9 単なる地方事務所の一係長の呟き
俺の趣味は埋もれた人材発掘。人事課一筋のツレが面白がってちょくちょく癖のある奴を部下に送り込んでくる程度には腕を買われている、と思っている。
それでも今年やって来た青山には当初全く期待していなかった。今度こそ本社から使えないお荷物が飛ばされてきたのだろうと思っていた。
たいていの新人は最初の数年、地方事務所で営業の仕事をやる。それから本社か大きな事務所へ配属され、そこで仕事のやり方を叩き込まれて主任になってから地方事務所へ行く。これがお決まりのパターンだ。優秀なら本社や大きな事務所へ戻されて出世コースに乗り、普通なら地方事務所を転々としながらボチボチと係長、課長となっていく。
だから本社に配属されていたのに主任になっておらず、地方事務所に転属というのは、基本的には「ない」話だ。主任にすることすらままならない、何らかの瑕疵がある奴だと見做されても仕方がないことだ。
いざ仕事をやらせてみると結構使えることに驚いた。指示された仕事は充分及第点が取れる内容で期限内に終わらせるし、上司のリードミスがあれば(酷く気を遣った言い方をするものの)問題点の指摘もできる。
ただ、チーフ的な仕事の仕方を全くレクチャーされておらず、そこは一から教えていかなければならなかった。こいつの教育係は誰だったのだろう。即時、閑職に飛ばすべきだ。教えてみればちゃんと並みに仕事が出来る奴じゃないか。
まぁ、まだ慣れないようで誰かに仕事を任せたり指示したりするのがたどたどしい。
下手に仕事が早いものだから、人に任せるのを面倒臭がって自分でやってしまったりするのも目に付く。とは言っても、あと1年も頑張れば課長が主任に推薦するだろう、というレベルだ。
「係長、お世話になりました」
「産休、明日からだっけ?」
青山の隣に座っている野村は産休に入る。
「いつになったら主任になるつもりだ?」
野村は苦笑する。新人の頃から有能そうだったから主任になれるくらい仕事を叩き込んでみたら、期待どおりメキメキ頭角を現し、本社から来た主任の肩書を持つ男性社員に遜色ない働きをするようになった。
野村は新人で配属されて以来、ずっとこの事務所で働いている。男性だったら、一旦、本社か大きな事務所へ異動している頃だ。女性の場合、最初の地方事務所勤務が長くなる傾向にある。昔は主任になって地方事務所に転属になった男と地方事務所にいる若い女の子が結婚するというのが定番だったから、結婚適齢期の間は最初の地方事務所から動かさなかった、その名残なんじゃないかと「意識高い系」の女性社員たちが愚痴を溢している。
社の方針として女性の管理職を増やしたいとか言いつつ、実態がこれでは何がしたいのか良くわからない。その上、野村本人は「結婚したばかりだから」「妊娠したから」と主任になるのは時期尚早なので人事評価を上げ過ぎないようにしてくれと懇願してくる。単なる地方事務所の一係長としては、これ以上何もできることはない。溜息をつくだけだ。
「そうですね。子育てが落ち着いたら、でしょうか」
「・・・勿体ない」
「子どもを二人産むとして、その育休が明けるまでに、たぶん4年くらいはかかりますよ。保育所が預かってくれるのはたいてい、7時から19時までらしいですし、預けた一年目の子どもは保育所で病気を伝染されて毎週のように熱を出すそうで、その度に休みを取って看病することになって・・・と考えたら、当分は出世できないような気がしますね」
野村が一息に言い切る。これだけ頭と口が回り、出産前に保育所の事情調査までしているのだから、これを主任にしないのは、やはり勿体ない。
「旦那にも手伝わせるんだろ?」
「もちろんです。でも、おそらく私の負担の方が多くなるんじゃないでしょうか。何かあったときに保育所が電話をかけるのは、お父さんよりお母さんだと思いますし。それに」
にっこり笑って野村は言う。
「勿体ないなんて言ってくれるのは、係長だけですよ」
それはそれで悔しいじゃないか。ほかの管理職は何を見てるんだという話だ。
しばらくして、野村の保育所に係る情報ソースが誰かが判明した。なんと、青山だった。
女性社員たちの噂話によれば、青山の嫁さんはバリキャリだという。家事・育児を青山が担っているらしく、子育て事情にやたら詳しい、らしい。
野村が産休に入ってしまってから、青山の育成に力を入れているのだが、こいつはどこまでも家庭優先だ。ゴミ集積場の掃除当番だとか、子どもの三者懇談だとか、そんな理由でよく有給を取る上、一分でも早く家に帰りたいという顔を隠さない。
野村の婿が青山みたいに家事・育児を担ってくれて、青山の嫁が世間の奥さん方のように家事・育児を担ってくれたらと、つい思ってしまう。何故うちの事務所だけが有能な社員を使えず損をしているのかと。それが歪んだ考え方だと頭では判っていても。




