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飛空箒 航程30 〜羽田創司〜

 掠れるような問い。

 ティーカップを握る長瀬さんの指先は、白くなるほど力が入っている。


 「ふむ……」


 問いを受けた白衣の魔女が、顎先に指を当てて考え込む。


 「私、帰りたいの……あなた凄い人なんでしょ?なら何か方法知ってるわよね?ねえお願いよ……お願いだから、私を帰して……!」


 立ち上がる長瀬さん。

 布製テーブルに両手が打ち付けられ、茶器の揺れる硬質な音が響いた。

 

 カルミナさんは動じない。

 思案顔のまま、人差し指をスッと立てる。


 「順を追って話そう」


 冷静沈着。

 相手の感情に引きずられることのない、淡々とした声だ。


 「まず、先ほども言ったが『各自の世界への帰還』は魔女集会の目的の1つだ。研究を行ってはいる。しかし、現時点で確実かつ安全に世界を渡る術を我々は持っていない」


 ギリッ、と歯の擦れる音が聞こえた。


 分かっていた事だ。

 帰還方法が既にあるなら、"目的"として掲げる必要はない。


 目を赤くした長瀬さんが口を開き——


 「だが」


 何かを言う前に、カルミナさんが立ち上がった。

 

 「君1人が特定の世界に渡るという事であれば……可能性はなくもない」


 全員が息を呑む。

 誰かの動揺が肘を通してテーブルに伝わり、再び茶器が小さく揺れた。


 「帰れる、の……?」

 「条件さえ揃えばな」


 立てた指を空中で滑らせる。

 ふわりと飛んできた布が、カルミナさんの背後に展開。

 指先に光が集い、その軌跡が空中に文字を走らせる。

 

 知らない文字だ。

 読めるのは多分、通訳術式のおかげだろう。

 

 「世界間の移動に必要なものは大きく分けて3つ。わかりやすく例えるなら——"門"と"座標"と"移動手段"だ」


 文字の一部が図形へ変わる。

 布と光がホワイトボードの代わりとなり、即席の講義が始まった。


 「まずは"門"。2つの世界を繋ぐゲート、その術式。本来なら、これが最も難度の高い代物だが……私は既に、その術式を知っている」


 カルミナさんが、少しだけ口角をあげてこちらを見る。


 「ハネダ、君も知っているはずだぞ」


 俺も知ってる?って、まさか——


 「<望遠>術式……!」

 「素晴らしい。大正解だ」


 <望遠>術式は世界と世界を繋ぐ"窓"。

 確かそう言っていた。


 なら単純に考えて、その"窓"を拡大してしまえば"門"になる。


 「君たちの周囲に浮かぶ<望遠>術式。極めて高度な術式をでたらめに組み合わせた、読み解く事など不可能に近い代物……だが、解析自体は完了している。必要な箇所のみを書き換え、それ以外をそのまま再現してしまえば、一瞬とはいえ“門”として機能する術式になり得る」


 帰りたい。

 その願いをかなえる方法が、初めて具体的な形を伴って示された。


 長瀬さんの表情に、わずかに色が戻る。

 

 「では次。“座標”について」


 光の文字が組み替わり、布の上に複数の点と線が浮かぶ。


 「門が作れても行き先が分からなければ意味はない。世界を渡るには、線で結ぶ2つの世界の位置を明確にする必要がある」


 光の線が伸び、立体を形作る。

 完成したかと思えば、立体はさらに回転し、分裂と結合を繰り返しながら複雑な図形へ変化していった。

 

 「我々が視覚情報として認識可能な3次元の座標に加え、時間と世界、それらに対する”迷宮核(ダンジョン・コア)”を基準とした位置情報を重ねる必要がある。簡単に言えば、どの世界の、どの時点の、どの迷宮へ繋ぐか。それを定めるための情報だ」


 分かるような、分からないような……。

 ただ、適当に門を開けば元の世界へ戻れるというものではないらしい。


 「ナガセ。君はこの世界へ転移する直前、迷宮内にいたか?」

 「……いなかったわ」


 即答だった。

 カルミナさんは、特に驚いた様子もなく続ける。


 「なら近くに迷宮があったはずだ。心当たりは?」


 長瀬さんの表情が、わずかに強張った。


 「……あるわ」

 「その迷宮に入ったことは?」

 「それ、必要な情報なの?」


 声音が硬くなる。

 カルミナさんは表情を変えない。


 「必要でなければ聞かない」


 短い返答。

 長瀬さんが黙り込む。

 カルミナさんは布に浮かぶ点と線で構成された図形へ指先を滑らせた。


 「座標を割り出すには迷宮内の星図が必要になる。一度でも見たことがあれば、多少強引な手段ではあるが私の使い魔に君の記憶を読み取らせる事ができる」


 光の点が、無数の星のように散らばっていく。

 

 「だが、そもそも見た事すらないのであれば……あらゆる迷宮を、あらゆる周期で調べるしかない。運が良ければ、君の寿命が尽きる前には見つかるだろう」

 

 それは……諦めろと言ってるのと同義だろう。

 

 テーブルについた長瀬さんの手にぐっと力が入る。

 やがて、俯いたまま小さく言った。


 「……あるわ。入った事」


 その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。

 

 ギルドで聞いた話が脳裏に浮かぶ。

 迷宮探索は犯罪者へ科される刑罰。

 そう言ったのは長瀬さん自身だ。

 

 ということは、つまり……。


 「言っとくけど」


 長瀬さんが顔を上げる。

 赤くなった目で、こちらを睨むように見回した。


 「私は犯罪なんて、してない……!」


 その顔には怒りと悲しみが同居していた。

 向けられた視線は即座に逸らされる。

 

 白衣の魔女は、その昂ぶりを淡々と受け流した。


 「ふむ。事情は次の機会にでも聞こう。今必要なのは、君がその迷宮の星を見ているという事実だけだ」


 布の上に浮かぶ図形が消えた。


 「"門"と"座標"については、ひとまずこれでいい。問題は最後だ」


 光の文字が再び組み替わる。


 「”移動手段”。開いた門へ、どう到達するか」


 布一面へ記号と数字の羅列が広がった。

 

 全く理解はできない。

 だが、通訳術式が伝えてくる印象から、それらが複数の数式であることは分かった。

 複雑な式が絶え間なく形を変え、次々と解を導き出していく。


 「世界は迷宮を介して接続される。ナガセが転移した迷宮を特定できれば、それと対応するこの世界の迷宮から門を開くことが可能だ」


 展開した光が2つの円となり、1本の線で結ばれる。

 数式は計算を続けたままだ。


 「もっとも、そのままだと迷宮内のどこへ繋がるかまでは分からないが——」


 指先が動く。

 円の周囲に散らばっていた線が、一点へ収束した。

 

 「術式へ指向性を与えれば、最も魔素濃度の高い地点へ確率を収束できる」


 最も魔素濃度の高い地点。

 その意味を理解したのは俺だけではなかった。


 「……最深部」


 レナさんが呟く。

 カルミナさんは静かに頷いた。


 「え……いやいやいや、待って。最深部?」


 ずっと茶請けをつまみながら聞いていたタロウさんの手が止まる。


 「えーっと……ボクの地球、迷宮が完全攻略された事って確かまだ無いはずなんだけど」


 これまでに無いほど驚いた声だ。

 サエさんも小さく、しかし何度もコクコクと頷いている。


 「そっちはあるの?」

 「ゼロではないが……数えるほどだ」


 ティナさんが問いに答えた。

 

 記憶が正しければ、俺のいた地球で最深部へ到達した例は40~50件ほど。

 完全攻略は5件だったはず。

 いずれも各国の精鋭部隊やトップ探索者によるものだ。


 最深部には”迷宮主(ダンジョン・マスター)”と呼ばれる強大な魔物が存在し、”迷宮核(ダンジョン・コア)”を守っているらしい。

 

 ……とても俺たちに達成できるとは思えない。


 「攻略する必要はない。目的はあくまで最深部に開く”門”への到達だ。”迷宮主(ダンジョン・マスター)”は無視して構わない」

 「いやそういう問題じゃ……そもそもそこまで辿り着く事がトンデモ難易度なんだけど」

 「できなければ諦める他ない。続けるぞ」


 カルミナさんはお構い無しに説明を続ける。

 ……可能か否かは一旦置いといて、できる前提で聞くしかなさそうだ。

 

 変わり続けていた数式の動きが止まった。

 

 「不幸中の幸いとでも言うべきか、最深部故に魔素は豊富。星位から迷宮の世界座標が重なる時刻を選定し、最適なタイミングで術を発動できたと仮定する」


 地球で言うところの「=(イコール)」らしき記号の後に、1つの数字が浮かび上がる。


 「そこまで条件を揃えてなお、”門”を維持できる理論上の最長時間は——0.03秒」 

 「れ、0.03秒……!?」


 あまりにも短い。

 開いた瞬間閉じて終わりだ。

 

 カルミナさんは無視してかまわないと言ったが、”迷宮主(ダンジョン・マスター)”と戦闘になる可能性も高い。

 攻撃を避けながら一瞬で"門"とやらを潜る?

 できるのか?そんなこと。

 

 というか、仮に体の一部が潜れたとして、途中で閉じた場合どうなるんだ?


 「当然、身体は切り離されるな」


 同じ疑問を抱いたタロウさんが問い、最悪の答えが返ってきた。


 「最後まで聞け。流石にその時間で潜れるとは思っていない」


 纏う白衣を翻し、ポケットへ手を入れる。

 

 「『術理』の効果を高める方法の1つに、触媒が存在する」

 

 取り出したのはピンク色の結晶。

 先程説明された、”聖核”と呼ばれる魔素の塊。


 「『聖核の魔女』が我々を他世界から呼び出すために使用した、規格外の魔素濃度を誇る結晶体。 ”門”を開くのに、これ以上適した触媒もないだろう」


 再び数式が動きだし、今度はすぐに停止した。


 「触媒を使用した場合、確保できる時間は6.57秒。これ以上はどれだけ条件を整えても伸びない」


 6.57秒。

 

 その間に”迷宮主(ダンジョン・マスター)”の攻撃を避け、最深部の何処かに出現した門を潜る。

 

 ……いけるのか?

 瞬きよりも短い0.03秒に比べれば現実的な時間ではあるが。


 「加速系の術かければいけたりします?<天狗の高下駄>とか」

 「……開く場所が分かってて、邪魔が入らず、足場の安定した場所で、前衛張れる探索者並みの身体能力があれば、多分」

 

 つまりは無理、と……。

 <風遁>を扱うレナさんが言うならそうなんだろう。

 

 皆が押し黙る。

 誰もが真剣な顔で考え込んでいた。

 ここまで具体性のある案が提示されて、はいダメでしたと簡単に諦められるわけがない。


 席に戻ったカルミナさんはカップを持ち上げ、静かに紅茶を啜る。

 ふっと息を漏らし、紅茶を見つめたまま呟いた。


 「私は言ったぞ。”移動手段”と」

 

 その言葉を耳にした瞬間。

 頭の奥で何かがかみ合った。


 高速で。

 正確に。

 人一人を乗せ、狭い迷宮内を飛ぶ。

 

 3日前、作りたいと思い立ち。

 異世界転移なんて異常事態に遭い、頭の片隅に追いやっていたもの。

 

 脳内で、止まっていた歯車が一斉に回り始める。

 願望に必要性が添えられ、抑えていた工作意欲が一気に決壊。


 「——”箒”を作ります」


 気づけば、そう口にしていた。

 

やっと箒が...。

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