Breaking God 取引10 〜網代恒一〜
どれだけ走っただろう。
大した距離ではないはずなのに、疲労で足が重い。
一歩進むたび、腹の奥がズキリと痛む。
「っ……ぐぞ……」
道の端へ顔を向け、こみ上げた胃液を吐き出す。
中身なんかもう残ってない。
口元を袖で拭い、また走る。
もはや歩くと言った方が正しい速度かもしれない。
いつの間にか、周囲の光が減っていた。
背の低い建物。
ひび割れた石畳。
一帯に漂う、腐った魚と汚水の臭い。
知ってる道だ。
旧港区の中まで戻ってきた。
あの角を曲がれば、廃魚油蔵が見えてくる。
——助かった。
そう思った直後。
「ぁぐっ――!?」
横から腕が伸びた。
首に巻き付き、身体が後ろへ引き戻される。
声を上げようと踠くも、口元に何かが押し当てられた。
布。
湿った布だ。
「ん゛――っ!んん゛っ!!」
刺すような刺激臭。
獣臭さと、アンモニア。
その奥に、少しだけ甘ったるい香りを感じた。
全身から力が抜けていく。
視界が歪み——意識が、途切れた。
◇◆◇
「ぐっ……」
痛みと共に目が覚める。
腹が痛い。
頭が重い。
口の中には、胃液の不快感。
……何処だ、ここ。
ぼやけた視界の中、石壁が見える。
身体を起こそうとして――動かない。
ギシッ、と木材の軋む音が鳴り、身体が椅子に縛られている事に気づく。
両腕は背もたれの後ろ。
手首をまとめて縛られ、足も椅子の前脚へ固定されている。
「……」
息が浅くなる。
鼓動がうるさい。
捕まった。
命懸けで逃げたのに。
今度は肉壁もいない。
……落ち着け。
何かある。
何かあるだろ。
逃げ道とか。
縄切れるものとか。
何でもいいから、何か。
独房と呼ぶにふさわしい、薄暗くて狭い部屋。
調度品らしきものはない。
強いて言えば天井から垂れる硝子灯と、俺を縛る椅子くらいだ。
窓もない。
四方を囲む石壁は、黒ずんだ汚れが染みついている。
頭上の硝子灯に、仄かに光が灯った。
ガゴンッ、と鈍い音が響く。
正面の石壁に亀裂が走り、そのまま壁が外側へ開いた。
「よお、マヌケ面」
「……っ」
マッチョが立っていた。
「今度はちゃんとお話ししようぜ」
マッチョが身を屈め、狭い入口を潜る。
その巨体の後ろから、もう一人。
白い法衣を纏う、壮年の男。
「まったく……毎度毎度、どうしてこう余計な仕事を増やすのですか」
丁寧な口調。
髪は綺麗に撫でつけられ、首には銀色の装飾品を提げている。
まるで牧師だ。
薄汚い独房には、あまりにも場違いな人物。
内側に光を宿した水晶を、両手に抱えている。
「『念話水晶』ですよ?持ち出すだけでもどれだけ手間が掛かると思っているのです?」
「うるせえな。必要なんだから仕方ねえだろ」
マッチョが親指で俺を指す。
牧師の視線がこちらへ向いた。
「……共通語彙も通じず、簡易の<念話>では単語の意味すら読み取れなかったと」
「ああ」
牧師が顎を摘み、何かを考え込む。
だがそれも一瞬の事だった。
「まあいいでしょう。コイッティーさん、でしたね?あなたにいくつか質問が——」
「待てよ」
マッチョが言葉を遮る。
拳を握り、指を鳴らした。
「痛めつけんのが先だ。1回ボコらせろ」
「……はぁ、まったく。手早く済ませてください」
ニヤけるマッチョ。
その眼には、明確な怒気が宿っていた。
「んのクソみてえな魔物連れ歩きやがって。何だよあいつ"小鬼"じゃねえだろ……おかげでこっちはこのザマだぞ」
マッチョが自分のこめかみを指差す。
もう傷らしい傷は見当たらない。
けれど、さっき壁まで吹き飛ばされたことは相当根に持っているようだ。
「てか街中だぞ?衛兵が嗅ぎ回ったらどうしてくれんだよ」
「待ちなさい……!」
牧師の声が低くなった。
「あ?」
「なんですかその話は?そんな報告受けていません……!それに衛兵だけならまだしも、教会まで調査に動けば私にも――」
「てめぇが気にすることじゃねえ!!」
マッチョが怒鳴る。
牧師は口を閉じた。
数秒。
冷たい目でマッチョを見つめる。
「……あなた方がどうなろうと構いません。ですが私を巻き込んだ場合は——分かっていますね?」
「チッ、外道が。わーってるよ」
マッチョが再びこちらを向く。
さっきより更に機嫌が悪そうだ。
「いや、ちょっ――」
拳が飛んできた。
避けられるはずもない。
顔が跳ねる。
「ぁぐっ!」
椅子ごと横へ倒れそうになり、マッチョが背もたれを掴んで無理やり引き戻す。
2発目。
今度は腹だった。
「————うぶっ!?」
息が詰まる。
体内を液体が逆流。
無意識のうちに吐き出したそれは、胃液にしては赤すぎた。
「ハハッ!」
マッチョが笑い、3発目が飛ぶ——その前に、牧師が口を挟んだ。
「遊ぶのは仕事が終わってからにしてください」
「……クソがよ」
マッチョが不満そうに離れた。
交代するように、牧師が俺の前に立つ。
翳された掌から、淡い光が溢れ出す。
温かい。
殴られた箇所から熱が引いていく。
口の中の傷が塞がり、腹の痛みが急速に消えた。
牧師が手を下ろす。
「顔色が悪いですね」
薄気味悪い、優し気な声。
「私の問いには答えた方がいい。何度も痛い目には遭いたくないでしょう?」
「……」
どういう意味だ、と考えた直後。
「こういう事だよマヌケ面ァァ!!」
「がっ……!?」
後ろに下がったマッチョが再び殴りかかってきた。
「ああ!クソゴブがぁ!てめぇ見てると思い出してムシャクシャするぜ!」
一言発する度に、マッチョは俺を殴った。
意識が飛びかけるも——淡光がそれを許さない。
牧師が俺に掌を向けていた。
「今ので分かりましたね?彼が壊し、私が治す。死ぬ事も狂う事も許しません。お早めに答えていただけると助かります」
時間は有意義に使わなくては。
微笑みを浮かべたまま、そう告げた。
「……」
恐怖が思考を支配する。
部屋は冷えているのに脂汗が止まらない。
「薬の出所、は勿論ですが。その前にこちらから」
牧師はお構いなしに進めていく。
「ここに運ぶ時、貴方が抱えていたものです」
取り出したのは、俺のPCだった。
「奇妙な品です。術式も、魔石もない。魔力を蓄える構造すら見当たらない」
指先で天板を撫でる。
「にもかかわらず、貴方から一定以上離すと消失する」
「……っ」
心臓が跳ねた。
「ここへ運ぶ途中、一度私の手元から消えました。次に見つかった時には、気を失った貴方の傍にあった」
「……」
そんな機能知らない。
……いや、さっきも同じことが起きた。
廃魚油蔵に置いてきたはずのPCが、あのボロ屋に現れた。
「加えて、消失する際一瞬だけ流れた魔力の揺らぎが……少々、見覚えのあるものに似ていた」
牧師が目を細めた。
「これは何です?」
「……」
答えないと。
でも、何て言う。
パソコンです。
ネットに繋がります。
ダークウェブで買物できます。
さっき本当のことを話して、訳が分からないと殴られた。
今度は何を言えばいい?
「……」
分からない。
口を開けても声が出ない。
張り付いたように、喉が開かなかった。
牧師の表情が少しずつ冷めていく。
「……なるほど」
違う。
待ってくれ。
喋らないんじゃない。
「口を割るつもりはない、と」
違う。
そうじゃ――
牧師が法衣から細長い金属針を取り出した。
「では、少し方法を変えましょう」
黒ずんだ、銀色の針。
露店の串焼きに使われている串と、丁度同じくらいの太さと長さ
「これは傷の治癒を阻害する金属でして」
マッチョに髪を掴まれる。
「ま、待っ――」
針先が頬に触れた。
「ひっ……!」
「通常の治癒術では、この傷は塞がりません」
「やめ――」
頬を貫いた。
「――――あ゛ぁ゛ッ!!」
口の中へ針先が抜ける。
悲鳴が狭い部屋に響いた。
「ではもう一度。これは何です?」
「……」
答えないと。
分かってる。
分かってるのに、声が出ない。
何を言えばいいのか、恐怖で頭が回らない。
「……そうですか」
2本目。
「や、やめ――ぎぁっ!!」
反対の頬を貫いた。
痛い。
痛い痛い痛い。
涙が止まらない。
口の中に鉄臭い味が広がる。
「しゃら臭ぇな」
マッチョが針の束を掴む。
「一気にやりゃいいだろ、こんなもん」
「――――がぁ゛ッ!!」
針山にマチ針を戻すような無造作さで、マッチョは次々と俺の頬に針を刺した。
右から入った針が左から抜ける。
何本かは舌も貫いた。
身体が跳ねる。
縄が食い込む。
牧師が針を引き抜き、掌を翳した。
淡い光。
だが——頬も、舌も。
痛みは消えない。
「先ほど説明したでしょう。それで付けた傷は治せません」
血の気が引いた。
治らない?
このまま?
舌が裂けてる。
頬には穴が残ってる。
ずっと?
「い、嫌だ……」
痛みとは別の恐怖で、身体が震えた。
「それでは改めて――」
――ペコン。
PCから音が鳴った。
牧師の手が止まる。
「今のは?」
目を見開き、問いかける。
「今の音は何です?」
「……」
「何が起きたのです!?」
肩を掴まれる。
さっきまでとは違う。
明らかに興奮している。
「答えなさい!」
「わ、分から……」
ようやく声が出た。
舌が痛い。
まともに発音できない。
「見ないと……分からな……」
「見れば分かると?」
何度も頷く。
牧師が、じっと俺の眼を覗き込む。
「では、その前に答えてください」
PCを持ち上げた。
「これは何をする物です?」
「……買い物」
結局、どう言葉を選んだところで、これ以外に説明が思いつかない。
「買い物?」
「これで、物を、買える……」
牧師の目つきが変わった。
「薬も?」
「……」
……ギャングと違って理解が早いな。
頷きで返す。
マッチョが眉を寄せる。
「何言ってんだ?」
だが牧師は違った。
「なるほど……!」
PCを食い入るように見る。
「物品を取得するための神器ですか……!ハハッ、面白い!」
神器……?
聞き覚えがある。
確か、前にカルミナが——
「何が買えるのです?どこから届く?代価は?先ほどの音は何です?」
矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「ま、待って……」
頭が追いつかない。
「見ないと……だから……」
「あなたなら操作できるのですね?」
頷く。
牧師は少し考えた後、マッチョを見た。
「縄を切ってください」
「は……?バカかよ。逃げるぞ」
「この部屋から?」
牧師が周囲を見る。
窓もない。
出口にはマッチョ。
「それに、それを防ぐのも貴方の役割でしょう」
「……チッ」
マッチョがナイフを抜く。
縄が切られた。
力の抜けた腕が前へ落ちる。
「さあ」
PCを差し出された。
「見せてください」
震える手で受け取る。
膝の上に置き、ゆっくりと開いた。
画面が灯る。
見慣れたサイト。
そして——
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【実績解除】
◆ はじめての殺意
取引資格が更新されました。
【Guns】
閲覧権限:一部付与
購入権限:一部付与
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【実績解除】
◆ はじめての拷問
取引資格が更新されました。
【Equipment】
閲覧権限:一部付与
購入権限:一部付与
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
実績解除。
【Guns】。
その意味を理解するまで、数秒かかった。
「……」
銃が――買える。




