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10 旅行

父親が勤続何年だかのご褒美に、会社から旅行券を貰えることになった。有給休暇を連続で何日か申請すれば、旅行券が貰えるというシステムらしい。もちろん、休暇の申請も旅行券を使えるのも今年度限りである。

有給休暇を取って旅行に行けという趣向なので、原則として平日の旅行となる。大抵は夏休みに家族揃って旅行に行くようだけれど、夏休みは両親の仕事が忙しすぎて「連続で数日有休をとる」なんてことは、とてもじゃないけど出来なかった。わざわざ子どもに学校を休ませてまで旅行に行こうと言うような人たちでもない(私もそういうのは好きじゃない)し、なんとなく時間だけが過ぎて行っていて、このままだと、いつの間にか今年度が終わってしまい、せっかくの「タダ同然で旅行に行ける機会」を逃してしまいそうだ。

私ももう高校生だし、数日、一人暮らしになったからと言って、そんなに困らない。たぶん。だから、提案してみた。

「私、お留守番してるから、二人で行っておいでよ」


淡泊な両親なら「そう言うなら」と、さっさと旅行の予定を考えるのかと思っていたが、そうならなかった。母親が全く乗り気でなかったのだ。「冬休みに父子で旅行に行けばいいのに?」というくらいの引き具合だ。それはそれで、ちょっと有り得ない。ただ、母子で旅行に行くのは・・・兄妹に見える?それともカップル?・・・それはそれで・・・色んな誤解を招きそうで怖すぎて、もっと有り得ない。

一方、父親は夫婦二人だけで旅行なんて新婚旅行以来だと結構乗り気な感じで、温度差が半端ない。

「だって、旅館の予約、男何人、女何人って申し込むやろ?」

そもそも母親は、いちいち本当に女性なのかを尋ねられ、説明するのが鬱陶しいと思っている。だから他人が「兄ちゃん」だと勝手に思い込むのを放置しているのだ。かと言って自ら男だと偽るのは嫌みたいで、本人的には、いろいろと葛藤があるらしい。

「それ、アメニティの用意のためやと思うで。普通に男女一人ずつって言えばええやん」

「フロントで、あれ?って思われるやんか。宿帳も書くし」

フロントで何だかんだ言われたり揉めたりするのが嫌なのだろうな。面倒なことこの上ないし。

「中性的な人やなって思われるだけやって」

「おばさんやって判ってたらそう思うかも知れんけど、何も知らん人が見たら・・・」

私の目から見てても、お母さんはお兄ちゃんにしか見えないって言いそうになるのをぐっと堪える。

そこでふと気が付いた。

「あのさ、お母さん、大浴場とか・・・当然、行かへんよね」

母親が眉根を寄せて頷く。

「女湯に入ろうとしたら、絶対、入口で止められるやろ?そこで揉めること考えたら・・・面倒くさすぎる」

「えぇ、そう?」

父親が大袈裟に驚くのは放置する。父親は母親が兄ちゃんにしか見えないことを決して認めない。それが思い込み故なのか、愛情故なのか、私にはよくわからない。

「大浴場へは行かれへん。無理」

断言する母親に、父親は残念そうだけれど、私は大浴場へ行かないのは絶対に正しい判断だと思う。

父親と母親の会話を聞いていると「二人で行っておいで」と提案したのは失言だったのではないかという気がしてきた。


それから父親は母親に大きなキャスケットとクラシカルな足元まで隠れる黒いロングコートをプレゼントした。それで旅館の人の目をごまかせばいい、という主張なのだろう。

こうして両親は2泊3日の旅行に行くことになった。いつも思うけれど、母親は最終的には父親に甘い。


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「この観光列車は新しい企画で非常に人気なんですよ。すぐに申し込まれることをお勧めします」

「個室は無理ですか?」

「個室は数が少ないので、販売と同時に満室になってしまうようです」

「そうですか」

そのお客さんはガッカリしたように肩を落とした。

検索してみると、予想通り個室は満席だが、まだグリーン車が数席残っている。それを伝えると、お客さんは少し元気になったようだ。

「では、隣あった2席を予約してもらえますか」

観光列車の魅力について話を振ると、お客さんは目を輝かせる。

「ロマンがありますよね。新婚旅行の時も飛行機で行こうという嫁を説得して観光列車に乗りましてね」

「列車の旅はゆっくりにはなりますが、その分楽しみも多いですからね。奥様とは何度も観光列車に乗られているのですか?」

お客さんは苦笑する。

「いえ、旅行といえば、子どもを連れてテーマパークへ直行直帰でした。夫婦二人の旅行も観光列車も新婚旅行以来ですね」

旅館の手配などを進めながら話を聞いてみると、どうやら結婚20年目らしいということが判った。

久しぶりの夫婦水入らずの旅行だと頬を緩めるお客さんを見ていると、ふと、ここで少しサービスすれば贔屓にしてもらえるのではないかと思いついた。今は閑散期なので旅館から何かしらのサービスが期待できるかも知れないと考えて、何気なく旅館への連絡欄に結婚20年目の旅行だと入力しておく。


旅行のチケットを取りに来たのは、お客さん本人ではなく若い男性だった。旅行保険を勧誘すると確認してみると言ってスマホを取り出した。スマホにお客さんの名前が表示されるのが一瞬見えた。

「もしもし・・・あぁ、うん。今、チケット取りに来てんねんけど。旅行保険どうする?って聞かれてて」

ぞんざいな物言いに、この人はお客さんの息子かとあたりをつける。ただ、先ほどの応対の雰囲気は、社会人としてきちんと訓練されているように見えた。結婚20年目なら子どもは未成年だと思うのだが、振る舞いがとても未成年には見えない。

「・・・うん?あぁ、要らんと思うよ。うん、わかった」

お客さんとは全く似たところが見つからないところをみると、もしかして奥さんの連れ子だろうか。タメ口なのは、ごく小さい時から親子として暮らしているから、とか・・・?

「すみません。保険は不要です」

電話はいつの間にか終わっていたようだ。頭を切り替え、旅行券をもらい、チケットを渡し、いつもの説明口上を並べる。自動化できるような機械的なやりとりだが、そう思われないように気を遣う。そう、いつものように。

「よい、ご旅行を」

「ありがとうございます」

男性の笑顔にちょっと面食らう。愛嬌(むしろ愛想か?)を振りまくような微笑みは女性の顧客からは年齢を問わずよく向けられるが、大人の男性からは初めてだった。


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帰ってきた両親からお土産をもらった。「美味しい特産Bランク菓子」をリクエストしたら、特産のサツマイモを使った芋けんぴを大袋で買ってきてくれた。学校へ持って行って部室でユキたちと一緒に食べるつもりだ。他にも個包装で日持ちしそうなお菓子やらお茶やらご飯の友やら消え物ばかりがどっさりあって、母親らしい土産物のチョイスだなと思う。

「旅館のチェックインは上手くいった?」

「お父さんに任せてたからね。フロントの前まで行かんとソファに座って荷物の番をしといた」

「仲居さんに部屋を案内してもらう時は?」

「まあ、大丈夫やったよ。カツラにマスクに帽子とコートで武装してたから。一言も喋らんかったし」

完全武装だったということか。まあ、それだけ隠していて黙っていれば、大柄な人だなというだけの印象かもしれない。夫婦だという先入観もあることだし。怪しさ満点だけれど。

「良かったね。いろいろ心配してたけど、無事、旅行を楽しめて」

母親は頷いた。お茶(これもお土産で買ってきたやつだ)をずずっと飲んで、少し眉をしかめる。

「ただね、一日目の旅館の部屋だけが残念やったわ」

それを聞いて父親は苦笑した。

「空きがあったからって、勝手に部屋がランクアップされててな」

「無駄にデカい部屋やった」

和洋室で、ベッドルームとは別に6畳の和室があったらしい。ゆったり連泊するならともかく寝るだけなのに無駄だというのが母親の意見。このあたりは色んな考え方があると思うけれど。

「普通クラスやけど内風呂が立派な部屋を頼んでたんよ。そやのにランクアップされた部屋はユニットバスで。しかも温泉でもなくて」

母親の顔色は渋い。大浴場へ行けない母親は、折角温泉地に行くのに温泉に入れないのは勿体ないからと半露天風呂(温泉)付の部屋を希望していたのだ。旅館の人の小さな親切は母親にとっては大きなお世話だったという訳だ。

「部屋の露天風呂目当てで泊まる人も普通に居ると思うのに」

「大浴場に入りたくない人も居るやろうしね」

さっちゃんのお母さんは乳癌で片側の乳腺を全部摘出した。もともと風呂好きでも温泉好きでもなかったから、手術後に一緒に旅行に行ったときは、皆が大浴場に行く時は「シャワーが浴びれたら平気」と言って部屋でお留守番していた。目立つ傷のある人たちの中には、普通に大浴場に入る人もいるし、ちょっと隠したりした上で入る人もいるけど、他人の目のないところで温泉に入りたいと思う人も一定、いると思う。

「こんな寒くなってから露天風呂もないやろうと思われたんかも」

それもそうだと母親は笑う。

「一日目の風呂は僕だけ楽しんでもて悪かったなぁ」

流石の父親も、大浴場へは駄々を捏ねることなく一人で行ったらしい。そこへ母親がちょっと嫌味っぽく付け加える。

「お父さんは「砂蒸し風呂」もやってみたらしいで」

砂蒸しとは、地熱で熱くなった砂地に埋まる蒸し風呂のことだ。

「まぁ・・・あれは、そない長い事埋まっとくもんやなくて・・・10分もしたら汗だくで出たから・・・」

父親が苦笑しながら言い訳する。

「砂蒸しって裸でするん?」

「いや、浴衣着て砂に埋まるんやけど」

砂蒸し用の浴衣に着替える場所は当然、男女別。しかも砂蒸し後は全身が砂まみれなので、風呂経由で着替える場所に戻らなければならなかったらしい。という訳で、母親は体験できなかったのだ。

「まぁ、でも他は良かったから、トータルでは楽しい旅行やったよ。間違いなく」

母親はそう言って、またずずっとお茶を飲んだ。

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