天の剣(8)
【side:パスカル・セルヴェ】
部屋に戻っても、闘技場の歓声がまだ耳の奥で反響しているようだった。
ベッドに腰を下ろし、ゆっくりと息を吐き出す。窓の外では、陽が傾き始め、空を茜色に染め上げていた。入学トーナメントは、僕の準優勝という結果で幕を閉じた。
「準優勝……ですか」
ゆっくりと手を握る。指先が触れるのは、豆だらけの硬い手。今日まで鍛え上げてきたこと、決して無駄ではなかった。
聖騎士養成学院の入学トーナメント。ここに集うのは、王国中から選りすぐられた才能の持ち主たちだ。その中で二番目の席次を得られた。それは、僕が聖騎士になるための道を、確かに一歩踏み出せたという証明に他ならない。
――聖騎士になる。
そして、”魔眼”の一族に向けられ続ける、冷たい偏見を払拭する。
五十年前の統一戦争。魂の機微を読み、偽りを見抜く”魔眼”を持つ僕たちの一族は、その共感性ゆえに戦いの怒り、悲鳴、怨嗟に感じ入りすぎてしまう。その行き着く果ては精神を病んでの自死。だから争いを好まない。
カミル・イェニークのような、旧い戦士の家系に連なる者たちの言う「戦いに有利な目を持ちながら臆病風に吹かれて逃げた一族」という軽蔑も、あながち間違いとは言い切れない。だが、いつまでも一族が侮蔑の目を向けられるのは耐えられなかった。
だから僕はここに来た。自身の剣で武功を立て、名誉を取り戻すために。
今回の結果は、そのための大きな足掛かりになるはずだ。この調子で三年間、実力を示し続ければ、あるいは……。
そこまで考えた時、脳裏にあの剣が閃光のように蘇った。
決勝戦の相手。”天剣”の異名を持つ、僕のルームメイト。
・・・
「はじめっ!」
審判の合図と同時に、左の”魔眼”に意識を集中させた。
世界から色彩が抜け落ち、人の魂が放つ微弱な光だけが浮かび上がる。目の前に立つソウラの魂は、しかし、これまで見てきたどんな人間のものとも異なっていた。
普通、どれほど修練を積んだ騎士であっても、その魂は戦いを前にして微かに揺らぐ。闘志という名の赤い光、緊張という名の青い光。魔眼はその色の変化を読み、相手の次の一手を予測可能にする。
だが、ソウラの魂には、色がなかった。
まるで、どこまでも澄んだ真冬の湖面。何の感情も映さず、ただ静かに凪いでいる。殺気も、闘志も、焦りも、喜びすらもない。空っぽの器のようだ。
先に動いたのはソウラだった。予備動作の少ない踏み込みから放たれる、上段からの斬り下ろし。速い。だが、”魔眼”は、彼の筋肉が収縮する瞬間の、魂の微かな揺らぎを捉えていた。
僕は最小限の動きでそれを躱し、懐に潜り込むようにして短剣を振るう。
キィン!と甲高い金属音。ソウラは体勢を崩しながらも、まるでそこに短剣が来ることを知っていたかのように、的確に剣で弾いていた。
弾かれた僕の体勢が崩れる。そこへ、ソウラの剣が薙ぎ払うように襲い来る。咄嗟に地面を蹴って後方へ跳んだ。頬を、剣圧が撫でていく。
彼の魂は、凪いでいる。あれほどの熾烈な剣を振るいながら、魂は依然として静寂を保ったままだ。まるで、呼吸でもするように、彼は剣を振るっている。僅かに銀に光る。憧憬? それは過去の思い出に浸る様な。
普通じゃない。今を見ていない。ただ、目の前の相手を「斬る」という純粋な理だけが存在しているようだった。
僕は何度もソウラへと追いすがり、短剣を突き出す。だが、ソウラはその全てに対応した。彼の視線は僕を追っていない。まるで空間そのものを捉えている。短剣を繰り出す場所にあらかじめ剣が置かれているような錯覚さえ覚える。
正直、何がどうなって負けたのかは分からない。
ソウラの肩が僅かに沈んだと思えば次の瞬間、ぴたりと刃が僕の首筋に当たっていた。
「負け、ました」
混乱する頭の中で、そう宣言するしかなかった。
・・・
そこまで回想し、大きく息を吐いた。
勝ち筋がまるで分らない。隙を見せたつもりもないのに、自分がなぜ負けたのかも分からない。ただ、彼の剣速が早すぎて捉えられなかった。
もし聖騎士がすべてソウラのようなレベルなら、あそこまで辿り着ける気がしない。希望に満ちていたはずの心に、分厚い暗雲が垂れ込めてくる。
その時だった。
ガチャリ、と無機質な音を立てて、部屋の扉が開いた。
顔を上げるとそこに立っていたのは、汗を拭いながら部屋に入ってくるソウラだった。
片手には木剣。素振りをしていたのか? あのトーナメントが終わった後だというのに。
ソウラは自分のベッドに無造作に木剣を置いた。そして、僕の方をちらりと見ると、こともなげに口を開いた。
「パスカル」
来る。何か、言われる。試合のことか。”魔眼”のことか。
息を呑んで次の言葉を待っていると、彼の魂が少し濁るのを見た。悲しいときの色だ。悲しみ? 優勝した後なのに?
「食堂の白身魚のソテー、食べない方がいい」
「…………白身魚のソテー、ですか?」
予想だにしない言葉に、思考は完全に停止した。
白身魚の、ソテー?
「見た目は美味しそうだったんだ」
やがて、喉の奥から、堪えきれない何かが込み上げてきた。
「……ふっ。ありがとうございます。僕も夕餉には白身魚のソテーは頼まないようにします」
笑いが漏れた。
「自分は少し寝る」
「ええ。明日から通常の講義が始まりますので、ゆっくり休みましょう」
「ああ、そうだ。試合楽しかったよ、パスカル。またやろう」
それだけ言うと、ソウラは寝息を立て始めた。
眠ってしまったソウラの無防備な寝顔を見下ろす。
闘技場で見せた、天から与えられたような剣技を振るう男と、食堂のメニューに一喜一憂し、「楽しかった」と屈託なく笑うこの少年が、どうしてもうまく結びつかない。
掴めない人だ。
だが、確かに僕は今「またやろう」と言われたのだ。
絶望的なまでの実力差。それでも、”天剣”に認められた。そのことが僕の中で確かな自信になる。
静かに拳を握りしめる。窓の外では、一番星が瞬き始めていた。
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