帰宅
私は、ようやくクレセントヒルズの終わらない地獄から抜け出せた。
駅前でイルカにお礼を言う。
「今日は助けてくれて、ありがとね」
本当に、イルカがいなかったら、どうなっていたか分からない。
イルカ様々ってヤツだけど、本人は大したことしてねーから、と照れ臭そうに呟いた。
「それより、明日、自分からウチの社長に言えよな。 エリスマン亭の外壁に緑のラインを入れたって」
「……分かってる」
どうせ隠せないし、イルカには全部話した。
私が、苛立って緑のペンキを塗った事。
その後、濱口塗装店の濱口社長に弱味を握られて、クレセントヒルズで働かされていた事。
イルカには、もしかしたら始末書を書くことになるかもと言われたけど、仕方ない。
背を向けて帰ろうとした時、イルカに聞かれた。
「まだ辞める気、ねぇよな?」
「……」
正直、自分の気持ちはまだハッキリしていない。
ペンキ屋は、私が興味ある建築業界というカテゴリーの中の一つの職種に過ぎない。
(でも……)
案外、この仕事は私に向いてるかも知れない。
体を動かして、頭はあんまり使わなくてもいい。
それに、ペンキストリートは週休2日だし、そこで働く従業員もかなりまともだ。
ヒロシさんと働いてみて、それは良く分かった。
「クビにされたら仕方ないけど、私からはまだ辞める気ないわ」
「……なら良かったわ」
そんなに私と仕事がしたかったのかしら?
すると、慌てた様子でイルカが言った。
「そ、そういえば、現場にいたヒロシってヤツ、去り際に気になること言ってたよな」
「ヒロシさん? ……何だっけ?」
「そっか、お前には聞こえてないんだったな」
心の声のことか。
イルカは、ヒロシさんの心の声を聞いたんだ。
「余裕かましてられんのも今の内だ、って。 アイツら、何か企んでるのかも知れない」
イルカ曰く、濱口塗装店がクレセントヒルズの塗装を完遂できれば、横浜界隈でかなり実績のある会社の仲間入りをするらしい。
競争相手として頭角を現すって意味だとしても、それは少し的外れだ。
何せ、ペンキストリートは社長のツテで市から仕事を貰っている。
そもそも競争相手なんていないから、まったり仕事が出来るんだ。
「念の為、俺は濱口社長に探りを入れてみる。 エリはゆっくり休めよな」
「あんまり、危ないことしないでよね」
そう言い残して、私は駅の改札を潜った。




