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Breaking God 取引9 〜網代恒一〜

 袋小路の壁を越え、民家の庭を横切る。

 側溝に隠された階段を降り、狭い路地からより細い道へ。

 

 路地裏のさらに裏。


 ナイトツアーの終点は、大通りからそれほど遠くない、だが知らない者にはまず見つけられないだろう小さなボロ屋だった。

 

 「……」


 もうね、絶対罠。

 

 どう見ても病院じゃない。

 むしろここで事件とか起きて怪我人出そうな雰囲気。


 どうにか隙見て逃げなければ。

 そう思うものの――


 『質問シマス』


 残念ながら、その判断は少し遅かった。


 道中、一言も発しなかった指輪男が口を開く。

 冷たいものが喉元に触れた。


 「おっふ……」


 短剣ですわ。


 待て待て待て肉壁(ゴブリン)は!?

 こういう時のために連れてきたんだぞ仕事しろや!

 

 目だけ動かして周囲を探る。

 いた。


 前を歩いてた長髪の男に背後から押さえ込まれ、俺と同じ様に短剣突き付けられてる。

 

 つ、使えねえ。

 

 さらに視線を巡らせると、入口を塞ぐように立つ仁王立ちマッチョと目が合った。

 

 ……あれ。

 これ結構やばくね?


 何とかなると思って余裕こいてたけど、よく考えたら2対3で普通に不利じゃん。


 しかも2のうち1は俺。

 戦闘力ゼロどころか、足引っ張ってマイナスまである。

 

 もう1匹の護衛にしたって"小鬼(ゴブリン)"だ。

 群れると厄介だが、単体では弱めの魔物らしい。


 喉に当たる刃が嫌に冷たい。

 や、やらかしたかこれ……?

 

 長髪がポケットから何かを取り出した。

 続けて指輪が俺に問う。

 

 『アレハ何ノ場所』

 「え、場所?……すいません、言葉わかんないです」


 マジで何言ってるのか分からん。

 指輪の男は長髪の手元を指差している。


 暗くてよく見えない。

 けれど、目を凝らして――背筋が冷えた。


 袋だ。

 透明な小さい袋。

 表面に油性ペンらしきインクで何か書かれている。


 『故買屋、薬、売ッタ。オ前、仕入レル、何ノ場所』

 「っ!?」


 心臓が、どくんと大きく脈打った。


 こいつらドラッグの仕入れ先聞いてやがる……!

 

 まずい。

 まずいまずいまずい……!


 てっきり狙いはカルミナだと思っていた。

 ここ数日、スラム住人から探りを入れられる事が何度かあったのだ。


 新参者が始めた新規事業——俺たちで言えば呪術を使った何でも屋——が自分の縄張りや既得権益を荒らさないか、それを確かめるための牽制。


 こういう土地じゃ珍しくもないらしい。


 今回もその類かと。

 知らんふりして、適当にとぼけて、はぐらかすだけ。

 俺の得意分野だ。

 簡単にやり過ごせる。

 そう思っていた。


 だが違う。

 何で気づかなかったんだ。

 その手の映画やドキュメンタリーは散々見てきたのに。


 改めて男達を見回す。

 ガラの悪い、粗暴で威圧的な雰囲気。

 けれど、スラムで見かけるゴロツキより少しだけ身なりが整っている。

 

 ギャング、マフィア、カルテル、ヤクザ。

 呼び方なんて何でもいい。

 そういう類の連中だ。

 

 既得権益——ドラッグビジネスに手を出したのは、俺の方だった。


 「ネ、ネットで……いやPCっていう道具があって……掃除機買おうとしたら、間違って知らないブラウザ開いて……」


 気づけば、俺はダークウェブの説明をしていた。


 沈黙が怖かったのだ。

 1秒でも黙れば、喉元の刃がそのまま横へ走るかもしれない。


 そんな考えが浮かんで、めちゃくちゃな軌道で回転し始めた頭を必死に動かして。

 嘘偽りなく、ドラッグの出所を話した。


 一通りの説明を終える。

 指輪の男は眉を八の字にし、ぽかんと口を開けていた。


 『……オ前カラノ話ハ、私へノ不理解』


 困惑した声。

 そりゃそうだ。

 でも他にどう説明すれば良いか分からない。


 「*+%#」


 マッチョが何か言った。

 指輪の男はビクリと肩を跳ねさせて、慌てて返事をする。

 

 『コレノ説明ハ理解不能デステ、何ノ場所、分カリ得ナイモノ』


 男の言葉が指輪を通じて俺にも伝わる。

 声が微かに震えていた。


 「‘*‘;”%’@」

 『薬トリップハ、無シ。単語ハニュアンスヲ明確ニ受ケ取ル。脳ヲ正シク動カス、シテイル』


 はあっ、とデカいため息を零し、頭を掻きながらマッチョが近づく。

 指輪の男が横に掃け——ようとして、胸倉を掴まれた。


 『待ッ——ぼぶぶぁっ!!』


 顔面を殴られた男が、3回転して地面に倒れた。


 「なん……」


 長髪は直立不動。

 顔を引き攣らせて震えている。


 マッチョが倒れた男から指輪を抜き取り、自分の指に嵌めた。

 俺に右手を差し出してくる。


 取りたくない。

 マジで死ぬほど取りたくない。

 でも多分、取らないとほんとに死ぬ。


 恐る恐る手を重ねた。


 『ヨク考エテ話スコト』


 先程と同じく、カタコトの日本語が脳に響く。


 『コレ即チ、生キルコト』


 ニヤニヤと笑いながら、マッチョが俺の眼を覗き込む。

 

 『サモナクバ、貴方ノ死亡』

 「……っ」


 マッチョが大声で笑い出した。

 

 怖がる俺を見て、ゲラゲラ笑っている。

 初日に見た"小鬼(ゴブリン)"を思い出す。

 俺を追いかけながら、嬉しそうに笑っていた醜悪な化物。

 その姿と、目の前のマッチョが重なって見えた。


 少し後ろで長髪も笑い始める。


 引き攣った顔で。

 小刻みに震えながら、無理して笑っている。


 その姿が、今度は俺と重なった。


 いじめられるクラスメイトを、次は自分かもしれないと愛想笑いで見過ごした俺。

 上司の機嫌をとるために、クソつまらない下ネタにも腹が捩れそうなほど笑ってみせた俺。

 卑劣で卑怯で矮小な、醜い俺が重なった。


 

 胸の奥が、ぐちゃりと歪む。


 何だよ。

 何なんだよ、こいつら。


 何がそんなに可笑しいんだよ。

 理解できねえ。

 何でそんなに笑ってんだよ。

 理解したくねえ。


 こんな奴ら。

 こんな醜い生き物。


 どっちも死んだ方がマシだ。



 ——ペコン。

 

 

 間の抜ける音が微かに響いた。


 「……え?」


 再び周囲を見回す。

 

 入口の前。

 地面に、四角い板が落ちている。


 「なんで……」


 見間違えるはずがない。

 廃魚蔵に置いてきた、俺のラップトップだ。


 『チッ』


 舌打ちが聞こえた。

 マッチョが不機嫌そうに俺を見ている。


 『怖ガレナイ、面白イナイ……早ク話スコト』


 俺が怯えていないのが気に食わないらしい。

 

 いや仕方ないだろ。

 PCがワープしてきたんだぞ。

 恐怖より驚きが優ったんだよ。


 というか、こいつらラップトップに気づいてない。

 バカ笑いしてたせいで音に気づかなかったのか。


 マッチョが左拳を握り、後ろへ引いた。


 「待て!今話す!話すから待——」


 一瞬、目の前が真っ白になった。

 

 「——ぶぼぁあっ!!」

 

 次いで見えたのは赤い色。

 

 血だ。

 口から飛んだ唾に血が混じり、男の腕を汚す。

 

 拳が腹にめり込んでいた。


 「い……ぅ……」


 痛い。

 痛い、痛い。

 痛い痛い痛い痛いっ……!


 息ができない。

 視界がチカチカする。

 

 『分カル言葉ヲ話スコト』


 ダメだ。

 言葉とか説明とか以前に、こいつとは会話できる気がしない。

 

 「ゴブ……助、け……」


 藁にもすがる思いで、ここまで何の役にも立ってない護衛兼肉壁に助けを求めた。


 「ゆリュえ」


 意味の分からない謎言語。

 作業着の内側でゴソゴソと体を動かし、棍棒を取り出す。

 

 次の瞬間。

 長髪が跳ねた。


 「——ぁぺぁっ!」

 「……え?」


 いや違う。

 跳ねたんじゃない。

 跳ね飛ばされたのだ。

 

 長髪の足元。

 棍棒を振り切った体勢のまま、”小鬼(ゴブリン)”が静止している。

 

 う、動きが見えなかった。

 

 長髪が地面に沈む。

 そのまま駆けた”小鬼(ゴブリン)”が、跳躍とともにマッチョに向かって棍棒を振り上げた。


 「イりりりりりあっっシャああアアあ!!」


 棍棒がこめかみにクリーンヒット。

 ゴッ、と骨まで響きそうな鈍い音が鳴り、マッチョの巨体が横へ吹き飛ぶ。

 そのまま壁へ激突した。


 「強(つよ)っ……」


 え?

 マジで?

 ”小鬼(ゴブリン)”ってこんな強いの?


 ……いや、そういやカルミナがなんか言ってた気がする。

 

 初めて浴場に行った日の前日、護衛の”小鬼(ゴブリン)”を強化するからと例の如くドラッグを要求された。

 

 トリップ用かと勘繰ってたが……何か呪術でも使ったのか?


 「ラぁ」


 俺に向かって手を差し出す“小鬼(ゴブリン)”。


 「お、おう……ありがと……」


 腹を押さえて腕を伸ばし、声を絞り出す。

 穴空いてんじゃないかってくらい腹痛いけど、何とか起き上がる事はできそうだ。


 緑色の手を掴もうとして――


 ぺしっ。

 

 叩き落とされた。


 「ラぁ」


 もう一度、手を差し伸ばす“小鬼(ゴブリン)”。


 「……は?いや、何?」


 手を伸ばす。


 ぺしっ。


 「何な゛ん゛っ……」


 激痛で叫べなかった。

 

 何だよ!

 何がしたいんだよ!?


 “小鬼(ゴブリン)”が苛立ったように歯を剥き出す。

 そして、自分と俺を交互に指差し、何かを受け取る仕草。


 これは……。


 「……串焼きか?」

 「ラぁ゛っ!」


 串焼きか。

 さっきの串焼き根に持ってんのか。

 クソ野郎が。


 「分かった、分かった……!後で買うから……!」


 再び手を伸ばす。


 ぺちんっ!


 「だから何な゛ん゛っ……!?」


 ほんとキレそう。

 怒りと腹が。


 “小鬼(ゴブリン)”が首を横に振る。


 串焼きじゃないのか……?


 じゃあ何だよ、と睨み付ける。

 伸倒れ伏す長髪の手元から、何かを摘まみ上げた。


 透明な小袋だ。


 「あぁ……」


 “小鬼(ゴブリン)”が袋を指差した。

 次いで、自分の鼻を指差す。


 理解した。

 こいつ、俺にドラッグ強請ってやがる!


 「ラぁ」

 「後だ、後でやるから……!今それどころじゃ――」

 「ラ゛ァッ!!」


 突然キレた。

 棍棒を地面へ叩きつけ、歯を剥き出して俺を睨みつける。


 「ひっ……」


 怖っ。

 何で俺が恫喝されてんの?


 「分かった……!分かったから暴れんな……!」


 部屋着のポケットを探り、間違えて故買屋に持っていった薬を取り出す。


 カルミナが呪術に使う、良品質寄りのやつだ。

 売る直前で気づいて戻したわけだが……これ渡したのバレたら怒られるだろうな。


 でも目の前の化物も怒ってる。

 洗脳されてる癖に強請ってんじゃねえよ。

 ビビっちゃうだろうが。


 小袋を投げ渡す。


 「ラぁ!」


 “小鬼(ゴブリン)”が空中でキャッチ。


 封を乱暴に破ると、中身を手の甲へぶちまけ――


 「げャひリぃヒヒっ」


 鼻から一気に吸い込んだ。


 「うわぁ……」


 悍ましい怪物の、悍ましい行為。

 やっぱ何回見ても引くわ。


 「ギャろぁ……」


 “小鬼(ゴブリン)”が俯く。


 様子がおかしい。

 肩が小刻みに震え、口から涎を垂らしている。


 「お、おい」


 声をかけた直後。

 

 ボキボキボキッ、と全身の関節が鳴った。

 腕の筋肉が膨らみ、背中が盛り上がる。

 浮き上がった血管が脈打ち、黄色く濁った眼が見開かれた。


 「……何だそれ」


 こんな変化、今まで見た事ないぞ。


 「——ゲレぇあッ!」


 突然叫び出し、棍棒を振るう。

 すぐ近くで鈍い音。


 見れば、突き出された拳を棍棒が受け止めていた。


 「マッチョ……!?」

 

 "小鬼(ゴブリン)"が蹴りを放つ。

 先ほど以上の勢いで、再びマッチョが壁まで吹き飛んだ。


 あのニヤけマッチョ、いつの間にか復活してやがった……!


 「逃げるぞ!」

 「レぁ」


 腹を押さえ、よろめきながら駆け出す。

 入口に落ちてるPCを拾い上げる。

 何で急に現れたのか謎だが、これだけは持ってかないと。

 

 屈んだせいでゲロ吐きそう。

 というか吐いた。

 吐きながらも走る。

 気持ち的には全力疾走。

 実際には、多分普段の早歩きより遅い。


 「*%#$ァッ!!」


 背後から怒鳴り声。

 振り返ると、血塗れのマッチョが長髪と指輪男を蹴り起こしていた。


 「復活早すぎるだろ!」


 ダメだ。

 絶対追いつかれる。


 こうなったら……!


 「おい“小鬼(ゴブリン)”!俺をおぶって逃げろ!」

 

 めちゃくちゃ嫌だけど、尊厳より命の方がギリ大事。

 返事をしない護衛に苛立って振り返り——付いてきていないことに気づいた。


 マッチョ達の前から動かない。

 棍棒を握り、仁王立ちしていた。


 「何して……!」


 言いかけて、口を閉ざす。


 そうだ。

 あれでいいんだ。

 あいつが足止めすれば、俺は逃げられる。


 一瞬、長髪の笑顔が頭に浮かんだ。


 「……」

 

 いや、そもそも肉壁なのだ。

 盾にして逃げるために連れてきた。


 「……帰ったら串焼き丸ごと1本奢ってやるよ」


 怒号と破砕音が、俺の呟きをかき消す。

 

 振り返ることなく、全力で逃げた。


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