Breaking God 取引7 〜網代恒一〜
餌と山羊の血は屠殺場で無事に調達できた。
「山羊の血」と告げた時には不思議そうな顔をされたものの、内臓や骨、細切れになった肉なんかは普通に商品として売っている。
本来なら捨てられるような部位でも、ここバルヘイム(都市名初めて知った)の旧港区では安い肉を求めて買っていく住民が多いのだとか。
——という説明を、従業員と話し込んでいたカルミナから聞いた。
ちなみに従業員は外で待機させてる"小鬼"共とよく似た作業着を着込んでいる。
あの廃墟も、やっぱり昔は魚を扱う施設だったんだろう。
「しかし、まさか言葉が通じないとはね」
『あたり前だろ』
どうやらカルミナが使っている<念話>とやらは、誰でも使える便利機能ではないらしい。
現代社会で鍛え抜いた営業マンの交渉術を披露してやろうと思っていたのだが、その機会は当面なさそうだ。
壺を抱えた作業員が戻ってきて、カルミナと再び何やら話し始める。
多分、山羊の血の値段交渉だろう。
そちらは任せ、俺は室内を見学する事にした。
異世界の屠殺場と聞いて、肉と血が飛び交うスプラッタ空間も覚悟していたがそんなものは見当たらない。
どうやら実際に家畜を捌くのは、建物のさらに奥で行っているようだ。
ここは解体された肉を運び出すための荷捌き場なのだろう。
でん、と置かれた巨大なブロック肉が目に入る。
……普通に美味そう。
ここ最近の食生活を思い返す。
森で採ったよく分からないものは、食えば腹を壊しそう。
違法サイトで売られている生鮮食品も、やっぱり腹を壊しそう。
初日にデカ蜘蛛の凄まじいえぐみを味わって以降、口にするものはダークウェブで買える携行食品やらカップ麺やらに偏っていた。
飽食の時代に生まれた健康優良児としては、誠に遺憾な事態である。
まあ、1人暮らしの独身リーマンなので日本にいた頃も大して変わらなかったけども。
それでも目の前にこんなでっぷり太ったセクシーな肉塊があれば、無視などできるはずがない。
「ヘイメン!ディスワン、ハウマッチ!」
カルミナが交渉している人とは別の、近くにいた従業員に声をかける。
言葉が通じなくても、指差して叫んどけば大体なんとかなるだろ。
毛むくじゃらの男はブロック肉を一瞥し、指を2本立てた。
「……」
いや分からん。
何が2なんだよ。
ナイスなタイミングで向こうの交渉が終わったようなので、助け舟を呼ぶ。
「おーい、カルミんぬ゛ふっ――!」
目にも止まらぬ勢いで接近してきたカルミナの肘が、俺の脇腹へめり込んだ。
『どうした、コウイチ?カルミンヌフ?故郷の方言かな?』
にっこり。
満面の笑み。
そ、そうだった。
街では名前を呼ぶなって言われてたんだった。
「い、いや……えっと、"刺青"さん……?これも買っていい?」
咄嗟に思いついた呼び名を告げる。
『これか……』
「%#‘$」
カルミナ改め"刺青"が、毛むくじゃらの男へ何やら尋ねる。
返事を聞いた刺青は小さくため息を吐き、硬貨を数枚渡した。
男はブッチャーナイフを巨大な肉塊へ突き刺し、豪快に持ち上げ、俺たちの前へどん、と置いた。
親指を立て、屠場の奥へ去っていく。
『気を付けろ。バツとして運搬はコウイチの仕事』
「うす……」
買った物は結構な量になったが、翌朝には返すという条件で手押しの台車まで貸してもらえた。
店を出てから、一応確認する。
「咄嗟に呼んじゃったけど、刺青でよかった?」
『ああ。私を一言で表せて分かりやすい』
「結構気に入ってんじゃん」
アイデンティティとか言ってたしな。
本人公認ということで、以後、街では "刺青" と呼ぶことになった。
◇◆◇
「帰ったぞー」
廃魚油蔵へ戻る。
“小鬼”どもが、台車に乗った袋を見るなり一斉に寄ってきた。
「待て待て待て待て!並べ!」
押し寄せる怪物軍団を必死に制止する。
さっき買った骨や肉、内臓を適当に分けてやると凄まじい勢いで食い始めた。
穴の中にも放り込む。
狼。
蜘蛛。
ペリュトン。
揃いも揃って貪るように喰らい、運んできたばかりの食料が見る間に消えていく。
「ひぇぇぇ……」
絵面も怖いが、経済的にも怖い。
今後の食費が不安になる光景である。
そうこうしていると、カルミナが山羊の血入りの壺を台車から降ろした。
「それで何すんの?」
『抜け穴に門を作る』
「門?」
床に転がっていた木製棚を踏み壊し、比較的腐食の少ない支柱や横木を抜き取る。
長さの近いものを選び、2本を穴の左右へ立て、1本をその上へ渡した。
即席の門。
坑道の入口を支える木枠にも見える。
だが、それよりも——
「なんか鳥居っぽいな」
カルミナは気にする様子もなく、壺へ指を浸した。
赤い血が、白い指を伝う。
柱と横木へ、山羊の血をゆっくりと塗りつけていく。
生臭い廃墟の空気へ、鉄錆びにも似た臭いが混じった。
『戸口を定める。第十の禍に此処を示す』
カルミナが門の正面へ立つ。
血に濡れた両手を胸の前まで持ち上げ――
ぱん。
ぱん。
2度、柏手を打った。
乾いた音が廃墟に響く。
『マ・ニスタナの問いに答えよ』
一瞬。
血塗られた門の向こうが歪んだように見えた。
『——<過越の門>』
術名が告げられた直後。
「あれ?」
目の前の穴が消えた。
……いや、見えてはいる。
そこに穴があることも分かっている。
なのに、一瞬でも意識を逸らすと存在そのものが頭から抜け落ちる。
もう一度見れば思い出す。
だが瞬きをすれば、また忘れる。
何度繰り返しても同じ。
「何だこれ……」
『<認識阻害>系統の上位呪術だ』
こちらを見たカルミナが、満足そうに血のついた手を振った。
『ちゃんと効いてるみたいだな』
そう言うなり、残った木材と壺を抱えて門を潜る。
「お、おい」
餌を貪っていた化物達が、ざざっと横に退き道を開ける。
そうだ。
あれは手下。
襲ってきたりはしない。
震える手足へ力を込め、門を見失わないよう目をかっ開いたまま俺も穴へ飛び込んだ。
瞬き御法度につき、怪物どもが生肉を喰らう迫力満点の3D映像まで余すところなく視界に入る。
『何だ?コウイチも何か用事か?』
「い、いや……それ持つよ。反対側にも同じの作るんだろ?」
あの空間に一人で残るのが怖かったとは言えない。
壺と木材を受け取り、荷物持ちとしてカルミナについていく。
長い抜け穴を戻り、城壁の外側へ。
こちらの入口にも同じように木枠を組み、山羊の血を塗る。
そして先ほどと同じ手順を踏み――
ぱん。
ぱん。
『<過越の門>』
2つ目の門も無事完成。
「お疲れさ――」
言い終えるより先に、カルミナの身体がぐらりと傾いた。
「お、おい!」
慌てて肩を抱く。
穴を掘った時の記憶が蘇る。
あの時は最後、萎れて地面へ倒れていた。
「大丈夫か!?また反動ってやつか……!」
『騒ぐな。少し魔力を使いすぎただけだ』
カルミナは俺の腕へ体重を預けたまま、面倒そうに息を吐く。
『<坑主供儀>の時とは違う。<過越の門>は最初からこう使う呪術だ。本来の用途から術理を無理やり広げたわけじゃない。故に反動もない』
「でも今フラついて……」
『ただの魔力切れだ』
それは大丈夫なのか……?
知識が無いから判断できない。
『寝れば治る』
それなら、いい……のか?
「とりあえず、今日はもう呪術禁止な」
『誰に命令している——と言いたいところだが、どのみち魔力が無ければ使えん』
そういうもんなのか。
少なくとも、無茶を重ねる心配はないらしい。
ひとまず安心。
『あと、魔力が切れると身体がダルくなる。すまんが、もう1度おぶってくれ』
「Oh……」
理性の危機、再び。
◇◆◇
来た道を戻る。
背中の感触について考え始めると色々まずい。
なので、気になっていたことを聞くことにした。
「そういやさ」
『ん?』
「他のカルミナには会わなくていいの?」
肩に回された腕へ、わずかに力が入った。
『絶対会いたくない』
「ぜ、絶対……?」
なにゆえ……?
昨日聞いた話では、他のカルミナとはまだ1人も会ったことがないとの事だった。
喧嘩して気まずいとかなら分かる。
会ってすらいないのにそこまで拒否する必要ある?
「何で会いたくないんだ?パラレル的な自分なんだろ?助けてもらえるかもしれないのに」
『お前なら会いたいか?別の世界の自分に』
別世界の俺。
ちょっと想像してみる。
「…………」
イケメンだったら腹立つかも。
金持ちでも腹立つな。
美人の嫁とかいたら、多分右の拳が黙ってない。
逆に悲惨な人生送ってても、それはそれでちょっと気まずい。
「……メリット無いな」
『だろ』
納得させられてしまった。
『同じ顔と名前を持っていたところで、同じ人間とは限らん。思想も目的も違う。向こうから近づいてきたら考えるが……しばらく関わるつもりはないな』
「ふーん」
まあ、本人がそう言うならいいか。
俺も別世界のカチグミ・コウイチなんか見せられた日には、恨みと妬みだけで呪術に目覚めそうだし。
別世界・モルガンさんにも会ってみたい気はするものの、それでウチの刺青・モルガンさんが機嫌を損ねるのは勘弁願いたい。
呪術ブッパで廻戦勃発とか、ほんとに洒落にならん。
◇◆◇
そうして、森から脱した俺たちのスラム生活が始まったのだが……順調だったのは、最初の1週間ほどだった。




