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パブロドグマ  作者: ほたて
少年少女
12/46

19時11分

「〜〜」

 

 ニコニコと、満面の笑顔で頬張る星翠。

 未だ硬さの残る表情で、それでも手を止めない馨。

 頬杖を突き、そんな二人の様子を眺める静の口元は綻んでいた。


 急いで食べていた訳でもなかった。

 それでも、二人の皿が空になるには、そう大した時間は要らなかった。


「ご馳走様でした!すっごく美味しかったー!ね、馨さん」

「は、はい——うん。本当に、美味しかった」

「そいつぁ結構。追加の皿は……要らなそうだな」

「うん、お腹いっぱい」

「はい、ご、ご馳走様でした……!」

「お粗末さんってトコだ……と、ちょっと待ってな」


 パタパタと食器を下げに、台所に向かう静。

 少しの間を置いて戻ってきた彼の手には、ガラスの小鉢が二つ。

 白くもっちりとした質感の、食後のデザートだった。

「わ!なにそれ、牛乳寒天?」

「惜しい。寒天粉はなかったからな、片栗粉で固めた牛乳餅だ。苦手じゃなけりゃってな」


 簡素ながらに可愛らしいその外観を暫く見つめ、二人は牛乳餅を口に運ぶ。

 共に口が回るタイプでもなし、大仰な感想が飛び出してくることはなかった。それでも、嬉しそうな二人の顔を見て、静もまた、柔らかく微笑む。


 その時。ぽたりと一粒、大粒の涙が古びたテーブルの天面を叩いた。見やれば、小鉢を片手に持ったまま、馨がぽろぽろと泣き出してしまっていた。


「ぅお、どうした。情緒壊れたかよ」

「いえ、あの、す、すみません……」


 堰を切ったように、止めどなく溢れ続ける涙。

 戸惑う星翠と静へ向けて、言葉に詰まりながら……それでも、馨が口を開く。


「誰にも言えなくて……ずっと怖くて。でも仕事あるし、相談出来る人いないし、大事にはしたく無くて……」


 影より現れる、異形。恐らくその気配を、彼女はずっと感じていたのだろう。

 およそ常識の範疇外、荒唐無稽の恐怖。

 相談できる相手は居らず。どころか、仮に無理矢理誰かに打ち明けようものなら、自らが異常者扱いされかねないのではという、怯え。


 蓋をしていた数多の感情。決壊の、その最後の一押しは、見知らぬ少年少女から手渡された、ささやかな優しさだった。

 

「本当は、私は大人だから、君たちにこんな姿、みっともないし、駄目なんだけど——ごめんなさい、その——」


 星翠が唇を噛む。

 

 松下馨が抱え込んでいた痛みの全てがわかる訳では無い。何を言っても、どんな共感も。吐き出される嗚咽の前には、どこか薄っぺらである様に思えてしまって。星翠は、次の言葉を見つけられずにいた。


 そんな沈黙を。


「いや、歳は関係ねーだろ。バイアスエグすぎるぜ、先輩」


 花蕗静は、さも簡単に一蹴した。

 馨と——そして星翠の視線を受けながら、静はやはり大した事でもなさそうに、肩をすくめる。


「アンタのしんどいや、おっかなかったってのがみっともねー訳あるかよ。ガキだろうがジジィだろーが、怖ぇもんは怖ぇし、嫌な事は嫌だろ。ソイツをなんとか出来るかもしんねー種火を持ってたのが、たまたまテメーよりガキだったってだけだろ——この際だからはっきり言っとくぜ、松下さん」


 すくめながら、けれど。

 眼差しだけは真っ直ぐに、馨へと向けて。


「俺達はアンタを助ける。だからアンタも、しっかり気張って、助けられてくれよ」


 そう、言い切った。


 ——————


「ぅお」


 食事を終えて暫し。

 食器洗いを終えて部屋に戻った静が見たのは、スーツ姿のまま体を横たえ、小さく寝息を立てる馨の姿だった。


「少し横になっていい?って聞かれて……すぐに寝ちゃった」

 人差し指を口元にやりながら、声を絞って報告する星翠に、静が軽く手を挙げて応える。

「相当消耗してたんだろーよ。寝かしとこーぜ」

 同じ様に声を絞るその様が、何故だか少しだけ可笑しくて。小さな微笑みを浮かべながら、星翠が頷く。

 

「結局全部任せちゃった。洗い物くらい手伝えば良かったね、ごめんね?」

「阿呆抜かせよ。客人炊事場に立たせられるかってんだ」

「またしてもおばあちゃんと同じ事言ってる……というか、花蕗君は食べないの?ご飯」

「昼飯が遅かったもんでな。気に掛けねーでも、後で適当に済ますさ」


 言いつつ、静がふと馨の顔を見やる。

 色濃い隈。乾燥した唇。仄かにこけた頬。


「……しっかし、歳を理由に助けの一つも呼べねーとは、全く大人ってのは窮屈そうで同情するぜ」

「……うん。きっと、すごく葛藤があったんだろうね——事実として、私達が子供なのは間違いないし」

「はっ。人間なんざ何時くたばるかもしんねーのに、たかが数年十数年誤差だろ。何年生きたかなんかよりゃ、何して生きてきたかのが余程大事だと思うけどな」

「……その割に年上や目上の人には礼儀正しいよね、花蕗君」

「テメーの思想ばっか現実に持ち出すほど世間知らずじゃねーもんでな。それに、誤差だから蔑ろにしていいって道理はねーからよ」


 腰をおろし、息を吐く。

 そんな少年の姿を、少女は覗き込む様に、黙って数秒見つめる。

 

「…………」

「…………なんだよ」

「ううん、その……生きにくそうだなーって」

「お、悪口か?」

「違うってば」


 笑いながら否定して、星翠が続ける。

 

「花蕗君って多分、凄く色んな事を考えながら毎日を過ごしてるんだと思う」

「初手外しだな。頭空っぽもいいとこだぜ」

 星翠が再び。可笑しそうに笑う。

「もう、最後まで聞いてよ」

「……承知だ大将」


 ——————


「自分のことは勿論、人のこと……その人が何を大事にしていて、何を蔑ろにされたら怒るのか、とか。その人にどんな生活があって、どんな風に世界を見てるのか、とか。その上で、そういう色んな人たちの『大切』をとても大事にしてる。大事に出来る人だって、知ってる」


 けれど、と言葉が続く。


「けど時々……誰かの『大切』を守る為に、自分の『大切』を明け渡してしまってる様に見える。勿論何か、本当に譲れない場所は守ってるんだろうけれど……その『本当に譲れない場所』が、凄く小さい様に見える」


 沈黙。


「……ずっと感謝し続けてる。今でも……多分この先もずっと。理由がなんでも、それは変わらない。でもだからこそ……今だからこそ、もう一度聞きたい——花蕗君はあの日、どうして私を助けてくれたの?」


 幻想からの侵略者。

 一歩間違えれば、結末は大怪我どころの騒ぎではなかった。そんな危険を全て承知で、少女の盾として立ち塞がった少年がいた。


 言葉は、二ヶ月前の答え合わせだった。


「……アンタは本当に、すげー変わったな——いや、変わったってのは違うのか。とにかく、本当にすげーよ」

「褒めて煽てて誤魔化しても駄目だよ」

「——ったく……」


 軽く頭を掻きながら。

 やがて、観念した様に、静は重い口を開いた。


「……この家な、俺の親父の持ち物なんだわ」

「え?でも、さっき——」

「あぁ。会ったこともねーな。……見ず知らずの父親に飼われてるのさ、俺は」

「——飼われてる?」

「妾の子なんだよ、俺」


 ひゅっ、と。

 喉元から嫌な空気が飛び込んでくるのを感じながら……それでも辛うじて、星翠はその目を逸らさずに踏み止まった。


「俺のお袋が……ま、あんまり褒められた人間じゃ無くてよ。ツラの良さだけで人生渡ってるタイプの女だったらしーんだけどな。で、そのツラの良さにまんまと引っ掛かったアホが俺の親父でよ。知りゃしねーし興味もねーけど、これがとにかく金だけは持ってた男でな。熱上げ浮かれて、お袋を囲ったとこまではよかったんだが、それが正妻にばれて……そっから先は、まぁお察しって奴だ」


 静の言葉は、いつもと何も変わらない。

 重さも、悲壮も孕まない、どこまでも軽く、軽く、軽い。


「お袋は正妻に顔を〝潰されて〟お払い箱。親父もツラと身体以外売りのねー女が、セールスポイント無くしちまえば、そらお役御免もやむなし。ただ、男にゃ一個誤算があった」


 その軽さと裏腹な、事実。


「捨てた女のガキが、てめーの惚れ込んだ女にそっくりなツラぁしてやがったのさ。今更どーにもなんねー未練が疼いたのかは知らねーけど……ともかくガキは囲われて、今や食うには困らず。めでたしめでたし、って寸法さ」


 どこまでも——どこにも。

 ただ一度の救いすら見当たらない、現実。

 

「この話のキモはなんだと思うよ、文学兎」

「——それ、は……」


「俺の……花蕗静の存在価値は、俺自身とは無関係に押し付けられたこのガワだけなんだよ」


 静が手を振って、先回りの否定を口にする。


「誤解されても心苦しいから言っとくけどよ、生憎そんなんに傷心する程おセンチなメンタルは持ち合わせてねーからよ。こんなもんはただの現実ってだけなんだけどな」


 言葉は続いた。


「俺の人生は、俺の持ち物じゃねー。けど、だからこそ。俺は、俺の尊厳だけは渡さねー。居場所がなくても、理解されなくても……命を落としても。俺が俺自身に立てた誓いや、決めた事だけは、何があっても譲らねー」


 その目には、哀しみも、痛みも無く——。


「助けられた、なんてのぁ酷い買い被りだぜ。俺はただ、俺の決めた代物に従ったってだけ——あんなモンは、ただの結果論だ。だから、アンタが何某か恩やらなんやら感じる必要、どこにもねーよ」


 ただ。空っぽな笑みだけが、そこにはあった。


 ——————


「……自分語りが過ぎたぜ。悪ぃな、食後につまんねー話だったわ」


 言葉を見つけられない星翠。

 それでも懸命に紡ごうとした言葉を、


「——なにか私に」

「無い」


先回りで、静が否定した。


「今回の依頼はアンタと連名だ。力は借りるし、滅茶苦茶頼りにしてるぜ。けどな、俺の人生——俺自身の為に、アンタが出来る事は何も無い。必要ともしてない。だから金輪際、そんなつまんねー事口にするなよ」


 静かに立ち上がり、踵を返す。


「……先輩の目が覚めりゃ、すぐに次の方針決めだ。それまでは大将、アンタもよいよい体ぁ休めとけよ」


 部屋を出ていくその背中には、確かな拒絶があった。

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