天の剣(5)
【side:サヨ】
”青薔薇”にコーディ様が敗北したのを確認すると、僕は観客席を立った。
「ありえないじゃろ……。生成魔法をあの早さで……」
”青薔薇”でしか成しえない火属性魔法の猛襲に隣席はそんな声を上げている。いや、それでも、コーディ様なら勝てた。あの審判が判断を間違えただけだ。
足元のおぼつかない不健康そうな男を避けつつ、足早に敗北者が闘技場から出るための通路に向かう。
そして、暗くじめついた敗北者用の通路で待っていると、幾人かが通り過ぎた。僕は両手とつま先を揃えて静かに待つ。学院にも僕がハットン家のメイドだと知っている人間は少なくないだろう。
コーディ様の父君、ハットン伯爵は近年、新興貴族を屋敷に集め、夜会を重ねている。
名目は親睦。けれど、そんな綺麗なものではない。
四侯爵の一角、ヴァロワ家に叛心あり。そう囁かれ始めてから、伯爵様はずっと、その空くかもしれない席のことを考えている。“剣聖”が生きているうちは、誰も動けない。けれど剣聖も、もう齢八十を超えた。
ヴァロワが堕ちた後、次の侯爵に選ばれるのは誰か。
ハットン家は、そこに金を積んでいる。新興貴族どもを集め、笑わせ、酔わせ、借りを作らせる。
だから僕も、この学院に通う貴族の子息令嬢各位とは、多少の面識がある。
一人、僕の前に立つと舌打ちした。もちろん、面識があるからといって、好意的とは限らない。
「ふーん。アンタがいるってことは、あの三男坊も負けたのね」
凛とした佇まいに一つにまとめた赤い髪が腰のあたりで揺れている。ロナ・ボレアリスだった。
「お久しぶりです。ロナ・ボレアリス嬢」
「アタシが負けたのは悔しいけれど、あいつが負けると清々するわ」
僕がコーディ様付きのメイドとなって七年。ボレアリス家が伯爵位を取り上げられた五年前までは何度か社交界の場で顔を合わせている。
「相変わらず無表情ね、サヨ」
「コーディ様にそう申しつけられていますので」
「そ。あんな一族のメイドなんて、あなたも大変ね。どうせまだパーティーを開いては、成り上がりの男爵や子爵の機嫌取りをしているんでしょう。まったく浅はかな考え、うんざりするわ」
「伯爵様のお心内は僕には分かりません」
「あら、アタシには分かるわよ。ヴァロワの死肉を漁りたいんでしょう」
「ロナ嬢、お戯れを。お戯れと言えど、ヴァロワ侯爵のお耳に入ってしまえば……」
「別にいいのよ、アタシもう貴族じゃないし。ま、あんな一族のメイドのあんたが可哀そうよ」
「僕はコーディ様のメイドで嬉しく思っています」
僕の言葉を上辺の言葉と思ったのか、ロナは鼻で嗤った。本音だ。
「あの三男坊が大事なら、アタシとは会わせないようにすることね。あんたの主人たち、アタシ嫌いだから。殴りかねない」
「ご忠告感謝いたします。ロナ・ボレアリス嬢」
そう言うと、彼女は赤い髪を翻して去って行った。ハットン家が嫌い。それは僕も同じだ。だが、ロナ・ボレアリスは勘違いをしている。主人はハットン家ではない。コーディ様ただ一人だ。
しばらくも間を置かないうちに、向こうからゆったりとコーディ様が歩いてきた。あと数歩、彼女が去るのが遅ければ、二人はここで顔を合わせていた。紙一重とはこのことだろう。僕は手と足を揃えて、軽く頭を下げる。
「お待ちしておりました」
「あれが”青薔薇”か……。まるでインチキだな」
不服そうに鼻を鳴らした。
「しかし、もっと僕を苛立たせるのは僕の負けを宣言したあの審判役の教師だ。この程度、何ともないというのに……」
軽く火傷を負った首筋を撫でると、赤くなった皮膚が剥け始め、何もなかったかのように治った。《自己治癒》、ハットン家の秘伝の一つだ。
「寮部屋に戻るぞ、サヨ」
「承知しました」
そう言いながら彼は、右腕にはめた金属鎧と、腰に佩いた剣を外して僕に渡した。
僕はそれを丁寧に持つと、二歩後ろを歩いて付いていく。
「サヨ、お前は今回一回戦負けか?」
「はい、コーディ様がそのようにご命令されたので」
「……っと、そうだったな。次からは僕と当たるまでは本気でやれ」
「仰せのとおりに」
そんな会話を行いつつ、寮部屋に戻った。室内にはベッドが一つ。コーディ様と同室だが、僕は物置で寝るように言われている。
コーディ様が脱いだ皮鎧を片付ける。
「サヨ、首を見せろ」
コーディ様にそう言われ、僕はメイド服を少しはだけさせ、首を見せた。すると、彼は魔法陣を出現させた。魔法印は火。
「これを今からお前にぶつける。なぜだか分かるか?」
「いえ、分かりません」
「僕が怪我をしたのに、お前はしていないからだ。僕が怪我をしたというのに、僕である、サヨ、お前が怪我をしていないのはおかしい」
その通りだ、と思った。僕はコーディ様のものなのに。
僕の返事も待たずにコーディ様は拳大ほどの大きさの炎塊を放った。
ジュッ、と肉が焼ける湿った音がした。続けてメイド服の襟が焦げる鼻を突く。視界の端で弾けた熱に目が眩み、僕の喉から、意図しない呼気が漏れた。
「ぐっ……!」
何も身構えていなかった僕は思わず声が漏れる。それを聞いたコーディ様の表情は今にも泣きそうな顔になった。
――泣かないでください。
そう思ったのも束の間、みるみるうちに怒りの形相に変わり、僕は安堵した。
「うるさいぞっ!」
コーディ様はそう言うと僕の頬を叩いた。口の中に鉄の味が広がる。かなりの強さだったはずだが焼かれた首の痛みが強く、叩かれた頬に感じたのは衝撃だけだった。
「申し訳ありません」
彼は僕の悲鳴を嫌っている。それなのに声が出てしまった。床に体を付け、土下座のようにして謝る。冷たい板に額をつける。その時僕は、注文したカーペットがまだ届いていないことを思い出した。
「……ふぅ、分かればいい。首は痛いか? サヨ」
「はい、痛いです。コーディ様」
炎をぶつけられた頬の端から鎖骨までに脈を打つような痛みがあった。喋るだけでも皮が引きつり痛みが走る。痛みで少し顔がゆがむ。
すると彼は満足そうに、そして愛おしそうに笑った。
「そうだよなあ、痛いよなあ」
僕の頭を優しく撫でる。
「僕は僕だが、お前は僕だ。分かっているよな」
「はい、僕はコーディ様のものです」
そう返事をすると、コーディ様は僕の首の火傷に触れた。指先から、コーディ様の魔力が流れ込んでくる。それは冷たい川に入って最初は驚いた体が徐々に慣れて、温かささえ感じるようになっていくのに似ている。焼け付くような僕の痛みと、彼の魔力が混じり合い、かき混ぜられ、溶け合っていく。それによって僕と彼は一体になる。《自己治癒》を発動させ、僕の火傷を治す。徐々に熱と痛みが引いていく。
「疲れた。少し寝る」
彼をガウンへと着替えさせると、すぐにベッドへと行き寝息を立て始めた。
それが深いものへと変わったのを確認すると、僕は自室となっている物置へと帰り、そこにある姿見の前に立った。
先程治してもらった首にそっと触れる。首の根元に火傷痕が残っている。
いくら魂の形が似ているから《自己治癒》が効くとはいえ全く同じではないから完全に治らず、古傷のように残っている。
メイド服を脱ぎ捨てると、姿見に体中傷だらけの女が笑っていた。
脇腹に残る細い線。これは剣の稽古で苛立ったコーディ様が僕を斬りつけたときのもの。
太ももにいくつも残る傷跡。これは紅茶に砂糖を入れ忘れて鞭で折檻されたときのもの。
すべてたまらなく愛おしかった。
一つ一つ、丁寧になぞっていく。そうすると僕は、お腹の奥の方が煮えた湯のようにぐつぐつと熱くなるのを感じた。




