Dear My Flower 3通目 〜藤岡辰人〜
地鳴りのような音が響き渡る。
森の奥へ目を向けると、木々の隙間を埋め尽くすように、濃緑の影が無数に蠢いていた。
「撤収だ!」
叫ぶと同時、【能力】から1つのスキルを発動。
「——<閉店>!」
居酒屋『涙煙』。
閉店作業心得その1——”声出し確認。火の元、戸締り、忘れ物”。
少し離れたところで昼食の準備を進めていた治癒師の側で、焚火が消えた。
広げていた荷物がまとめられていく。
閉店作業心得その2——”店内は、開店時よりも美しく”。
戦闘時に飛び散った血痕が消え、踏み荒らした枯れ葉や枝が修復される。
”小鬼”の死骸が片付けられない以上、意味があるかは正直分からないが……俺たちが此処に居たという痕跡が、多少は消えた。
閉店作業心得その3——”業務は笑顔で終わりましょう”。
身体が一瞬淡く光り、疲労が少しだけ癒えた。
どうやら俺だけではなく、パーティ全員に効果があるようだ。
「す、すごい」
「何この術……」
「デカブツてめえ!何やったか知らねえがぁ調子乗ってんじゃあねぇぞお!」
何故かモヒカンが凄んでくるが、構っている暇はない。
「弓手は俺が抱える。斥候、撤退ルートは?」
「確認済みだ!ほんとに必要になるとは思ってなかったけどな……!」
斥候を先頭に、可能な限りの速度を出して森を駆ける。
「敵はこっちに気づいてるの……!?」
「確実にな!”醜小鬼”は鼻が利く!」
流石は斥候。
俺には緑の点にしか見えなかったが、種族まで判別できたようだ。
”鼬人”という感覚の鋭敏な種族らしい。
というか、死骸云々の前に気づかれていたのならやっぱり痕跡消す意味はなかった。
「このままだと多分森出る前に追いつかれる!逃げながら足止めしないとまずいぞ!」
足止め。
範囲攻撃手段と言えば——
「わ、私は無理です!この森、何故か全く精霊いないんです……!」
やはりダメか。
『精霊術』が得意だと豪語していた術師だが、今回の依頼でその技が活躍する機会は無さそうだ。
理由は本人が述べた通り。
【哭き成りの森】に来るのは初めてで、知っていたら依頼は受けなかったと涙目で語っていた。
俺は4回目だが、前回までは森の入口付近で薬草採集していただけ。
他のメンツも似たようなものだ。
唯一この森を専門に活動しているという、今回の案内役だった弓手は現在、俺の腕の中。
"シルヴァ森林連邦"なる国の出身だという、森での活動に慣れた斥候が居なければ、とっくに全滅していたかもしれない。
どうするか……と思案していると、モヒカンが口角を釣り上げて言った。
「ギャハハハハハアア!それなら俺様のぉ、出番だぁぜえええ!」
後退したモヒカンが、胸元でX字に交差した革帯から紐の付いた筒状の物体を引き抜いた。
ガリッ、と紐を噛む。
直後、紐に——いや、導火線に火が付いた。
「景気づけだぁぁああ!!」
そう言いながら、いくつもの筒を次々と引き抜き、火をつけ、後方に投げる。
——バババババババババンッッッ!!!
凄まじい破裂音と共に”小鬼”共の悲鳴が上がった。
革帯のあれ、飾りだと思っていたが爆竹だったのか。
……いや何で森に爆竹持ってきてるんだ?というか今どうやって火をつけた?景気づけって何だ。
疑問は尽きないが、今聞く事でもない。
何にせよ助かった。
「いけるぜ!これなら逃げられ——」
斥候が言い終わる前に、巨大な影が俺達を追い越し、地面を滑っていく。
「何だっ——!」
前方へ視線を戻す。
人影だ。
髪の長い、笑う女の影。
先頭を走る斥候が足を止めた。
「おい、どうした!?」
答える代わりに空を見上げる斥候。
その視線が少しずつ下がっていく。
視線を追う。
翼を生やした巨大な鹿が、地面に降り立つところだった。
背中には俺の倍近い体躯を持つ、これまでに見た”小鬼”を一層醜悪にしたような姿の”小鬼”が跨っている。
「”影翼鹿”に……”醜鬼将”、だと……」
デカい”小鬼”が持っている槍を天へ突き上げた。
「グりィャァああッ──ゲらァあァっ!!」
獣のような鬨の声。
一拍の後。
「ギャギャギャギャ!!」
「ギャァァァッ!!」
「ギャギャッ!!」
後方から森を埋める咆哮が響いた。
爆竹の音をかき消すように、”小鬼”共の雄叫びが爆発。
群れが再び動き出した。
立ち竦む斥候の手を掴み、パーティ全員へ呼びかける。
「退路が断たれた!左方へ逃げるぞ!」
叫びながら方向転換。
子供の体格とは言え、弓手に加えて斥候まで抱えると流石に重い。
「なんっ——方角は!?何処向かうつもりだよ!?」
「知らん!だが留まれば地獄行きだ!」
広い森。
滅茶苦茶に走れば遭難は免れないが、道を確認しながら走るなんて余裕はない。
「……いだ……界を探せ」
突如、抱えていた弓手が喋り出した。
何だ?界?
「……結界ま……け……還陣を……」
結界まで行け。
帰還陣を使え。
掠れた声だが、ギリギリ聞き取れた。
『帰還陣』は危険な魔境や迷宮に挑む際、ギルドから支給される緊急離脱用の魔道具だ。
使用しなければ依頼終了後にギルドへ返還、使用した場合はどんな理由だろうと冒険者の買取となる。
依頼失敗の違約金に加えて『帰還陣』の買取金。
パーティ内で折半とは言え、確実に借金を背負う事になる……が、命には代えられないか。
問題は結界だ。
何のことなのかさっぱり分からない。
「私、知ってるわ。依頼前にこの森の事調べたから」
治癒師が静かに言った。
全力疾走中だというのに息が全く切れていない。
地味に一番体力がありそうだ。
「この土地、大昔は人が住んでいたの。何らかの災害で旧エルグラード人が滅ぶまでは——」
「悪いが、要点だけ頼む!」
バ先にもいた、寡黙だが好きな事を喋ると饒舌になるタイプだ。
虫が苦手なところも含めて共通点が多い。
「——大昔に張られた結界がまだ生きてる。中には冒険者が野営地として利用してる場所もあるみたい」
「よし、そこを目指す!近くにあるか?」
「場所は知らない……ただ、もっと深くにしかないはず」
そう上手くはいかないようだ。
後ろを振り返れば、ニヤりと笑ったデカ”小鬼”がこちらを見ていた。
しかし、何故か動く気配はない。
遊んでいるのか、あるいは部下に任せるつもりか……どちらでもいい。
あいつが動いた時点で俺たちは終わる。
どうか、来ないでくれ。
質の悪い酔っ払いが来店した時と同じ感情を抱きながら、俺たちは哭き成りの森のさらに奥へと足を踏み入れた。




