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ザク、ザク、と一定のリズムで近づいてくる足音。鎧と武器らしき剣のこすれる音、その息づかい。
うさぎを追いかける童謡のほうがよほど規則的だな、と思いながら、わたしはぼんやりとミニマップを見る。青い三角は、もうすぐそこだ。
赤い三角も、消えたと思っていたのにいつの間にかじわじわと近づいている。
「……あー、これ、同時に来るやつ?」
面倒くさいイベント発生の予感しかしない。
音量を一押しだけ上げた。どうせなら最後くらい、落ち着いた音楽で終わりたい。
ガサリ、と枝が揺れて、青三角の主が姿を現した。
「──そこにいるのは誰だ!」
お、声デカい。
現れたのは、全身を簡素な金属と革でつなげた鎧で固めた男だった。銀色というより、くすんだ鉄色。茶色い革は色が濃く見える。
肩当てがちょっとズレている。いかにも “ちゃんとした騎士ではない人” 感がある。
年齢は二十代後半くらい。髪は茶色で、短く刈り込まれている。顔は……うん、普通。神さまの後だと、すごく安心する普通さだ。西洋人っぽい白さの肌かも? 少し日焼け気味。
彼はわたしを見るなり、ぎょっと目を見開いた。
「な、なんでこんなところに座ってるんだ!? しかも一人で!」
「座りたいから座ってますけど?」
「そういう問題じゃない! ここは危険地帯だぞ!」
「知ってます。……え、と言うかそんなところなんですか?」
「知ってて!? いや知らなかったのか!?」
いいリアクションだなあ、この人。
男は一歩近づいてきて、わたしの様子を上から下までざっと見る。武器も防具も持っていない、ただの人間。スマホだけ手のひらのうちだから見えてないか。そりゃ驚くよね。
「……怪我は?」
「心がちょっと」
「体の話をしてるんだが!?」
「元気です」
「元気でここに座り込んでるほうが問題だろ!」
あ、ちょっと怒られた。そのとき。
──グルルルル……。
低い唸り声が、森の奥から響いた。ああ、赤三角が来てたのか。
ミニマップの赤い三角が、急に速度を上げてきた。狙いはエサとなるわたしたちか?
「チッ……来やがったか!」
男は瞬時に防御姿勢を取り、舌打ちして、腰の剣を引き抜いた。思ったよりちゃんとした剣だ。さっきの “なんちゃって感” は訂正しよう。
「下がれ! 早く!」
「えー」
「えーじゃない!!」
めちゃくちゃ必死だ。でも、わたしは動かない。というか、動く理由がない。
「大丈夫です」
「何が!?」
「どうせ死ぬなら、ここでいいかなって」
「よくない!!」
即答だった。間髪入れずの全否定。ちょっと面白い。
ガサァッ!! と大きく茂みが揺れて、現れたのは──
「……犬?」
いや、犬にしては大きい。シベリアンハスキーよりも、セントバーナードよりもさらに上。体高は身長が158cmのわたしの胸くらいある。毛は黒くて逆立っていて、目が赤い。ああ、これは “魔物” だ。
「影狼だ! 噛まれたら毒で終わりだぞ!」
「へえ」
「へえじゃない!!」
この人、ツッコミ忙しいな。
影狼とやらは、じり、と間合いをうかがって左回りに詰めてくる。完全にこちらを獲物として見ている目だ。
男はわたしの前に立ち、剣を構えた。
「……おい」
「はい」
「逃げる気はないのか」
「ないです」
「なんでだ」
「疲れてるので」
「理由が軽い!」
いいなあ、この人。ちょっと好きかもしれない。
影狼が地面を蹴った。
「来るぞ!!」
男が叫び、剣を振りかぶる。──その瞬間。
ピロン、と軽い電子音が鳴った。スマホは胸元にある。
「……ん?」
わたしの視界の端に、新しいウィンドウがポップアップした。
『新機能が解放されました:緊急回避モード(オート)』
「は?」
『ONにしますか? はい / いいえ』
「今!?」
「何してる!? 避けろ!!」
目の前では、影狼がすでに跳びかかってきている。大口を開けて、小汚い牙が見える。
タイミング、最悪じゃない? いや、むしろ最高なのか?
どっちでもいいか。とりあえず、押してみる。
「はい」
次の瞬間。──ガクンッ!!
「うわっ!?」
わたしの体が、勝手に動いた。首が付いていかなくて、体だけが動く。
地面に転がるようにして、影狼の突進をギリギリで回避する。自分の意思じゃない動きって、こんなに気持ち悪いんだ。あ、音楽は止まってる。『緊急事態』だからか。
ズザァッ、と土煙が上がる。
影狼の牙は空を切り、代わりに男の剣が横から叩き込まれた。
「今のはナイスだ! ……って、お前、今の動き……!」
「知らないです、勝手に動きました」
「はあ!?」
男の困惑が限界を突破している。うん、分かる。わたしも分からない。
もう一度、ピロンと音が鳴る。
『緊急回避モード:起動中(消費:???)』
「……消費、なに?」
怖いこと書いてあるなあ。でもまあ、死ぬよりはちょっとだけマシか。HPじゃない何かが削られてる気配。あ、これスタミナとか? アクションゲームとかに多いやつ。
てか、何で死ぬ方向じゃないの? 何かが生かそうとしている? 疑問は形になる前に霧散していた。
……ほんのちょっとだけ。その時わたしは、微かに楽しんでいた。
楽しんでいる場合じゃない、というツッコミは自分でも分かっている。
分かっているけど、どうにもこうにも体が勝手に動くこの感じが、妙にゲームっぽくて。
VRゲームとかやったことがないんだけど。
「うおっ、また来るぞ!」
「はいはい」
影狼が再び低く唸って、今度はフェイント気味に右へ回り込む。瞬間。
ガクンッ!!
「ひっ」
今度は横っ飛び。自分の意思ゼロ。完全オート回避。しかもなんか、さっきより動きが洗練されてない? 気のせい? 経験値かしら。
魔物への恐怖じゃなく、舌を噛みそうなほどの意思を無視した動き。
『緊急回避モード:回避成功+1』
「カウント増えた」
「何の話してるんだお前!?」
男のツッコミが追いつかない速度で、わたしの中の “よく分からない何か” が進化していく。
影狼が苛立ったように牙を鳴らし、今度は連続で踏み込んできた。
「連撃だ、下がれ!!」
「無理です」
「だからなんでだ!!」
ガクンッ! ガクンッ! ガクンッ!
──三連回避。
自分でやってないのに、なんかすごい。地面を滑るように、紙一重で全部避けている。観客がいたらたぶん拍手してる。
「お前ほんと何なんだ!?」
「わたしも聞きたいです」
ピロン。
『緊急回避モード:熟練度が一定値に到達しました』
『派生スキルが解放されます』
「派生スキル?」
「今それどころじゃない!!」
いやほんとそれな。でもウィンドウは容赦なく開く。
『自動反射を解放しますか? はい / いいえ』
「……あー」
ちらっと前を見ると、影狼はもう次の跳躍体勢に入っている。男は構えているけれど、ちょっと押され気味。たぶん、このままだと普通に危ない。仕方ないか。
「はい」
次の瞬間。──ガクンッ!!
「うわまた!?」
今度は “避ける” だけじゃなかった。影狼の突進を体が半身で受け流し、そのまま──
ベシッ。
「え?」
わたしの手が、影狼の鼻先を叩いた。軽く。ほんとに軽く。でも。
「キャンッ!?」
影狼が、びっくりした犬みたいな声を出してのけぞった。
「……今の、何だ?」
「わたしも初見です」
静寂が一瞬落ちる。男と影狼とわたし、三者三様に「今の何?」って顔をしている。一番困惑してるの、たぶん影狼だと思う。
ピロン。
『自動反射:成功』
『与ダメージ:+1』
「ダメージ1なんだ」
「そこなのか気にするところ!?」
でもほら、効いてはいるっぽいし。主に精神的ダメージが。
影狼がじり、と距離を取り直す。さっきまでの “狩る側” の余裕が、ちょっとだけ消えている。
「……なあ」
「はい」
「お前、本当にただの人間か?」
「たぶん」
「たぶん!?」
いいリアクションだなあ、この人(二回目)。
さてどうしよう、と考えたところで。
ピロン。
『新規目標が設定されました』
『チュートリアル:生存せよ(制限時間:あと2分)』
「急にゲーム性を出してきた」
「だから何を言ってるんだお前は!!」
うん、でもこれ。たぶん、あと2分耐えればいいだけだ。
……耐えれば。わたしはまだ座ったまま、ちらっと影狼を見る。影狼が本気モードに入る気配がする。アイツもここが正念場ってところが分かるんだ。
「じゃあ、がんばりましょうか」
「せめて立て!!」
正論だなあ、と思いながらも。わたしの体は、次の “ガクン” を待っていた。




