旅立ち前日
この小説には作者の独自解釈が多分に含まれ、実話と違う話が多々ありますが、ご容赦ください。
「ううう……」
夕刻。
学舎の前の長椅子で呻き声を上げているのは猿飛佐助。
その様相は獄吏に折檻を受けた囚人の様に青ざめていた。
「師匠……厳しすぎです」
そうなった原因は佐助の師匠である。
佐助としては外来人を送っていたのだから遅刻は致し方ないと伝えたが、師匠は違った。
『その受付は夜半でも空いているだろうが。何故発見したその足で役場へ向かわなかった?』
見ず知らずの外来人を一泊させ、あまつさえ訓練に遅れてくるなど言語道断。
その罰として佐助は本日一日の訓練内容を、重りを装着した状態で受けなければならなかった。
『佐助よ。遅いぞ、何をやっているのだ』
余談として師匠は重りなど無視しているかのように通常通りの動きを佐助に求めたと追記しておこう。
「これは不味い、整体術を受けなければ明日が死ぬ」
疲労と筋肉痛が酷いことになっている。
このままだと明日は身動きすら覚束なくなるだろう。
心身に喝を入れた佐助は立ち上がり、ゆっくりとした足取りで学舎を離れていった。
「ふう……スッキリ」
整体術を受けた佐助は別人のように晴れやかな顔となる。
術中はいっそ殺してくれと思ったが、終わってみると生きてて良かったと感じる。
まるで体が入れ替わった感覚だった。
「さて、これで遊ばず明日に向けて帰ろうか」
佐助は自らへと言い聞かすように呟く。
師匠の罰は今日で終わったと楽観しない方が良い。
最悪一ヶ月続くと予想していた方が精神的に楽だった。
「あ! やっぱり佐助だったのね!」
「うん?」
後方から凛とした声音が己の名を呼んだので振り返る。
巫女服に体を包み、黒髪を腰まで流した少女。
身長は佐助よりも高いうえ、しなやかな体つきはジパングの民として珍しい。
身体的に大人びた印象を与える少女だが、その顔は思春期らしく若さと希望に溢れ返っていた。
「やっほー、久しぶり」
「伊代か」
手を振る少女に心当たりがあった佐助はその名を呼ぶ。
「まさかここで会うとはな」
佐助は忍者の修業、そして伊代は巫女としての修練。
始めた当初はよく出会っていたが、互いに力がつくにつれ忙しくなり疎遠となっていた。
「立ち話もなんだ、夕飯でも食べるか?」
佐助はまだ夕食前なのでそう誘う。
「あら、良いわね。けど、佐助が全部払ってくれるのかしら?」
「その通りだ。幸いにも小金がある」
先日依頼を終えたばかり。
懐には余裕があった。
「へえ、良いじゃない。よーし、食べるわよー!」
「……おい」
拳を振り上げた伊代が向かう先は高級スキヤキ店。
修業中の者が行く場所ではない。
「だって精進料理に飽きたのだもの」
悪びれずに伊代はそうのたまう。
「久しぶりにお肉を食べたいわあ」
瞳を輝かせてそう訴える伊代を前にした佐助は何も言えなかった。
「うーん、美味しい!」
肉を頬張った伊代は舌鼓を打つ。
「これなら何枚でも食べられるわねえ」
余程美味しいのだろう。
普段の凛とした表情など跡形もなく蕩けさせている。
「そりゃあ人の金だからな」
対照的に佐助は不満顔。
「伊代の辞書に遠慮という言葉はないのか?」
「もちろんあるわよ。ただ、佐助は例外なだけ。それに先日副収入があったんでしょう?」
伊予はニイっと唇の端を吊り上げて。
「近場を荒らしていた赤鬼を単体で撃退するなんて佐助しかいないわよ」
「……」
何故その情報が伊代の耳に入っているのか。
佐助は気になったものの、副業云々の話は好かないので切り上げる。
「しかし、さすが外来からの輸入品」
佐助はネギを器に入れながら続けて。
「一般の鍋の味と全然違うな」
スキヤキというのは一般の鍋の出汁より味は濃いが、そのまま食べる。
このスキヤキは醤油を注いだかのように黒く、そして溶き卵に浸すのは佐助にとって斬新だった。
「ふっふーん。実はこれ、外世界じゃないわよ」
「ん?」
目を見張る佐助に伊代は鼻を鳴らして。
「肉の臭みを誤魔化すためにわざと濃い味付けをしているの。溶き卵もそう、ジパング元来の鍋様式じゃあ肉の存在感がありすぎて全体の調和を崩してしまうわ」
「ほう」
伊予の豆知識に佐助は深く頷く。
気にも留めない事項だが、そんな由来があったとは。
「それは知らなかった、ありがとう」
一つ賢くなった佐助は伊代に頭を下げる。
「形よりも行動で示してほしいわね。例えば“松”をもう一人前頼むとか」
「調子に乗るな」
伊予の軽口にそう肩を竦めたのは言うまでもないだろう。
「けちねえ……国を支える巫女に対してその態度は良くないわよ?」
八百万の神と対話・使役する巫女の存在はジパングの根幹。
彼女達の尽力あってジパングは栄えていた。
「それに、私はいくら食べても食べ過ぎることはないわ」
「ああ、伊代は戦闘巫女だったからな」
戦闘巫女とは戦いを念頭に置いた巫女。
スサノオ、クズリュウといった神々を己に憑依させて戦う。
一般に神降しと呼ばれ、万の兵を一人で壊滅させた巫女もいた。
「戦闘するのに何で精進料理ばかりなの? 根本的におかしくない?」
「肉や魚は体内の調和を乱す要素が大きすぎるからだろう」
伊予の愚痴に佐助は溜息を吐きながら。
「俺達ジパングの神々は自然と共にある。その神々は殺生で得た食物は好まれない」
ジパングの神々は円環といった輪廻を重視している。
その流れを無理矢理断ち切る殺生は忌避されていた。
「けどねえ、ガンダーラやシベリアの神々は違うわよ。ほら、阿修羅とか。あいつらを扱うのって肉や魚を食べないと体が持たないわ」
「極東の神秘だ」
伊予の言葉に佐助はそう断言して逃げる。
何故ジパングの巫女が外来の神を使役できるのか。
そのような類の問いかけが出た場合、そう締め括るのが暗黙のルールである。
「しかし伊代。普通に外来の神を使役したとかいうが……本当にお前は天才だな、戦闘に関しては」
他世界で育まれた神を憑依させるなど生半可なことで出来ない。
十人の巫女がいれば一人いるかいないかの希少さである。
「さすが将来のジパングの柱と評されることはある」
伊予の才能の高さは同年代に比べて比類なきもの。
順調にいけば卑弥呼と同じ位置に就くのは疑いなかった。
「止めてよ、そんな話」
急に不機嫌となる伊代。
「何で私はこのジパングに留まり続けなければいけないの。海の先にはもっと広大な世界があるのに、それを感じずに生涯を終えるなんて耐えられないわ」
エリートコースの道を目の敵の如く邪険に扱う。
伊予ほどの才能がある身にとってはジパングだけの世界など小さすぎるのだろう。
もっと大きな世界で己の実力を確かめてみたい。
ありありと訴えていた。
「……ま、分からんでもないよな」
意外にも佐助は肯定の意を示す。
その反応が予想外だったのだろう。
「そうよねそうよね。さすが佐助、話が分かるわあ」
伊予はそう目を輝かせて頷くが次の瞬間。
「で、本音は?」
「ビフテキやテンプラといった美味しい物を食べたい」
「……やっぱりか」
同意して安心させた後、絶妙の合いの手によって本心を暴露された伊代。
「ちょ、ちょっと待って! 今の無し!」
顔を真っ赤にさせた伊代が取り消しと叫ぶのは当然だと言えるだろう。
巫女がジパングの根幹を支える脳なら忍者はさしずめ目や手足といったところか。
様々な情報を正確に集め、中央へ伝えるのが忍者の仕事である。
特徴的なのはその訓練システム。
侍や巫女の様に一カ所に訓練生を集め、指南役が指導するのではなく、忍者は大体二―、三人、多くとも五人で一人の指南役といった少数精鋭システムである。
これは忍者の役割が多岐に渡るため、隅々まで目を光らせなければ中途半端で使えない忍者もどきの誕生を防ぐためでもある。
猿飛佐助の指南役は服部半蔵。
最も過酷な訓練を行う指南役として有名で、事実訓練生は佐助一人だった。
「よし! 休め!」
「……はぁー」
師匠の声によって佐助は逆立ち腕立てを止める。
「ひゃ……百回はきついな」
少しでもぐらつけばノーカウント、あごが地面につかなくともダメ。
何度もこなしているが、そのきつさは全然変わらなかった。
「愚痴を吐く暇があるのなら少しでも呼吸を整えろ」
「は、はい!」
厳しい口調で指摘されて畏まる佐助。
恐れ戦きつつも佐助は腹式呼吸を行い、体の疲労を抜かせようとしていた。
「佐助、灰色丸が辞めたぞ」
「……」
半蔵の報告に佐助は眉根を寄せる。
灰色丸とは最近入ってきた新人で、佐助と同じく訓練を受けていた。
辞めた理由は分かる。
術を教えるのではなく、延々と繰り返される反復練習に嫌気がさしたのだ。
半蔵以外の指南役では少なくとも複数の術を学んでいる。
が、半蔵の場合「百年早い」と言わんばかりに教えない。
事実、佐助自身も半蔵から術を教えてもらった覚えはなかった。
「はい、分かりました」
佐助はそう返事する。
寂しくないと言えば嘘になる。
「別れは何度経験しても辛いものですね」
灰色丸との別れと最初に経験した別れ。
比較しても甲乙つけがたい心の痛みだった。
「佐助よ、何故俺が弟子に術を教えないのか知っているか?」
珍しいことに半蔵は語り始める。
「火遁や水遁、忍術は自然に住まう神々から力を分けてもらっている」
術の行使の基本は巫女と同じ。
ただ、忍者の場合は人格を空け渡すほど神々に授けていなかった。
「つまりだ、ジパングから離れた世界だと忍術の威力は弱体化してしまうのが道理」
自然に存在する神々が減るのだから弱くなるのが当然である。
外の環境によって術は大きく左右されてしまうのである。
「ジパングのみ通用する忍者など必要ない」
忍術が得意な忍者は国内限定。
そんな輩が忍術界の大半を占めればどうなるか。
遠くない将来に滅亡が待ち受けている。
「だから己を鍛え上げるのだ。絶対量が少なくとも、変換する己自身が強ければ相応の威力を出せるだろう」
ゆえに半蔵は基礎練習や体術を繰り返す。
ジパング以外の世界でも通用する忍者を作り上げるためだった。
「はい、師匠」
師匠の長い語りを佐助は耳を澄まして聞き入る。
寡黙で厳しい半蔵がこうまで饒舌なのは珍しい。
必ず何かあった。
「本日の訓練はこれにて終わりにする」
唐突に半蔵はそう宣言する。
「え?」
まだ日も昇り切っていない時刻で切り上げ。
これから先どうするのであろうか。
「佐助、お前は湯あみをして体を清めろ。その後、十四時に奥ノ院の前で待機しておけ」
「理由を伺ってもよろしいでしょうか」
佐助がそう恐る恐るお伺いを立てると。
「その時に話す。しかし、その時に初耳だという顔をすれば折檻だぞ」
相変わらず厳しい。
時間までに内容を予測しておけという課題を出した半蔵に佐助は身震いした。
奥ノ院。
そこは女王卑弥呼がおわす場所。
長に決定を頂かなければならない最高懸案や来賓の者との謁見等、ジパングにおいて最も重要な施設であった。
「さ、猿飛佐助。た、只今参上しました」
平伏している佐助の声がつっかえたのは当然と言える。
何せ薄幕が張っているとはいえ卑弥呼が壇上に鎮座しており、左右には文武の高官が立ち並び、おまけに半蔵師匠まで末席に加わっていた。
佐助は初めて経験する重厚な緊張感に、己の体の感覚がなかったのを追記する。
果たして佐助の師匠である半蔵はガチガチになっている佐助をどう見ているのだろうか。
そのことも佐助の身を固くしている一つの要因だった。
「面を上げい」
そう威厳たっぷりに命令するのは卑弥呼――ではなく女中。
下っ端同然である佐助に卑弥呼から直々にお声をかけることはない。
「先日、神託が卑弥呼様に降りた」
「……」
神託というのは突発的に神々が巫女らに降りて言霊を使わすこと。
神託が降りることすら年に一度か二度、ましてやその依代となったのが卑弥呼となると国を挙げての一大事だった。
「その神託によると『猿飛佐助という名の忍者がこの世界に迷い来た外来人を元の世界に送り届けよ』とのことだ」
「は」
「その外来人とは、其方が連れてきた、イズンと名を受ける者」
(あの娘か)
佐助の脳裏に浮かぶのは言葉の通じなかった少女。
師匠から折檻を受ける原因となった忌まわしき存在である。
「もちろんお前一人とは言わん。通訳者をつけよう……バベル=ランゲージ!」
「ここに」
女中の言葉に一人の末席者が立ち上がる。
銀髪の妙齢の女性というのが第一印象。
柔らかな物腰に柔和な微笑み、くせ毛一つないロングヘアーなのも相まり母性を感じさせる。
と、優しそうな印象を与えるのに何故だろう。
この女性を信用することは危険であり、腹の底で何を考えているのか分からない、底なしの闇を抱えているように見える。
「あの、申し訳ありませんが」
他の人物をお願いできないでしょうか、と続けようとしたがそれは叶わない。
「その者はイズン殿と話せるだけでなく、道中の世界の言語を熟知しておる」
バベルとの同行は必須事項だと女中は言い切った。
「猿飛佐助よ、神託により旅立ちは明後日。それまでに全ての準備を整えておけ……これにて散会!」
二日後?
早過ぎるだろう。
佐助は抗議したかったが神託は絶対。
何人たりとも覆せない。
万策尽きた佐助は退去作法を行うと足早にこの場を去って行った。
「起爆札にクナイ、煙玉も足りないな」
家に帰った佐助は大急ぎで旅の準備を行う。
猶予は二日あると言ったが、様々な要素が加わり実質一日しかない。
その限られた時間を最大限有効に使おうと佐助は持ち物を確認していた。
「はてさて、他世界に行くにはどのような準備をするべきなのだろうか?」
ジパング内であれば何度も経験があるので準備は容易い。
が、今回は手探りの状態だった。
「とりあえず金と仕事道具、衣服は揃えるか」
何か面倒くさくなった佐助はそう結論づけようとしたその時。
「裁縫道具と肌に合う石鹸も用意しておくべきですよ」
と、佐助の背後からそう声をかけられた。
「こんにちは、猿飛佐助さん」
そうにっこりとほほ笑むのは先日に出会ったバベル=ランゲージだった。
「すぐにお茶を出そう」
佐助は中断して立ち上がる。
客が来たのに何も出さないのは失礼だという判断だった。
「いいえ、お構いなく。私は今日顔見せに来ただけですので」
が、バベルはやんわりと断る。
「ふむ……ジパングの民の欠点と言いましょうか、相当脇が甘いですね」
そして立ちながら論評を始めた。
「一度出会っているとはいえ、見知らぬ他人をみだらに家へ招き入れるものではありませんよ。悪意を持っている可能性も十分あります」
「確かにその通りだ。しかし、警戒しても意味ないだろう。貴重品など持っていないし」
「……まあ、確かに」
宝がないのに金庫を頑丈にしてどうする。
余計な疑念を持たせるだけならない方がマシだった。
「それに、少しでも悪意があれば。ほら――」
「っ」
その瞬間バベルの首先にクナイが突きつけられている光景が現れる。
「……なるほど、何時でも殺せるから問題ないと」
バベルは何が起こったのか、起こってからようやく理解が追い付く有様である。
「ところで佐助さん、人を殺した経験がおありで?」
「動揺一つすら見せずそう聞くお前を褒めてやろう」
「「……」」
バベルは柔和な笑みを。
佐助は冷たい表情を。
互いに全く崩さないまま動かなかった。
「中に入れ」
しばらく後、佐助はクナイを下ろし、バベルを改めて中へ招き入れる。
「それでは、失礼して」
今回は抵抗せずにバベルは敷居を跨いだ。
バベルは茶を一口含んだ後に口を開く。
「師匠が相当厳しかったようですね」
バベルは佐助を、主に肉体を中心に観察する。
「ああ、他意はありませんよ。私は放浪者なもので同行する人を知らないと落ち着かないんです」
身の安全を保障してくれる存在がない放浪者にとって頼れるのは己一人。
なるほど、人の見る目がないと死ぬな。
「警戒心に難ありですが、気付いてしまえば絶大な力を発揮する。これで一定の安全は保障されました」
そう安堵の吐息をつくバベル。
佐助にとっては何が何だか分からないが、信頼してくれたのなら喜ぶべきことだろう。
「こう見えても私、幾数もの世界を旅し、数多の言語を習得しています」
バベルは語り始める。
「なので基本的には私の判断に従ってください、私が危険だと判断した人には近づかないでください」
柔らかな口調だが言いたいことは、自分がリーダーを務めるという意思表示だった。
「……」
が、佐助にとってその提案を受け入れることが出来ない。
初印象といい、先ほどの態度といい、佐助はバベルを全面的に信用することが難しいのである。
「突然会って、何から何まで従えというのは無茶ですね。だから私はこれを佐助さんに渡します」
そう前置きして取り出すのは一本のナイフ。
ジパング語以外の文字が彫ってあることから、異国の代物だろう。
「もし私が信用できなくなればそれで私を殺してください」
あっけらかんとそう述べるバベル。
「私の命、佐助さんに預けます。だから私の命令に従ってください」
そう告げたバベルの瞳には覚悟の光がある。
なるほど、ここまで決意が固いのか。
佐助は内心吐息を吐く。
一般に命を預けるというが、場数を踏んだ熟練者ほどその言葉は滅多に発せなくなる。
それぐらい己の命は尊く、誰かに預けることは容易に出来ないのである。
それをバベルはやった。
見るからにバベルもベテラン。
ならば佐助も応えないわけにいかなかった。
「承知した」
佐助は重々しくそう告げた
「俺はあんたに従う、もし俺達を危険に陥れると判断したら即座に命を貰う――それで良いか?」
「――ええ、もちろん」
佐助の断言した口調にバベルは何故か少し目を見開く。
が、次の瞬間には元の柔和な笑顔を作った。
「では、これにて失礼します」
音もなく踵を返すバベルは続けて。
「御機嫌よう猿飛佐助さん。良い旅にしましょうね?」
誰をも魅了する甘い笑みを佐助に向けた。




