17時27分
「『鈴音よ』」
星翠が短く詠唱する。静の身体を、不快を伴わない違和感が包み込む。
目に見えぬ薄絹で包まれた様な、奇妙な感覚。
「仙波、これは?」
「〝検知〟の魔法。さっきの『影』がまた現れた時、先手が打てる様に。検知出来る範囲は狭いけど、その分長い時間使い続けられるから——」
「——今なら気ぃ抜いて構わねーって事か」
言いつつ、静が構えを——迎撃待機状態を保持していた、自らの『パラドクス』を解く。
「しかし驚いたぜ。まさかもう一度アレを見る機会に恵まれるとはな」
「……『封露の天印』?」
「おー、それそれ。どういうカラクリなんだよ」
「……あの幻想世界は〝私の中〟にずっとあるもの。『パラドクス』で展開される〝テサウル〟の範囲を私自身の内側に限定して、あの世界の力だけを現実に持ち出してるの」
「……よくわかんねーけど、すげーな。何でもありじゃねーか」
「範囲は狭くなっちゃうし、使いこなせてる訳じゃないんだけどね」
僅かばかり恥ずかしそうに頬を赤らめ、控え目な謙遜を口にする星翠に、軽い笑みを返してから。静の視線が、未だへたり込んだままの馨へと向けられる。
「一応念の為、ってやつだ——松下馨さん、で間違いねーっすか」
「ぅえ、あ、あの……あなた達、は——?」
「ちょっとした雇われでね……お姉さん、ここ一ヶ月位、オカルトみてーなストーカー被害喰らってるだろ」
「私達は、その犯人から松下さん——あなたを守る為に来ました」
馨の表情は硬い。
だが、状況の理不尽さを加味すれば、それは余りにも妥当な反応であった。自らを襲った『影』の異形は確かに脅威だったが、フィクションの様な力を眼前で披露した見知らぬ少年少女……その言葉を手放しに信用する事など、出来るわけもなかった。
静が、考え込んで頭を掻く。
被害の性質がストーカー絡みである以上、馨の、男性そのものに対しての不信感は間違いなく高まっている。その上、やむを得ずとはいえ、今し方暴力的な交戦場面まで見せてしまった。
——どいつもこいつも、抄帷位肝が太きゃー話は楽なんだけどな……。
今この場にいない、友人である少女の顔を思い浮かべながら、目の前で怯える女性に対して掛けるべき言葉を探す。
その答えを静が見付けるよりも早く、馨に声を掛けたのは、星翠だった。
「わからない事ばかりで、とても混乱していると思います。そんな中でこれを言うのは、虫が良過ぎるとも——でもだからこそ、聞いて欲しいです」
しゃがんで目線を揃えた星翠が、怯え戸惑う馨の手を優しく包む。
びくりと、一瞬だけ震えたその手を慈しむ様に握ったまま、星翠は真っ直ぐな眼差しを彼女へ向けた。
「私達はあなたの——松下さんの味方です。どうか、それを信じてくれませんか?」
真偽を確かめる術は、松下馨には無い。
だが。ただ真摯に——ひたすら愚直に想いを伝えようと紡がれた言葉は、それでも届く。
「……わ、私は、どうすればいいの——?」
握られた手。向けられた双眸。それらを交互に見比べてからようやく、馨は絞り出す様に二人へ問い掛けた。
「詳しい説明は必ずします。でも、今はその前に——」
星翠が視線を静へと向ける。
「あぁ。このままここで夜を迎えるってのは絶対避けてーな……とはいえ、野郎の『パラドクス』の全容がわかんねー以上、どこが安全って話もねーけどよ」
大小、濃淡の差はあれど、影の存在しない環境などあり得ない。現出に要する影の具体的な条件がわからない以上、静の言葉は正しく、絶対の安全が担保されることはない。
逃げ場がどこにあるのかはわからない。
未だ混乱の渦中に囚われた馨。
自らも感じているだろう不安を悟らせまいと、平静を装いながら思い悩む星翠。
そんな二人を交互に見やってから、静は小さく息を吐いた。
「しゃーねー……二人とも案内するから、パキパキ行こーぜ」
「え、行くって、どこに?」
「地理的アドバンテージがとれて、もう一戦ドンぱちがあっても誰も巻き込まねー。そんな都合の良いところだ」
星翠が小首を傾げる。
その姿にもう一つ息を吐いて、静が肩をすくめる。
「本邦初公開って奴だな……二名様、花蕗邸にご案内だ」
——————
「これは——」
「——おぉ……」
星翠に加え、馨までもが目を丸くして驚きを露わにする。
黒燻の瓦に、煤けた白壁。
公園を離れて十分ほど。
住宅街の外れにぽつんと建った木造平屋の家屋は、まるでそれ自体が時の流れから取り残されたかの様に古ぼけていた。
「なんだ、年季の入った家にゃ馴染みがねーかよ。貶しも罵倒も随時受け付けてるぜ」
「え⁉︎う、ううん、そう言うわけじゃ——」
意地の悪い静の言葉に、半ば以上本気で動揺した星翠がブンブンと首を振って否定を示す。その様を愉快気に眺めながら、静は玄関の鍵を開ける。
「はっ、冗談だよ。っつーか、オンボロだってのは間違いねーしな」
今時本当に珍しい、木枠の引き戸。
開け放たれたその先に、外観からの予想を裏切らない、年季の入った杉板張りの廊下が見えた。
「さてと、だ」
取次に腰を下ろし、星翠と馨に向き合う。
「お疲れ気味を労うのはやぶさかじゃねーけどよ。そもそも信用も糞もねー、見知らぬガキのテリトリーに入るなんざ気分も悪ぃ……だろ?松下さん」
憔悴した様子の馨が、言葉に僅か顔を上げる。
言葉は確かに、彼女の身を案じるものだった。
「約束は守らねーとな。俺らのこと、あの変態野郎のこと——それに、びっくりドッキリ超能力についてもな」
——————
「……漫画や、アニメの話……じゃない、んですよね」
一通りの説明を聞いた後。松下馨が口にした第一声は、ある意味当然過ぎるものだった。
逆説の異能・パラドクスの存在。
何らかの理由で、その能力者に狙われている現状。
その阻止を依頼する謎の人物。
その依頼を請け負った目の前の二人。
『影』に襲われ、それを退ける少年少女の姿を目の当たりにして尚、話は、そう手放しで信じる事など出来そうにもない、荒唐無稽の代物であった。
「残念ながら、ってとこだな。とは言え『影から這い出る化け物』に『空から降ってくる光の柱』……超能力の方は正味、疑ってかかる方が難しーんじゃねーの?」
「……あの光が、その……あなたの……?」
「いや、アレはこっちの大将の能力。俺のはあんま映えねー上に、説明がちょいとややこしい代物でな。そこら辺は折を見てってトコだな」
馨の目が、星翠へと向く。
小柄で華奢。決して気が強そうでも、ましてや何か特別な雰囲気を纏っているでもない。可愛らしい……けれどもどこにでもいそうな女子高生。そんな少女が、常識や合理の遥か外縁……人智の及ばない異能をその身に宿している。言葉にすればやはり、余りにも現実離れした内容。
それでも、松下馨が——迷いながら、戸惑いながら、それでも——彼らの言葉を信じようと決めた、その理由。
それもまた、やはり。どこにでもいそうな平凡な少女の、どこまでも真摯な眼差しと言葉故であった。
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「……けど、松下さんを助けたいという気持ちを、今この場で証明する確かな術を私達は持ってません。その一点だけは松下さん自身に信じてもらうしかありません。だからどうか、お願いします」




