第三話 「しましたよ」
コンビニに立ち寄った後、陸上部電車帰宅組の一年は、
蒼生さん中心に4人で集団下校をしていた。
蒼生さんの他に、のぞみ、砂岡、そして俺。
新入りの蒼生さんには、好奇心旺盛な2人の高校生による質問攻めが待っていた。
俺はいつ「あの話」に触れられるのか警戒していたので、3人から距離を置き、
漏れ伝わる情報に聞き耳を立てた。
ここまでの盗聴内容をまとめると、
蒼生さんは陸上というか部活に入るのが今回初めて。
東京から転校してきたらしい。
そして、彼氏はいない…ということだった。
電車に乗ってからも尽きる事のない質問の途中で、砂岡だけ先に降車し、
そして俺とのぞみの降車駅に着いた。
だがドアが開いても、のぞみは降りる気配を見せない。
「今日は病院の日だからさ」
と伝えて軽く手を振り、車内にそのまま残った。
中学の体操部時代から続く右ひざのケガの治療で、
のぞみは隣駅の市立病院に毎週通っていた。
ホームには俺と蒼生さんだけが降りた。
改札の出口も、通り抜ける商店街も、俺と蒼生さんは一緒だった。
どこかの交差点で別れるのかと期待していたのだが、
蒼生さんは俺の横にずっと並んでいた。
このまま進むと、あの河原に出る。
やはり蒼生さんは、あの川の近くに住んでいるんだろうか。
この際、思い切って気になっている事を聞いてしまおうか。
今なら他の誰かに聞かれる事もない。
口封じも、どのみち約束しておかなくちゃいけないしな…。
俺は遠まわしに話を切り出してみることにした。
「蒼生さんは、あの河原の近くに住んでるの?」
「そうですよ」
「そう…」
あれっ会話が続かない…。
よし、やはり核心からズバリと切り出そう。
「あの、それにしても、昨日は何であんな所にいたの」
「それは秘密です」
あっ…そう…。とりあえず話は通じているらしいけど理由は教えてくれないのか。
まぁいいや。とにかくあの話の口封じをしないとな。
いつどこで変な事を口走られても困るし。
「昨日会ったのってやっぱり、蒼生さんだよね」
うなずいた。やっぱり。
じゃあ…
「あの事、人に言わないでね」
「あの事?」
何でとぼけてるんだよ…。具体的に説明しなきゃ分からないのかな?
「ほら、河原で見てただろ」
「はい」
「あれ、言わないでよ」
「色の事ですか?」
「色じゃないよ!…してたことだよ!」
どういう感覚してんだよ、この子。あいかわらず視点がマニアックだな。
だが蒼生さんは、すんなりと俺の提案を受け入れてくれた。
「分かりました。言いません」
「絶対だよ」
「はい。…でも、なぜですか?」
「なぜって、分かるでしょ?」
「よく分からないです。うんこしてたって言っちゃいけないんですか?」
「女の子がうんことか、言うな!」
突然声を張り上げた俺に、蒼生さんはちょっと驚いた顔をした。
「うんこって言っちゃいけないんですか?」
何でこんなに可愛く下品な言葉を言うのかな…この子は。
「ダメだよ。人前では…。はしたないよ」
俺が強く戒めると、蒼生さんは顔を赤らめてうなずいた。
でも、本題はそこじゃなくて…。
「蒼生さんねぇ、見てたと思うけど、俺は外でしてたんだよ。
体調が悪かったとはいえ、これは人間としてモラルに反する恥ずかしい行為だよ。
だから、他人に言わないでほしいんだ」
なんでこんなクソ丁寧に説明してるんだ、俺。
だか蒼生さんは、俺のお願いに悲しそうな表情を見せると、ぽつりとつぶやいた。
「外でするのはいい事なのに…」
何でそんなに野生児なんだよ。
しかも、うん○に対して尋常ならざる愛情を注ぎ過ぎだろこの娘。
この屈折した彼女の嗜好って他人にバレたらマイナスだよな。
そこも含めて、蒼生さんにはちゃんと言っておかないといけないな…。
「蒼生さん、君の趣味は尊重するけどあんまり人前で、
その……うん○とか言わない方がいいよ。
変に思われるから。昨日の俺との河原での事も、人には言わない方がいいと思う。
それを見ていた蒼生さんも変だと思われるだろ。
だから昨日の事は、お互いに黙っていた方がいいと思うけどな」
俺にしては、割と上手く言えた方だと思う。
蒼井さんは俺の顔を見据えると、
「分かりました。山吹君が嫌なら言わないです」
ようやく約束してくれた。
何だか寂しげな様子は変わらなかったけど…。
俺は、目の前の視界が急に明るくなったような気がしていた。
これでもう余計な心配をしなくていい。
いつしか俺と蒼生さんは、あの河原の土手まで歩いて来ていた。
少し先の河川敷に、あの一本の木が立っている。
蒼生さんの顔に強い夕日が差し込み、眼下の川面はキラキラしていた。
突然、蒼生さんは俺に鞄を預けると、
「ちょっと待っててもらっていいですか?あたしもしてきます」
と笑顔を見せて、あの大きな木に向かって走って行った。
蒼生さんの姿は一本道をなぞるように進み、木の裏側にすっと隠れた。
しばらく静観してみたものの、出てくる気配はない。
「今、してきますって言ったよな」
まさか…。
おい、ダメだろ!女の子だぞ!
夕暮れの河原に女の子一人というのも不用心なので、
心配になって木に近づこうと土手を降り始めたものの、
あんまり近くに寄るのもいかがなものかと躊躇した。
適度な距離を取るべきと思ったが、
この場合の適度な距離いうのがどれくらいのものなのか見当が付かない。
せめて様子が知りたいと耳をすましてみるが、
川の音とけたたましい虫の声で気配は消されてしまう。
実際に何かが聞こえてしまっても、問題なんだよな…。
川の向こう側の土手には、人や自転車の往来が見えるが、
距離が離れているので、多分こちら側は気にも留めていないはず。
俺は木かげで不審な行動を取っている不思議少女のために、何かと気を回していた。
ふいに、蒼生さんが木蔭から出てきた。
「終わりましたよ」
ほわほわとした笑顔でこちらに戻ってくる。
俺は何もかける言葉がなかった。
目の前に立つ彼女に鞄を渡そうとして、俺の抑えきれない疑問が口を衝いて出た。
「蒼生、……したのか?」
「しましたよ」
あっさりと答えた。
「お前、ありえないだろ!」
「えっ、何でですか!」
蒼生は頬をぷくっと膨らませた。
ものすごく可愛いいんだけど、ものすごくズレてる。
普通外でするか、女の子が。
でも、だよ…。
俺は先ほどから頭の中に浮かんでいた、ある可能性を確認してみた。
「もしかして蒼生、俺に恥をかかせまいとしてくれたのか?」
「恥? 何のことですか?」
「いや、その…お前いいやつだなと思っちゃったんだ。
つまり、俺一人に恥をかかせたくないから、お前もあそこでしたのかなぁと思って」
「えっ何言ってるんですか!そんなはずないじゃないですか!」
突然、蒼生が心外だという顔をして、怒り始めた。
「あたしはさっき牛乳を飲んだからなのか、したくなっちゃったからしたんですよ。
恥ってなんですか?」
いったい何が彼女の怒りの琴線に触れたんだろう。
恥ずかしい事なんかしてません!って俺の目を見ながらかなりご立腹だ。
どこまでが正気なんだ、この子。
俺は蒼生が、俺の醜態を見てしまった事に後ろめたさを感じて、
自分も同じように恥をさらし、
おあいこですよ…という関係を作ってくれたのではないかと思い込んでいた。
恥さらし、というステージに自ら降りてきてくれたのか、
と胸が熱くなっていたのだ。
まあ少年漫画ならやりそうな「友情ごっこ」みたいな事なんだけど。
結局、俺の思い描いた友情物語は、たった今ただの妄想と判明して終わりを告げた。
ただ結果として、俺と蒼生は同じ秘密を共有することになったのだ。
俺の家の前の道まで、帰る方向は一緒だった。蒼生の家はもう少し先にあるという。
別れ際に蒼生は、今日の夕飯は何ですか、と聞いてきた。
どこまで俺の食生活に関心あるんだよ、この子は。
夕飯の献立なんて、家に帰ってみないと分からない、と答えると蒼生は、
「バランスよく食べないとだめですよ。油ものは控えめに」
そう告げて手を小さく振った。
あれっ本当に蒼生は、こっちの方向だったのかな。




