第2話 鉄の掟と、泥に塗れた栄光
三日間にわたる強行軍の末、三姉妹の眼前に現れたのは、交易町ドレミアを囲む巨大な外壁だった。
カルナ村の静寂とは対極にある世界。石造りの城壁は長年の煤と雨風に晒されて黒ずみ、巨大な鉄格子の門からは、絶え間なく荷馬車と人々が吐き出されている。
「……ここが、ドレミア。思っていたよりも、ずっと灰色だね」
次女のフィオナが、背負った大剣の重みを確かめるように肩を揺らして呟いた。彼女の鼻は、この街に漂う家畜の排泄物と、下水道の腐敗臭、そして何より人々の「欲望」が混じり合った重苦しい臭いを敏感に感じ取っていた。
「フィオナ、顔を上げすぎないで。田舎者だと悟られれば、すぐにカモにされるわ。ミリア、荷物の紐は緩めていないわね?」
長女ルナの指示に、末妹のミリアは無言で頷く。十四歳の彼女の瞳は、群衆の中を泳ぐように動き、人々の歩き方や視線の配り方から、誰が「スリ」で誰が「まともな商人」かを選別していた。
彼女たちがまず向かったのは、街の中央広場に面した「冒険者ギルド・ドレミア支部」だった。
この国の秩序は、王の法よりも、ギルドの契約によって保たれている側面がある。特に身寄りのない三姉妹が、合法的に武装し、稼ぎを得るためには、冒険者としての「証」が不可欠だった。
重厚なオークの扉を押し開けると、そこにはカルナ村の全人口よりも多いのではないかと思えるほどの人間がひしめき合っていた。
安酒の匂い、手入れの行き届いていない武具の油の臭い、そして魔物の返り血が染み付いた外套の悪臭。それらが熱気となって天井に淀んでいる。
三姉妹が足を踏み入れると、騒がしかった室内が一瞬だけ静まり返った。
美しくも、どこか殺気立った三人の少女。その異質さに、手練れの冒険者たちが反射的に視線を向けたのだ。しかし、彼女たちの身なりが辺境の粗末なものであると分かると、すぐに鼻で笑うような空気が広がった。
「あら、見慣れない顔ね。登録希望かしら?」
受付のカウンターに座る女性は、眠たげな眼差しで彼女たちを見た。その手元には、何百枚もの書類が積み上げられている。
「はい。三人分。それから、すぐに受けられる仕事を探しています」
ルナが代表して答えると、受付嬢は無造作に三枚の羊皮紙を差し出した。
「まずはそこに名前と年齢、使える魔法や技能を書きなさい。嘘を書いても、後の魔石検査でバレるから無駄よ。登録料は一人銀貨一枚。持ってる?」
ルナは懐から、カルナ村で必死に貯めた数少ない銀貨を取り出し、三枚並べた。それは、村の一家族が数ヶ月暮らせるほどの重みがあった。
三人は黙々とペンを走らせる。
氏名欄に記されたのは――ルナ・カーヴィル、フィオナ・カーヴィル、ミリア・カーヴィル。
書類を回収し、その名に目を通した受付嬢の眉が、わずかにピクリと動いた。
「……カーヴィル? 聞かない家名ね。まあいいわ。あんたたち、技能欄に『氷結魔法』『大剣習熟』『精密射撃』なんて書いてるけど、本当なの?」
「試してみるか? お姉さん」
フィオナが不敵に笑う。その挑発的な態度に、横から太い声が割り込んできた。
「おいおい、新人。ギルドの受付を脅すんじゃねえよ。ここはガキの遊び場じゃねえんだ」
現れたのは、赤褐色の髪を逆立たせた大男だった。背中には装飾の施された立派な槍。その胸元には、中級冒険者の証である「銀」のメダルが光っている。
彼こそが、この支部で最も勢いのあるパーティー〈赤牙の槍〉のリーダー、ダリオだった。
「見てな、これがお前らみたいなヒヨッコと、俺たち『銀級』の差だ」
ダリオはルナの肩に手を置こうとし、そのまま彼女の耳元で卑猥な言葉を囁こうとした。
刹那。
空気が凍りついた。
物理的な意味で、である。
ダリオの足元から、鋭い氷の棘が数本、地表を突き破って出現した。それは彼の股間から数ミリという絶妙な位置で静止し、冷気を放っている。
「ひっ……!?」
ダリオが硬直した瞬間、その喉元にはフィオナの錆びた大剣が、背後からはミリアが放った無音の矢が外套の襟を射抜き、柱に固定していた。
「……動かないでください。私の妹たちは、少し気が短いのです」
ルナが静かに、そして事務的に告げる。彼女の手は、依然としてカウンターの上に置かれたままだ。魔法を放った気配すら見せず、無詠唱で術を起動させていた。
「書類は受理されましたか? 受付の方」
ルナが微笑みながら尋ねると、受付嬢は顔を引き攣らせ、先ほどまでの蔑みをどこかへ放り投げた。
「え、ええ……カーヴィル家の皆さん。登録は完了です。魔石の認証は免除……いえ、実技をもって替えさせていただきます。ただちに……」
ルナは、ダリオの懐から彼が手にしていた「依頼書」を鮮やかに抜き取った。
「これは、私たちが引き受けます。難易度が高いようですから、貴方のような『立派な槍』を持つ方には、もっと安全な仕事がお似合いでしょう」
それは、街の有力者が頭を悩ませていた、毒蜘蛛の変異種討伐の依頼だった。
三姉妹がギルドの扉を再び潜り、外の喧騒へ消えていくまで、室内には物音一つしなかった。
残されたのは、氷の棘に囲まれて震える「銀級」の男と、その名前が刻まれた三枚の登録用紙だけだった。
「ルナ姉、あんな奴の依頼を横取りして良かったの?」
街を歩きながら、ミリアが心配そうに尋ねる。
「いいのよ。あのような傲慢な人間は、実力を見せつければ勝手に宣伝してくれるわ。『カルナ村から来たカーヴィル三姉妹は、銀級を赤子のようにあしらった』となれば、私たちの名前は明日には王都へ届き始める」
ルナの視線は、もはや目前の魔物討伐など見ていなかった。
彼女が見ているのは、この腐敗したギルド制度そのものを飲み込み、自らの「楽園」を築くための第一歩。
三姉妹の「覇道」は、こうして正式に、王国の記録に刻まれることとなった。
お読みいただき、ありがとうございます!
よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです!




