのだけどね、コレは決してお前の命を奪わない。傷を負わせることなく、お前の自由を奪い、痛みだけを残す——ふふ、苦しいでしょう?」
花蕗静が、嗤う。
「俺だって何も鬼じゃねー。何遍だって聞き直してやるよ。だけどそーだな……テメーの忠心が揺らがねーってんなら、ウチのお姫様がまた間違えちまうってのもよ、なくはねーと思わねーかい?」
——————
「…………」
「…………怖っ。深夜のドンキに居るヤンキー夫婦みたい」
「…………馨さん」
「え」
「…………誰と、誰が、なにみたいって?」
「…………すいません‼︎」
「はっはー。けどま〜、悪くない見立てじゃね〜か?ありゃ確かに、悪くね〜相性だと思うぜ」
「——————え?」
——————
誰も。【ソレ】の存在に気付く事が出来なかった。
砕け散ったガラスを土足のまま踏みつけ。男は愉快気に、静達を眺めていた。
「——」
誰だ。そう問い詰めようとして、静が言葉に詰まる。
問う事が出来なかった。
理由は、たった一つ。
——問えば、殺される。その確信が、あった。
【ソレ】が、仙波星翠を見る。
「頭は切れるし度胸もある。何よりやっぱ、能力が映えるよな。流石前作主人公、悪くなかったぜ。ま、途中グダってた初心な葛藤みて〜なのは要らなかったけどな。それでもま、及第点だ」
【ソレ】が、花蕗静を見る。
「相変わらずの熱血自己犠牲、笑っちまったぜ。自分語りとヒロイズムは吐くほど寒かったけど……まぁ、補習やらなきゃ締まらね〜程でもないか。肉は喰った方がい〜ぜ」
【ソレ】が、女王デケムを見る。
「今日一番の収穫はアンタだなぁ、『虚構実存』。スペックはどうって事ね〜が、さっきの愛の告白な。アレは中々見応えのあるコメディだったぜ。いや、フィクションだからって食わず嫌いしてたのは下策だったぜ、反省しきりだ」
女王デケムが嗤う。
「突然割り込んできて、随分愉快な男ね——ねぇ、お前本当に人間?」
【ソレ】が肩をすくめる。
「幻想生まれからそれを聞かれるかよ。中々スパイシーな皮肉で笑っちまうぜ」
「気に入ったのなら結構。それで?突然やって来て、好き放題言って。お前は一体どこの誰で、何がしたい何者なの?」
「見学しに来た一般人さ。ま、多少なり面白くなりそうな火種が燻ってりゃ〜、つついてみようか位は思ってたけどな〜」
【ソレ】が、わらう。
「連絡貰った時点じゃ欠片も期待して無かったけどな。蓋開けてみりゃ、どうして中々捨てたモンじゃなかったな。エンタメとしては悪くなかったぜ」
「ふぅん?」
瞬間。総数二十を超える、紅き光の剣……新たに展開された『虐戮の天印』が、【ソレ】へと向けて一斉に放たれた。
畳が、テーブルが、壁が弾け飛ぶ。
大嵐が行き過ぎたかの如く荒れ果てていく室内。巻き起こる土煙に【ソレ】の姿が眩む。
一秒間を置いて、停止される掃射攻撃。
燻る煙の、その只中から。
「コッチの事情を聞かね〜女王様だな。今日はそんなつもりで来てね〜っての……うは、すげ〜ケムい」
【ソレ】はさもなんでも無いかの様に再び姿を現した。当然の様に、無傷のままで。
「お前の事情なぞ、興味も湧かないわ!それに……お前がただの人間じゃあない事にも、ね」
「見解の相違だぜ、贋造物。アンタらVFXと比べりゃ〜、やっぱ俺なんざパンピーも良いところさ。なぁ?少年少女」




