20時28分
細くしなやかな白い指が、絹の様な頬へと添えられる。
古い、寂れた夜の庭先に、絶世の美貌を有した女王が軽やかに踊る。幻想的、などという比喩すら生温い……それは正しく神秘の光景であった。
「あぁ!なんて悩ましくて、甘美で、幸福な気持ちなのかしら!そうよ、私貴方に恋してるんだわ、シジマ!だから、ねぇ!貴方も私に恋して頂戴!」
「ちょ、アンタマジ言ってんのか。TPOの概念とかねーのかよ……いや、ねーか?や、だとしても今じゃねーだろ——おい、手ぇ掴むんじゃねぇ!」
「じょ、女王!今それどころじゃ——」
「お黙りなさい伽藍堂」
急転直下。
切り捨てる様に突き付けられた言葉に、星翠が思わず尻込みする。そんな少女の狼狽などはどこ吹く風——君臨者は呆れ顔で溜息を吐いた。
「お前の意見を求めた覚えはないわ。そもそも、身の丈にも合わず、私の力の一端を間借りしておいて、この程度の有象無象に手こずるなんて、恥を知りなさい」
「それは——そう、ですけど!恥は承知で聞いてください!」
「嫌よ」
「嫌⁉︎」
ぷん、っと。名残惜しげに静の手を離すや、その両腕を体の前で組みながら、女王はそっぽを向いてしまった。
「お願いされたから断っただけよ。お前の都合になど、興味も湧かないわ」
「……ここまで対応の差が出るもの……?」
「五月蝿いわよ、陰気女。空気が濁るから黙ってて」
「すいません‼︎」
思わず口を挟んだ馨を一刀両断した女王へと向けて、再生成された『影』が迫る。
総数またしても二十以上。
最前線の一体が振りかぶったその切っ先が、デケムに向かう。
心底めんどくさそうにデケムが『影』を見やる。
幻想の頂点……莫大な数の『天印』を操る女王にとって、地を這う『影』がいくらその数を増やそうと、脅威にはなり得ない。本来的に、彼女に誰かの助けなどいらない。
「あら?」
故にこそ、放たれた『パラドクス』に打算はない。混じり気なく、ただ目の前の存在を守る為——ただそれだけの為に放たれた自動迎撃は、女王を庇う盾となった。
「——————!」
ぱっ、と。
仄かに頬を赤らめながら、感無量の様子で、デケムは両手で口を覆う。そんな乙女な動作の全てにツッコむ事は早々に諦めたらしい、静が必要情報だけを確認する。
「理屈は知らねーが、今は味方って事でいーんだな?だったら手ぇ貸してくれ、女王様!」
——だが。
「嫌よ」
「嫌よ⁉︎」
再び……しかし今度はなんともわざとらしく、君臨者がそっぽを向く。
「それは勿論、貴方の手助けをするのはやぶさかじゃないわ。本当よ!でも、そんな他人行儀な頼み方は、嫌」
「……マジで言ってんのかよ、このじゃじゃ馬——!」
ちらり。
口元を隠したまま、女王が静を見つめる。
異形の『影』は次々と復元していく。
選択の余地は、ない。
「——っとに——!頼む、デケム‼︎」
「えぇ、勿論よ!シジマ!」
華やかに、鮮やかに。——デケムが笑みを浮かべる。
刹那。上空より降り注ぐは幻想兵器『虐戮の天印』、その一斉掃射。
正確無比。脅威的な精度で放たれる光の剣が次々と『影』の軍勢を刺し貫く。
「——————」
圧巻としか言いようがない、無双と蹂躙。
だが、それを引き起こした当の本人の関心は、まるでそこには無く。
「私が女王である事は、私が私である事と切り離せない。それでも、貴方が私を呼ぶのに相応しいのは、そんなつまらない身位や敬称ではないわ!あぁ、本当に!私の名前を呼ぶ権利をこうも容易く得るなんて、やはり貴方は素晴らしいわ!シジマ!」
くるくると舞い踊るその姿を見ながら。
「……なぁ仙波。どうやってアレに勝ったんだ?」
「……あー……」
ドン引きであった。
——————
「——あら?」
闇が、蠢く。
『虐戮の天印』によって貫かれた『影』が、次々とその姿を消していく。残されるのは夜の闇。その深奥より、新たな『影』がその姿を現す。
「『虐戮の天印』で穿たれてすぐに元通りだなんて、なかなか珍しい代物ね、あの埃」
——違う。アレは元に戻ってるんじゃねー。解除して、作り直してやがんだ——
無尽蔵に産み落とされる異形の軍勢。——その認識は、間違っている。
もし仮に、『影のパラドクス』……その軍勢の総数に際限がないのなら、今この場において動員数を増やさない理由はない。規格外の怪物……女王デケムを前にして、出し惜しむ理由があるとすれば——能力的な限界。
——やっぱさっきと数がほぼ変わってねー。三十体前後……これが野郎の最大値って事か——
『パラドクス』の展開を維持しつつ、星翠もまた、静と同じ結論に辿り着こうとしていた。
——破壊後の解除、そこからの再生成にリスクがないとすれば、不用意な一撃必殺——『虐戮の天印』じゃ埒が明かない。だとすれば——
「凛々しくて素敵よ、シジマ!それで、考え事はどういうお話?」
後ろ側で手を組みながら、可憐な笑顔のままデケムが問い掛ける。その表情を一瞬だけ見つめて——静が口角を上げた。
「連中は木偶、って話だ。ぶっ壊しても替えが効くだけ、キリがねーって話さ」
「あぁ!なんて分かりやすい説明!素敵だわ、シジマ!」
言葉に、変わらぬ笑顔を向けたまま。その意図を汲んだデケムの腕が高く上げられ——振り下ろされる。
「——————じゃあ、こっち」
天空より飛来するは、白き光の柱。
刺し貫いた対象の行動を強制封印する、拘束を目的としたもう一つの天上兵器。その名を『封露の天印』。奇しくも、仙波星翠が最初に選んだ武器——その選択は正しかった。
——————
一度目の戦闘。
夕焼けの中で繰り広げられた、最初の戦い。
あの時、『封露の天印』による拘束から逃れるために『影のパラドクス能力者』がとったのは、能力の完全停止だった。
『封露』の強制封印の範疇には、『一時解除』が含まれていた。故にあの時、敵の本体は追撃の断念を余儀なくされたのだ。
——————
黒き影の能力者も、先の戦闘における肌感で、その事実は承知していたのだろう。軍勢に、警戒を緩めた気配は微塵もなかった。仙波星翠によって操作された四本の天印——それらを被弾しない様に、彼らは細心の注意を払っていた。
ただし相手は女王デケム。
『天印』の真なる保持者にして、幻想の絶対者。
降り注ぐは百を超える光の奔流。
立ち塞がる影の軍勢を軒並み貫き、封印する、天使の御業。逆理の介入を許さない、天上の常理。
——————
「——『鈴音よ、その響きを——』!」
瀑逆の如き光の中、唱えられるは二文節の詠唱。
次の瞬間、軍勢の足元に光の軌跡が現れる。
静の判断よりも一手早い、星翠の『魔法』。
——この土壇場、光ってんのは足元、仙波の意図は——!
光が指し示すのは、軍勢それぞれの足跡。
一貫性の薄い、バラバラの光の跡。その中にあってただ一つ、大きな違和感があった。
——ある一体。軍勢の最後方に身を隠す『影』……その足元の光だけが、殆ど軌跡を描いていない。
デケムは星翠の意図を理解していない。故にこその無差別一斉掃射。だが、口頭で具体的な説明をすれば、自分達の狙いが『本体』に看破されるリスクが生まれる。
故に、静の言葉は短く——けれど、全幅の信頼を寄せて。
「デケム!道を、頼む!」
「あら、謙虚なお願い!お安い御用よ、シジマ!」
応えるその顔は、やはり可憐なばかりの笑み。さりとて、振るわれる力は絶大。
低い姿勢で駆ける静へと向かう全ての『影』は『天印』によって封殺される。
一秒の後、静は遂に不動の影——『本体』の眼前に辿り着く。
ここに至りようやく、『本体』も静達の狙いに気付く。
両手を体の前で交差し、防御体制をとる。
だが、もう遅い。
『本体』の防御が整うよりも早く、静の上段回し蹴りがその頭部を撃ち抜く。
たたらを踏む『本体』。それでも、一撃必殺とはいかず、その体躯は未だ臨戦の姿勢を解いてはいなかった。
だが、十分。
そもそも静の一撃は、ダメージを狙ってなどいないのだから。
「——あぁ、ソレね。教えてくれてありがとう、シジマ」
遂に静の意図を正確に理解したデケムの腕が振るわれる。
召喚された『天印』が、『本体』の手足・胸部を刺し貫き、以降のあらゆる動作を封殺した。
「こちらこそだ——全く、頼りになる女王様だぜ」
『影』の軍勢が、掻き消える。
ここに、影の『パラドクス』は解除された。




