出発
この小説は作者の独自解説が多分に含まれており、史実と違う場面が登場することをご了承ください。
「師匠、どうされたのですか?」
出立直前。
集合場所の港で待っていた佐助に声をかけたのは、何と師匠の半蔵だった。
「ついてこい」
言葉少なく言い放った半蔵は足早に去っていく。
「ま、待ってください師匠!」
驚き慌てた佐助が急いで追ったのは言うまでもないだろう。
「ここでいいな」
辿り着いた場所は静寂な林の中。
人は佐助と半蔵の二人しかいないと思えた、が。
「……」
少し離れた場所で佇んでいる女性を発見した。
一般の和服に身を包んでいるが、その身から溢れ出る気品を隠されていない。
帽子のため目元まで見えないものの、口元に浮かべた笑みは神秘的な色が宿る。
胸を上下に動く、手をはためかせる、髪をくゆらす。
そんな僅かな動作にさえ目が行ってしまうほどの器量。
佐助の命をかけても良い、あの女性は単なる一般人ではないだろう。
「って、やばい!」
一瞬とはいえ半蔵から関心を逸らしてしまった佐助は青くなる。
面と向かい合っているのに他に現を抜かすのは何事か。
そんな叱責を受ける未来を想像したが、意外にもお咎めはなかった。
(機会を逸したな)
叱責されなかったのは喜ばしいことだが、これであの女性について聞く時機が失われた。
髪の毛一本に等しい後悔が佐助の鼻を擽るが。
「佐助よ、選別として一つの忍術を授けよう」
「え?」
佐助は半蔵のその言葉によって女性への好奇心が完全に消えた。
「ど、どういうことでしょうか?」
佐助は声を上ずらせながらそう問いかけるが半蔵は答えない。
「説明する必要があるのか? あるとすればもう一度一から鍛えなおしだ」
逆にそんなことを言われれば佐助は沈黙するしかないだろう。
「時間が惜しい、体で覚えろ」
半蔵はそう言うや否や足を踏みしめ、一直線に佐助の元へ飛び込んだ。
「っ!」
佐助は半ば無意識的に後ろへ下がる。
意識は追いついていなかったが、これまでの経験が佐助の体を動かした。
「反射神経は上々……では通常の動作はどうだ?」
距離を詰め、回し蹴りを繰り出す半蔵。
「食らいませんよ」
死神の鎌を連想させる鋭い蹴りだが今回は佐助も準備が出来ていた。
右腕でそれをいなし、がら空きの脇腹に拳を叩きこもうとする。
「お前は馬鹿か?」
半蔵はそう呆れ声を出すと同時に半蔵の足が宙で止まり、その足を起点として地に着いた足が佐助を襲う。
佐助はそのトリッキーな攻撃に面食らったものの、一歩踏み込むことで危険地帯から逃れた。
瞬間、佐助のいた場所が消え去る。
佐助は破壊力の高さに内心冷や汗をかき、そして内臓を揺さぶる掌底を繰り出し命中するが、返ってきたのは岩を叩いた衝撃だった。
「攻撃力に難ありだがお前は手数で攻めるタイプだ。速さは申し分ないからよしとしよう」
無表情に。
脇腹をなでながらそうのたまう様子から、わざと攻撃を受けたのだと佐助は知る。
「……」
佐助は頬に伝う汗をぬぐう。
数瞬の攻防で息が上がっているのに、向こうは涼しい顔。
未だ一勝すら出来ていない、半蔵の壁がとてつもなく巨大だと痛感する佐助だった。
「佐助よ、忍術は使えるか?」
「はい、独学で少々」
教えてくれないのであれば自ら学べばよい。
そのことを半蔵は禁止していなかったので空き時間を縫って忍術の習得に励んでいた。
「風遁、カマイタチ」
半蔵は印を組み、集中する。
「っ」
何故か半蔵は行使する術を宣言したので佐助は対策を取る。
風遁に強いのは土遁。
佐助は土遁の印を組み、彼の身長ほどある土壁を出現させた。
「この場においては風遁の威力はあまり発揮されない」
木々に囲まれたこの環境だと風があまり吹かず、風遁の威力は減殺される。
逆に土遁はその豊富な土壌によって増大する。
最速とされる風遁より後に発動したにも拘らず間に合ったのは、そうした地形効果によるものだった。
「ジパング内でさえこれほど影響される忍術。ならば異国だと論ずるまでもないな」
「……」
土壁を壊し、再び相対した佐助は半蔵の言葉の意味を考察する。
他の神々が支配、または己と親しい神々が存在しない環境ならば、忍術は使えないかもしれない。
最悪、体術だけでの応戦を強いられてしまう。
「この技の理論は簡単だ、身に秘めた小宇宙を解放し、溢れ出る力の本流に身を任す」
半蔵はそう宣言した後、見たこともない奇怪な印を組む。
「佐助、よく見ておけ。これが大いなる存在と同化した動の奥義――神威だ」
――辺りが爆発したような錯覚に囚われた。
風が叫び、大地が震え、鳥や虫の怯えが直に伝わってくる。
「――佐助」
「っ!」
佐助が驚いたのも無理はない。
一瞬意識を逸らしただけで眼前の半蔵が消え、己の後方に立っていたのだから。
慌てて飛びのき、クナイを手にしようと腰に手を伸ばすが。
「遅すぎるぞ」
今度は半蔵の顔が間近にあり、手を強固に握られていた。
赤子と大人との戦いどころではない。
勝負が成立しないほど圧倒的な力量差が二人の間にあった。
「五秒後、風遁を放つ」
その言葉を聞いた佐助は弾かれた様に土遁の印を組む。
先ほどのやっつけ工事ではない。
本格的な、小規模な城戦用の土壁である。
佐助は独学なものの、忍術の才覚は平均を大きく上回る。
これと同じのを作るのならば同年代だと五人は必要だろう。
それほど重厚な土壁なのに。
「伏せろ」
豆腐を斬るかの如く一刀両断された。
半蔵の様子に気負ったものは見られない。
先ほどの風遁と同じ心境なのだろう。
「これが……奥義、神威」
佐助は圧倒的力の前に絶望を感じながらも、それを上回る喜悦を覚える。
神威という名にふさわしい技、もし自在に扱えればどうなるのだろう。
少なくとも今までの苦労を帳消しにしてもお釣りがくるぐらいである。
「佐助、腹に力を込めろ」
その言葉に佐助は咄嗟に力み、その後予測に違わない衝撃が彼の身を襲った。
「気絶しなかったのは褒めてやろう」
錐もみしながら飛んでいく佐助に対し、半蔵は誰にも聞こえない声音で呟いた。
「ああ、間に合いましたか」
佐助の姿を見つけたバベルは安堵のと息を漏らす。
「すまん、遅れて」
佐助は率直に詫びる。
実際は誰より早く来ていたのだが、それを言って追及されるのは面倒。
だから単純に遅れたと説明する。
「暴漢に襲われたのですか? 呼吸が不自然ですよ?」
が、目敏いバベルは佐助の異常に気付く。
呼吸だけでなく衣服にも土がついているなど怪しさ満点である。
「ほら、イズンも心配していますよ?」
バベルは後ろにいたイズンを前に押し出す。
「……」
バベルとでしか話せない彼女は引っ込み思案だが感情は豊かなようだ。
その目が、その態度が佐助に対して不安を訴えていた。
「本当に何でもない。誓って言えるが、お前達二人を煩わせることではない」
遅れた真意は半蔵による選別という名の訓練。
恨みを買う類ではない。
「心配しないでくれ……いつつ」
手を挙げた佐助に痛みが走り、思わず顔をしかめる。
少しでも気を抜いたのが不味かったらしい。
「本当に問題ない。だから船に乗ろう、そろそろ出発時間だ」
まだ警戒心が残る二人を置いて佐助は足早に船場へと急いだ。
バベルとイズンは佐助の後姿を眺めながら話す。
「あのこと、サスケに話せた?」
「いえ、それより先に行ってしまいました」
バベルは佐助にぜひ伝えなければならない話があったのだが、肝心の佐助に何かあったのか先に行ってしまう。
「イズンちゃんが気にすることではありませんよ、困るのは佐助さん自身なのですから」
佐助からすると受け入れ難いことだが、イズンやバベルからすると有難い話。
船に乗ってしまったらもう拒否は出来ない。
「さあ、イズンちゃん行きましょう」
バベルはそう声をかけた後、自分達の荷物を抱える。
「バベル、凄い」
細身の彼女のどこにそんな力があるのか。
二人分の荷物だけでなく、武器も軽々と抱えた。
「これが海か……」
波に揺られながら地平線の向こうへと目をやる佐助。
その目には不安と好奇心がない交ぜになっていた。
「隣、良いかしら?」
と、そこに声をかけられる佐助。
「ああ、別にいい――」
特段断る理由もなかったので顔を上げ、声の主を確認した佐助は固まってしまった。
雑木林。
ここは小高い丘となっており、船を含めた大海原を一望できる。
そこに立つのは二つの人影。
一つの人影は小高い丘の先端に立ち、その背後にもう一つの人影が存在している構図。
例えるなら、船出を見守る主人と、その様子を陰から守る従者である。
「行かせてよろしいのでしょうか?」
一つは佐助の師匠、服部半蔵。
彼は険しい視線を船へと向けながら敬語を紡ぐ。
「猿飛佐助は未熟、二人ならともかく三人もの身を同時に守れるとは思えません。しかもお館様の後継者とされる伊代様となると」
今頃佐助は驚いているだろう。
旅の同行者がもう一人、しかもそれが腐れ縁である伊代となると驚愕は倍増。
下手すれば海へ落としかねない。
まあ、それをさせんがためにあれほど痛めつけたのだが。
「よかろう」
威厳溢れる声音で半蔵の懸念を制す。
「伊代も戦闘巫女として相応の薫陶を受けてきた、贔屓目に見ても一対一で勝てる輩はそうおらんぞ?」
「一対一を含む戦闘なら同感です。しかし、わざわざ戦闘に持ち込まずとも勝つ方法は無数にあります」
相手の土俵で戦う義理はない。
試合でもないのだから、搦め手や卑怯な手を用いても許される。
「伊代様を含む戦闘巫女は純粋すぎるのです」
純粋培養で育った戦闘巫女の弱点を半蔵は憂いていた。
「――神託が無理難題を告げるのはいつものことじゃろう」
女性は目を細めて言葉を紡ぐ。
「だが、神託は決して不可能を口にせん。越えられる試練のみを伝える」
一見無謀に見えても、よく目を凝らすと突破口がある。
それが神託の特徴である。
「しかし……」
が、完全に守られるわけではない。
過去の神託も試練に屈服し、命果てた例もあった。
「半蔵、もしかして猿飛佐助が死ぬとでも?」
「まさか、道中で果てるような甘い訓練を課したことはありません」
女性の軽口に半蔵は確信の込めた口調で否定する。
半蔵は、佐助を鍛える際、常に戦場を意識していた。
暗殺や姦計の満ちた状況で生き残る術を叩きこんできた。
「もし死んでしまったのであれば、私は佐助の遺体まで行って、そこでともに果てましょう」
弟子の失敗は師の失敗。
己の甘さゆえ死んでしまったのならば、詫びとして己も死ぬのが筋。
それが半蔵の矜持だった。
「相変わらず厳しいのう」
そんな半蔵に女性は呆れとも感嘆ともつかない声を出す。
「そんなんじゃから猿飛佐助以外誰もついてこんのじゃ」
「私の矜持です。それを曲げるわけにはいきません」
「ほほほ、そうか。金剛石のような堅物じゃが、それ故信頼できる……こうしてお忍びで見送りに来れる程な」
腕を翼のように広げクルリと軽やかに一回転。
姿かたちこそ熟年の女性だが、その表情はうら若き乙女の笑顔だった。
「期待しているぞ、服部半蔵。わらわの懐刀よ。あの時の誓いのまま、護り通してくれ」
「力の及ぶ限り叶えましょう」
と、半蔵は一拍置いた後。
「卑弥呼様」
ジパングの長――女王卑弥呼の名前を口にした。
あの時、佐助と半蔵との戦いを一部始終確認していたのは国の長、卑弥呼。
佐助が目を奪われたのも仕方ない。
半蔵がそれを咎めなかったのも仕方ない。
むしろ無警戒ならば半蔵は佐助を半殺しにしていただろう。
神託を完遂できる根拠なしとして強制的に退場させていた。
「半蔵、心配せずとも良い。恐らくもう一度会うぞよ?」
「もう一度……ああ、あれがありましたな」
半蔵は卑弥呼の言葉の意味を察する。
「漢の見栄には困ったものだ」
何やら漢という国が関係しているらしい。
詳細は分からないが、半蔵は疎ましく思っているようだ。
「はてさて……若い者は当事者に、年老いた者は傍観者に回るのが世の常のかもしれぬなあ」
誰にも、半蔵に聞こえないよう、神と己のみ聞かせるつもりで卑弥呼はそう口にした。




