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魔導星の逆行と留について

【side:アルル・ヴェラ】


 象限儀から垂れた重りは、まだ揺れていた。

 重りが静まるのを待ちながら、私は窓の外に浮かぶ火の魔導星メメルスを見上げる。赤い星が煌めいている。じっと目を凝らしていると、明滅を繰り返しているような感覚になる。この時間が嫌いだった。魔導星たちはいつでも私にだけ強く瞬いているような気がする。

 背後で、ロナが大きくあくびをした。

「あたし、そろそろ寝るわね」

「あ、うん。そうだよね、もう遅いもんね」

「アルルも早く寝なさいよ、明日は朝から大陸史の講義なんだから」

「うん。でも、もう一回だけ計測しようかな」

「もう魔法のずれも二、三度くらいで済むはず……。いや、それが大事なのよね。でも、ほどほどにね。おやすみ」

 そう言うとロナちゃんはベッドへと転がり込んだ。三つ数える間もなく寝息が聞こえてくる。遅くまで付き合わせてしまったな、と反省する。ロナちゃんは毎日夜明け前から剣の素振りと走り込みをしている。眠気はかなりあったはずだ。

「……おやすみ、ロナちゃん」

 象限儀の重りの揺れはいつの間にか止まっていた。目を眇めて、照準板からそっとメメルスを覗く。近くに水の魔導星もあることに気が付いた。ちらっと一緒に観測してしまおうかと思った。けれど横着していい結果を得られたことはない。気持ちを切り替えて、二つの小さな穴の向こうの赤い魔導星を見据える。息を止める。穴の中で星が滲んでいる。ぐっと目を凝らす。ようやく視界が定まる。さらさらと羊皮紙に角度を記す。

 次に星時計を引っ張り出す。北極星と周辺の星の位置を確認して、目盛りをそっと合わせる。もう日付は変わっているらしい。メメルスの角度の横に時刻を書き添える。

 それから、横に置いたアストロラーベを回した。真鍮製。私が騎士学校に入ることが決まった日、孤児院の皆から贈られたものだ。少し錆の入ったそれに、油を差す。騎士学校時代は整備道具もなく、錆びさせてしまった。力を込めて回すと、小さく音を鳴らしながら盤が動く。そして、小さな夜天が完成した。

 先ほどの観測結果と合わせて、魔法式を組み立てていく。昨日の観測結果と比較しても、メメルスの位置に大きなずれはない。ただ、一週間もしないうちに星が逆行し始めるだろう。

 さらさらと羽ペンを動かしていると、机の端に置いてある手紙に目が留まった。孤児院からのものだ。繊維の粗い紙には幼い字がいくつも並んでいる。

『おねえちやんに おてがみを するのに ぼくも じを おぼえました』

 それを読んで笑みがこぼれる。みんなでピクニックをした話、毛布を手放さない子どもの話、新しく増えた本の話、たわいのない日常が、紙の中にそれぞれの字で詰め込まれている。

『会いたい』

 マーヤの字。それを見て、私の心は止まった。

 私だってそうだ。会いたい。孤児院に戻りたい。

 食堂の長椅子に詰めて座って、薄いスープをみんなで分け合いたい。

 冬になると隙間風の入る寝室で、毛布を奪い合って笑いたい。

 院長先生に、また背が伸びたねと言われたい。

 でも、ダメだ。戻れない。

 記憶の奥底。魔獣に私の住んでいた村が襲われたあの日。本当の父と母が無残に食い殺されたあの日。

 魔獣は、私を見ていた。真っ赤な瞳で、私を見ていた。

「戻れない。……だって、”青薔薇”は魔獣を誘引する」

 私の出した結論。

 魔獣は魂の無いことによる飢餓感で人を食らうらしい。ならば”青薔薇”たる私の魂に強く惹かれるのは当然だ。故郷が襲われたのは、きっと私のせいなのだ。

 戻れない。

 この聖騎士養成学院はいい。皆強いから。きっと魔獣に襲われても誰も死なない。

 だから私はここにいたい。

 左手の指先から小さな魔法円、魔法印、魔法式を順に放つ。小さな炎が灯る。それを右手で掴む。感じる熱さ、その後に手の隙間からわずかな煙。

 火傷した手のひらがズキズキと痛み始める。けれど”青薔薇”の私には小さすぎる罰だった。



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