第25話 虚空の翼、あるいは未知なる飛翔
北の地平線に、不気味な「偽りの太陽」が昇った。
それは太陽よりも鈍く、鉄の冷たさを湛えた巨大な円盤。ガリア帝国の最終兵器、移動要塞「グラズヘイム」である。雲を裂き、重力という理を傲慢に踏みにじりながら、それは一歩、また一歩と王都へとその影を伸ばしていた。
「……あれが、帝国の答えというわけね」
王城のバルコニーで、ルナは望遠鏡を置き、静かに呟いた。
グラズヘイムは単なる飛行船ではない。都市一つを丸ごと浮上させたかのような威容を誇り、その底部には、かつて王都迷宮で見かけた「魔力抽出装置」を数千倍に巨大化させた主砲が備え付けられていた。
「ルナ姉、これ……私たちの『魔鋼砂』も届かない高さだよ。どうやって戦えばいいの?」
ミリアが震える声で尋ねる。これまでの地上戦の常識が、空という次元の前に通用しなくなっていた。
「答えは一つよ。――私たちも、空へ行くの」
ルナが三姉妹と技術者たちを招集したのは、王都の地下に隠された「秘密実験棟」だった。そこには、捕虜から協力者へと転じた元帝国技術者たちと、アイゼンの職人たちが、一つの巨大な「翼」を囲んで議論を戦わせていた。
「大公、無理を言わないでいただきたい。帝国でもグラズヘイムを浮かすには、数万個の魔石を使い捨てにする必要がある。今の王都に、そんな資源はないはずだ」
元帝国技術者のチーフが、ルナに詰め寄る。
「重力に抗うから、それだけのコストがかかるのよ。なら、重力を『利用』すればいいのではないかしら?」
ルナは、アイゼンで密かに開発していた「反重力鋼」の試作片を机に叩きつけた。
「この魔鋼は、周囲の魔力を吸い込むことで『質量を負に変換する』特性があるわ。これまでの理論では制御不能とされていたけれど、貴方たちが持つ帝国の『魔力循環理論』を組み合わせれば……」
技術者たちの目が、一斉に見開かれた。
アイゼンの「素材」と、帝国の「制御」。これまで反目し合っていた二つの英知が、ルナという一人の管理者の下で、パズルのピースのように噛み合った瞬間だった。
三日後。王都の広場に、奇妙な装備を纏ったフィオナの姿があった。
背中には魔鋼製の小型推進翼。足元には浮遊を補助する魔導ブーツ。それは、アイゼンと帝国の技術が融合して生まれた、世界初の個人用飛行装備「アイゼン・ウィング」だった。
「……これ、本当に飛べるの? 落ちたら痛いじゃ済まないよ」
珍しく不安げなフィオナに、ルナは優しく、しかし確信に満ちた声で言った。
「貴方の『勇気』を燃料にして、この翼は動くわ。……行ってきなさい、フィオナ。空の支配権を、あの傲慢な皇帝から奪い返して」
フィオナが魔力を解放した瞬間、青い炎が翼から噴き出し、彼女の体は弾丸のように空へと射出された。
風を切り、重力を置き去りにする感覚。
「――最高! あはは、空ってこんなに気持ちいいんだ!」
フィオナは空中で見事な旋回を見せ、グラズヘイムから放たれた迎撃用の無人機を一瞬で斬り伏せた。
だが、安堵の時間は短かった。
グラズヘイムの主砲が、ゆっくりと王都の中心部へと狙いを定めたのだ。その発射口には、周辺の雲さえも吸い込むほどの絶大な魔力が収束し始めていた。
「ルナ姉、大変! 街の人たちがパニックになってる! 避難が間に合わないよ!」
ミリアが叫ぶ。
「……ミリア、貴方の番よ。王都中の『魔導通信網』をジャックしなさい。……そして、国民全員に伝えなさい。『空を見上げるのをやめるな』と」
ミリアは頷き、かつてない規模の共感魔法を展開した。
王都に住む何十万という民衆の脳裏に、ミリアの温かな、しかし力強い声が響き渡る。
「みんな、聞いて! 私たちは負けない! 今、空で戦っているのは私たちの姉妹、そして私たちの未来だよ! ……みんなの『信じる力』を、ルナ姉の作る『盾』に貸して!」
驚くべきことが起きた。
恐怖に震えていた民衆たちが、一人、また一人と立ち上がり、空に浮かぶ要塞を真っ直ぐに見据えたのだ。彼らから溢れ出した無意識の魔力が、ルナが王都の各所に設置した「集魔アンテナ」を通じて、王城の屋上に集まっていく。
「――全出力、解放! アイゼン・シールド、展開!」
ルナがレバーを引くと、王都全体を覆うような巨大な「魔鋼の半球」が虚空に出現した。
直後、グラズヘイムから放たれた極大の光軸が、王都を飲み込もうとした。
激突。爆音。そして、天を分かつほどの衝撃。
だが、王都は傷一つ負わなかった。民衆の意志と、三姉妹の知略が、帝国の「神の火」を完全に跳ね返したのである。
「……馬鹿な。我が帝国の至宝が、防がれただと?」
グラズヘイムの指令室で、初めて皇帝の側近たちが戦慄した。
三姉妹はついに「空」という最後のフロンティアをその手中に収めた。
しかし、これは勝利の終わりではない。
要塞を押し返したルナたちの前に、今度はグラズヘイムから一人の「騎士」が、金色の翼を広げて舞い降りてきた。
帝国の皇子にして、大陸最強の魔導騎士――。
物語は、個人と個人の力が激突する、さらなる高みへと昇り詰めようとしていた。
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