第10話 黄金の契約、鋼の軍勢
アイゼンの復興は、もはや単なる「廃都の掃除」という段階を超え、一つの国家にも匹敵する経済圏の誕生へと加速していた。
街の中央広場には、新たに鋳造された「魔鋼」の板が並べられ、朝日を反射して鈍く、しかし力強い光を放っている。その傍らでは、フィオナが選抜した五十名の志願兵たちが、魔鋼製の軽装鎧を身に纏い、一糸乱れぬ動きで槍を振るっていた。
「腰が高い! 魔鋼の鎧は軽いけれど、その分、重心を意識しないと敵の重い一撃に弾き飛ばされるよ!」
フィオナの鋭い叱咤が広場に響く。かつては絶望に瞳を濁らせていた男たちが、今は誇らしげに、そして真剣な面持ちで汗を流している。彼らこそが、アイゼンを守るための最初の盾――「アイゼン騎士団」の雛形であった。
「フィオナ姉、随分と様になってるね。みんな、本物の兵士みたい」
二階のバルコニーからその様子を眺めていたミリアが、感心したように呟いた。
「ええ。フィオナには、人を奮い立たせる天性の才能があるわ。……さて、ミリア。準備はいいかしら? 今日のお客様は、王都の刺客よりもずっと強欲で、計算高いわよ」
ルナが鏡の前で、アイゼンで精製された青い魔石をあしらったブローチを整える。
その日の午後。アイゼンの西門を、豪華な装飾が施された馬車の列が通り抜けた。
馬車に刻まれているのは、海の向こうの商業大国・リヴェリアに拠点を置く「黄金樹商会連合」の紋章。彼らは、アイゼンで「伝説の魔鋼」が再生産されているという噂を嗅ぎつけ、独占契約を求めてやってきたのである。
市庁舎の会見室。
ルナの前に座ったのは、白髪を綺麗に整え、高価な眼鏡をかけた初老の男、ハンス。リヴェリアでも屈指の交渉人として知られる人物だ。
「……信じがたい。この短期間で、これほどの純度の魔鋼を安定して生産できる体制を整えるとは。ルナ・カーヴィル殿、貴女は魔術師としても、経営者としても、天才の部類に入る」
ハンスは差し出された魔鋼のサンプルをルーペで覗き込みながら、隠しきれない興奮を露わにした。
「お褒めに預かり光栄ですわ。ですが、本題に入りましょう。貴方たちが欲しいのは、この魔鋼の『全量買取』、そして『製法の独占権』……違いますか?」
「左様でございます。我が商会連合は、金貨五千枚の前払い、そして今後の売上の三割を貴女に約束しましょう。これは王都の貴族ですら提示できない破格の条件です」
ハンスは自信満々に契約書を差し出した。しかし、ルナはその書類に目を通すことすらしない。
「ハンスさん。貴方は私を、ただの幸運な小娘だと思っていらっしゃる。……五千枚? そんな目先の端金で、アイゼンの未来を売るつもりはありませんわ」
ルナの瞳が、交渉者の冷徹さで射抜く。
「私の条件はこうです。魔鋼は『全量』ではなく、我がアイゼンが指定する『割当分』のみを販売する。そして独占権は与えない。その代わり、貴方たちにはリヴェリアからアイゼンへの『物流網の整備』と、アイゼン貨による『決済の導入』を義務付けます」
「な……!? アイゼンの通貨を、我がリヴェリアの商圏で使えというのか? それは……経済的な侵略に等しい!」
ハンスが椅子を蹴って立ち上がった。だが、ルナの横に控えていたフィオナが、大剣の柄にそっと手を置くと、彼は氷水を浴びせられたように静まり返った。
「侵略ではありません、『共栄』ですわ。魔鋼が欲しいのであれば、アイゼンの秩序に従っていただく。……もし不満であれば、隣国へこの話を持ち込んでも構いませんのよ? 彼らなら、喜んでアイゼン貨を受け入れるでしょうね」
ルナは優雅に紅茶を啜った。
ハンスは激しく葛藤した。魔鋼を手に入れなければ、他国との軍事的・経済的な優位性を失う。しかし、ルナの条件を飲めば、リヴェリアの経済の一部が、この「アイゼン」という小さな街に握られることになる。
一時間の沈黙の後、ハンスは震える手で、ルナが用意した別の契約書にサインをした。
「……敗北だ。これほどまでに計算し尽くされた罠を仕掛ける者が、辺境の村出身だとは、誰も信じないだろう」
「あら、私は罠など仕掛けておりませんわ。ただ、正当な価値を定義しただけです」
交渉が成立したその夜、アイゼンの広場では、騎士団と職人、そして商人の代表たちが一堂に会し、盛大な宴が催された。
ルナは喧騒を離れ、屋上で月を見上げていた。
「ルナ姉、これでアイゼンはもう、誰にも壊せない場所になるね」
ミリアが隣に寄り添う。
「いいえ、ミリア。これからが本当の正念場よ。リヴェリアとの契約は、王都をさらに刺激する。……もうすぐ、王都は魔導院の刺客ではなく、正式な『軍勢』をアイゼンに差し向けてくるはずだわ」
「来ればいいよ。返り討ちにするだけだ」
フィオナが誇らしげに、魔鋼で作られた新しい大剣を掲げた。
「その意気よ、フィオナ。私たちは、ただ守るだけではない。この鋼の軍勢を率いて、いつかあの腐敗した王都の門を叩く。……それが、私たちが選んだ『覇道』の終着点なのだから」
アイゼンに吹く風は、もはや死の気配を含んでいない。
それは、鋼の旋律と共に、新たな時代の幕開けを告げる「覇道の風」であった。
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