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ガクンッ。
体が勝手に動く。もう三回目だというのに、全然慣れない。首も付いていかない。これデフォルト?
視界が一瞬遅れてついてくる感覚。自分が自分じゃないみたいな、妙なズレ。操り人形みたいな? でも、結果だけ見れば完璧だった。
影狼の牙はまた空を切り、わたしの体はその横を滑るように抜ける。
「ちっ……当たらねえ!」
男が舌打ちする。あ、そっちなんだ。いやまあ、『わたしに』当たってたら困るのはこっちなんだけど。
……だからさあ、何で生き伸びる方向に思考が持ってかれてるの!
「ナイス回避だ、って言いたいところだが……本当にお前、何なんだ?」
「だから分からないって言ってるじゃないですか」
「普通 “分からない” で済む動きじゃないんだよ!」
ごもっとも。
ピロン。
『緊急回避モード:回避成功+1(累計:7)』
「増えてる」
「何が!?」
「点数的な何かが」
「説明になってない!!」
忙しい人だなあ。ツッコミ体質なの? この人。
影狼が低く唸る。さっきよりも明らかに警戒している。目が合った。赤い瞳が、じっとこちらを測ってくる。
あ、これ。
「学習してますね」
「当たり前だろ魔物なんだから! むしろお前が学習される側だ!」
それもそうか。
影狼は一歩、また一歩と距離を詰める。さっきみたいな単純な突進はしてこない。代わりに、タイミングをずらしてくる気配。
──来る。
ガクンッ。
今度は “まだ来てない攻撃” に対して体が動いた。
「え」
空振り回避。その一拍遅れて、影狼が跳ぶ。わたしがさっきまでいた場所を、牙が薙いだ。
「先読みだと!?」
「みたいですね」
「みたいですねじゃない!!」
ピロン。
『緊急回避モード:予測回避を獲得しました』
「増えた」
「だから何が!!」
説明欄、出してくれないかなこのシステム。
男が距離を詰めて、影狼に斬りかかる。金属音。いや、肉を裂く音か。浅いけど、確実に当たっている。
あの剣、惜しいなあ。切れ味とか。でも、男は間合いの取り方が上手い。
「くそ、硬ぇな……!」
影狼がすぐに飛び退く。さっきよりも慎重だ。明らかに、“わたし” を警戒しながら、男も処理しようとしている。
器用だなあ魔物って。
「おい! 今のうちに下がれ! こいつは俺が──」
「無理です」
「なんでだよ!!」
ガクンッ。
影狼が地面を蹴るよりも早く、わたしの体が横へ流れる。その直後、爪が空を裂いた。
男がハッとしたようにわたしを見る。
「……お前、もしかして」
「はい」
「逃げられないんじゃなくて、『逃げてない』んじゃないのか?」
「え」
考えたことなかったな。
逃げられない、じゃなくて。逃げてない?
て言うか、ホントに何で生きる方向に向かってるの? 神さまが見越してた? わたしの生きる気のなさを。
ピロン。
『チュートリアル補助:行動制限中』
「行動制限されてるらしいです」
「もっと早く言え!!」
でもまあ、納得はした。だから座ったままなのか。いやそれはどうなんだろう。まあ立っていたとしてこんな風に動けるかって疑問もあるけど。日本人的には腰抜かしてるかも。
影狼が、低く姿勢を落とす。毛が逆立ち、空気が張り詰める。
「……来るぞ。今度は本気だ」
「はい」
男の声が、さっきより低い。本気で警戒しているのが分かる。状況判断が速いなあ。
わたしをかばおうとする動きをしているんだろうか。会ったばかりの他人のわたしを。命がけで守る意味なんてないのに。
影狼の筋肉が、ぎゅっと収縮する。次の瞬間。……消えた。
「は?」
視界から、影狼が消える。いや、違う。
駆けている。速い。転移しているの間違いじゃない? この名の由来がこれかしら。
やっぱり初手からこの魔物って、おかしいよね。
ガクンッ!!
「うわっ!?」
体が強制的に仰け反る。その鼻先を、黒い影が掠めた。遅れて、地面が抉れる音。
「見えねえ……!」
「わたしもです」
見えてないのに避けてる。傍観者かわたし。その割に、精神的には安定してる。どういうことなんだろ。
ピロン。
『緊急回避モード:限界稼働中』
『警告:リソース不足』
「……あー」
これ、そろそろまずい気がする。
「おい! 顔色悪いぞ!」
「消費がヤバそうです」
「だから何を言ってるんだお前は!!」
説明が追いつかない。
でも、感覚だけは分かる。なんかこう、“削れてる”。体力じゃない。もっと別の何か。スタミナじゃないのかなあ。
意識とか。集中力とか。存在そのものとか。もしかして、言ってしまえば魂の存在力とか。
そんな感じの、何ていうか、生きてる根源が減ってってる感じ。
影狼が、再び姿勢を低くする。さっきよりもさらに速い一撃が来る。
……これ、次は。避けきれないかもなあ。ま、覚悟は済んでる。
「……あ」
そのとき、不意に。“選択肢” が増えた。
ピロン。
『代替機能が提案されました』
『強制反応モードを起動しますか?』
「また増えた」
「いいから避けろ!!」
はい / いいえ。
影狼が、跳ぶ。男が叫ぶ。時間が、ほんの一瞬だけ伸びる。
……どうしよう。
ちょっとだけ考えて。まあ、いいか、と思った。死ぬのはいつだってできる。
「はい」
次の瞬間。──ブツン、と。何かが、切れた。
気づいたときには。わたしは、立っていた。
「……え?」
自分の足で。ちゃんと、地面を踏みしめて。前の世界で『歩けない』ほどの障害を負っていた脚は、キチンと治っていて。
影狼の喉元に、無造作に手を伸ばしていた。異様なスピードで首を掴む。
そのまま。ギリ、と。どこから出してる『チカラ』よ。
「……は?」
男の、間の抜けた声。影狼の動きが、止まる。
抵抗しようとしているのに、できていない。
まるで、“押さえつけられている” みたいに。影狼は足掻くように、前脚を力なくジタバタと漕ぐ。
自分の力じゃない。分かる。これは。
「……なにこれ」
わたしの口が、勝手に動いた。さっきまでと違う声色で。
少しだけ、楽しそうに。
『強制反応モード:起動』
『制御権限を一時的に移行します』
「ちょ、おい、それって──」
男の言葉が、途中で途切れる。
影狼の首が。ぐにゃりと、ありえない方向に曲がったから。
……ゴキン。鈍い音。静寂。
そして。
ピロン。
『対象の無力化を確認』
『チュートリアル達成』
『報酬を配布します』
……あ。これ、終わった? ふっと力が抜ける。
次の瞬間、膝から崩れ落ちた。
「うわっ!? おい!!」
男が慌てて支える。ああ、近い。ちょっと鉄の匂いがする。どっか怪我した?
「……生きてます?」
「生きてるわ!! というか何だ今のは!?」
「わたしも知りたいです」
本日二回目。
ピロン。
『名称未設定:スキルを獲得しました』
『命名しますか?』
「……名前つけるんだ」
「だから何の話だ!!」
でもまあ、せっかくだし。少しだけ考えて。
「……じゃあ、“虫” で」
「何だそれ!!」
いいと思うんだけどなあ。そんなことを思いながら。
わたしは、そのまま意識を手放した。




