十二話:橋の上で一曲
昼時を越え、太陽が真上を通り過ぎていく。お腹をすかせた人々は、宿からぞろぞろと顔を出した。そうしてあっという間に喧騒はやってくる。鳥たちの歌声も聞こえなくなるほどの話し声が群れを成した。
ニトとイリスは、国で一番大きな橋、ル・ジェルの上にやってきていた。サン・コロネール門を後にした二人だったが、イリスの「すこし寄りたいところがあるんだけど」という言葉でその場所に行くことになったのだ。
吹いた風は、春を過ぎ去ったおおよそ夏の始まり辺のもの。ニトは照りつける太陽のじとりと迫る暑さを感じ、歩いた疲れも相まってへたれていた。
「なぁイリス、こんなところで何をするんだ?」
ニトの言葉に、イリスは得意気な視線を返すだけだった。
ル・ジェル橋は石造りの頑丈な欄干をずらりと渡らせており、荘厳な装飾に幾人かの旅人は足を止めそれを眺めていた。下を流れる大きな川はサンコロネール門と同じく神聖視されている。住民の多くがこの川に依存した生活をしており、たった今も川の縁で祈りを捧げる集団がいた。おそらくは宗教集団だろう。
「さて」イリスの元気な声がニトの耳に入った。いよいよ何かをするつもりらしい。イリスは橋を通っている人たちを楽しそうな瞳で吟味し始めた。
一瞬イリスが目を光らせたと思った次の瞬間、彼女は背負っていた弦楽器を片手に持った。
「そういうことか」ニトは背筋を伸ばした。人が出てきたからひと仕事する。吟遊詩人としては当たり前の行動なのだろう。
だがまてよ、とニトは思った。イリスは弦楽器が引ける。詩も歌える。自分は何もできないではないか。せめてピアノでもあればまた話は変わってくるが異世界にそんなものがあるはずがない。
ニトは自分の格好を見るが、どうみてもピーターパンである。さくらには向かないなと思った。
ニトはイリスに「俺にできることは?」と尋ねた。
「そうね、なら踊ってくれる? できなければ拍手でも歌を歌うのでもいいわ」イリスは涼し気な顔で言ってのける。
「踊る・・・? 歌うの・・・? 俺が?」
「ええ、そうよ。ファイト!」
「ちょいまって!?」
言うが早いか、イリスは楽器を弾いていた。伸びやかな音が響く。曲調はケルト民謡にも似ている気がした。いささかテンポの早い曲だが、なるほど人目を引くには調度いいな、とニトは思った。
しかし、感心している場合ではなかった。周りに人が少しずつ集まって来ている。
こうしてはいられない。何かしなければ。ニトの頭にそんな言葉がよぎる。
咄嗟に頭の中で何か光がはじけた気がした。次いで一枚の絵が脳裏に浮かぶ。
それは今ニトの頭の中を完全に塗り替えた。
その絵の名前はーーーー『農民の踊り』ブリューゲル作。
「しょうがないやってやるか」
ニトは楽しそうにステップを踏み始めた。ダンスのダの字も知らない農民のように、好き勝手、リズムに合わせ足を動かす。手も拍手をしたり天を仰いだり。まるで見世物小屋のチンパンジーのようだと自分で思いながらも、使命感に駆られて体が動いていく。
なんだか、少し楽しかった。
イリスの曲が終わる頃には、幾人かの客がニトとともに腕を組んで踊っていた。帽子をかぶった紳士が、イリスに笑顔で二三言言っておひねりをあげている。
他の客もニトとイリスの笑顔につられて笑っていた。
やがて仕事を終えたイリスが、小銭をいっぱい入れた帽子を手に、ニトのもとにやってくる。先程までいた客は、みんななにかしらの言葉をイリスに告げて去り、いまはもうイリスとニトの二人だけとなっていた。
「やるじゃないニト! やっぱり私達はすごいのよ! 今日は大盛況、お金もいっぱいもらっちゃったわ!」
「イリスの曲も良かった。なんというか、楽しかったよ」
イリスはベストからハンカチを取り出した。それをニトの額に当て、汗をぬぐっていく。
「お疲れ様、ニト」
「は、恥ずかしいからやめてくれ」
「ふふ、じゃあ私の汗もぬぐってくれるかしら? それでおあいこでしょ?」
そういう問題ではないんだが、と思いつつ言われるままニトはイリスのハンカチを持たされた。上部がニトの汗で濡れていたため、まだ使われていない部分をイリスに当てる。
まだ楽しかった熱が冷めない。自然と言葉がニトの口から漏れた。
「俺、最初は吟遊詩人としての旅って何なのかって思ってけど」
イリスが「けど?」と期待した笑みを見せる。ニトもつられて口角が上がる。
「こういうのなら、ありだな」
「ふふ、そうでしょ?」
本当の意味での二人の旅は、もしかしたらここから始まったのかもしれない。
薄情だと思っていた空は、清々しいほど青かった。




