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Breaking God 1発目 〜網代恒一〜

 数時間の格闘の末、ディスプレイには違法薬物の販売ページが映っていた。


「もうやだ何コレ……」


 掃除機を買い換えようと中華系の格安ショッピングサイトを開いたのが全ての始まり。

 見ていくうちにもっと安いのがあるのではと思い立ち、ネットという名の大海原でサーフィンした結果がこれだ。

 タマネギモチーフの謎ブラウザを経由した時点で引き返すべきだった……。


 しかしまあ、特段ITにも裏社会にも精通していない俺が適当にキーボードをポチポチ叩いてこんなネットの最深部まで潜れるなんて、ある意味すごい奇跡。

 そんなことを思っていた矢先、更なる奇跡――まさに神の御業と呼ぶべき現象が俺の身に降りかかった。


「おわっ」


 一瞬の閃光。

 次いで訪れる浮遊感。


「いって」

 

 驚きとケツの痛みで思わず声を上げたが、断じて俺はマヌケではない。座っていた椅子が突然消えれば誰だって尻もちくらいつく。

 ついでに家のリビングから森の中に一瞬で移動したとなれば、口を開けてアホ面晒したって仕方ないだろう。


「なん、は……え?」

 


 驚きと混乱でしばらく硬直していたが、「とりま動け」と脳から下された指令に従って手足が体を持ち上げる。

 地平線の先、沈む夕日が見えたのだ。

 手に持ったままのラップトップの画面を見れば、ディスプレイ右下に "16:52" と表示されていた。

 

 現代人の主たる生息地、コンクリートジャングルでは深夜まで活動する俺も、ナチュラルジャングルで日が暮れた後に活動するのが危険な事くらいわかっている。

 

 わかっているが、理解はできていなかった。

 平和に染まった俺の脳内細胞諸氏は自然界への危機感というものを忘れてしまっていたらしい。

 後に思い返せばあまりにも愚かな行為だが、半狂乱になった俺は森の中で叫び続けるという愚を犯した。


「何処ここ!ドッキリ!?誰かぁ!誰かいませんかぁ!?」

 

 混乱のまま垂れ流した問いに、まさかまさかの反応があった。

 

 茂みから現れたのは緑色の小人。

 細い手足、突き出た下腹、瘤のような丸い角。

 人類皆兄弟を座右の銘に掲げる俺はルッキズム反対派だ。相手がどんなに醜い容姿だろうと、営業マンとして鍛え上げた表情筋は常に笑顔を維持してくれる。

 

 だが、流石に涎を撒き散らして走り寄ってくる怪物相手に親愛の情は抱けない。


 困惑と恐怖で動けない俺の状態を知ってか知らずか、棍棒を振り上げ飛びかかる怪物。


「ひぃっ……ひいぃぃっ!」

 

 うん、認めよう。

 俺はマヌケだ。

 ビビり散らかし腰を抜かした。


 だがただのマヌケじゃあない。運の良いマヌケだ。

 

 尻餅をついた直後、俺の頭上を横薙ぎのスイングが通り過ぎる。風圧でわかる、明らかに人間の膂力を超えたそれ。

 髪の毛を擦った音が耳に残った。

 

「わ、わ、わっ……!」


 苛立たしげに振るわれるニ撃目。

 縦の軌道。

 顔面直撃コースの振り下ろし。

 尻餅をついた足腰は震えるばかりで力が入らない。

 マジでやばいっ!避けれない……っ!

 

 防衛本能か、それとも恐ろしい現実から目を背けるためか。無意識に腕を顔の前にかざし――


 「ぅう……!」


 ――またしても運の良いことに、手に持ったままのラップトップが盾になった。

 怪物は細腕とは思えない力強さで何度も俺を殴りつける。だが、知能が足りないのか、その軌道は2撃目から変わる事なくPCを叩き続けている。

 PCを支える腕に感覚がなくなってきたきた頃、怪物と目が合った。

 白内障と緑内障を併発した羊が四徹くらいすればこんな眼になるだろうか。

 

 怪物は見れば見るほど醜悪な見た目をしていた。

 鷲鼻はできものだらけで腫れ上がり、耳からは顎先まで毛が垂れている。一目見て肉食と分かる鋭い歯は黄色を越えて茶色になった歯垢に覆われ、そこから排泄物に強酸をぶち撒けたような強烈な口臭が漏れ出していた。

 口臭が俺の顔面に直撃する。

 意識が飛びかけた。

 

 まずいと思った時には既に遅く、PCを支える腕から力が抜ける。

 だが、またしてもそれは良い方向に働いた。

 急に力が抜けた俺に向かって、バランスを崩した怪物が倒れ込む。

 考えるより先に身体が動いた。

 怪物の脇腹を蹴り上げる。

 奴が離れた一瞬の隙に立ち上がり、全力で後方へ逃げる。

 

 「はぁっ、はあっ、何だよっ……何なんだよマジで!!」


 「ゲルァァァァ!!」

 

 沼地にハマったタイヤを無理やり回転させた時のような鳴き声が森に響き渡った。

 次いで、土と木の葉の潰れる音が近づいてくる。


 追ってきている……!


 「はぁ、はぁっ、くそっ!タバコ辞めときゃ良かった……!」


 肺が苦しい。

 全力疾走なんていつ振りだろう。

 おまけにここは森の中で、俺が履いてるのは室内用のスリッパ。

 運動不足の文明人、舗装されてない道、室内用スリッパ。役満揃ったこの状況に対応できるはずもなく――


 「ぁがっ…!」


 木の根に足をとられ、俺は顔面から地面にダイブした。


 「ゲゲッ、ゲッ。」


 笑い声か?連続したゲップのような不快な音が耳に届く。

 振り返れば、ニタニタと不快な笑みを浮かべた怪物が走り寄ってきている。

 短い手足、めちゃくちゃなフォーム。

 映画やゲームで出てきたら吹き出してしまう事間違いなしの、動画を撮ってSNSにあげればミーム化してバズりそうなその歪さが、今は恐怖を増幅させる。


 「グリルぁゲリャリひぃアアぁ!!」

 

 意味不明な声をあげ、怪物が速度を上げる。


「い、嫌だ嫌だ嫌だ!来るなぁぁあ!!」

 

 棍棒を上段に構えた怪物がこちらに向かって大きく跳ねた。


「ゲリゃリャあぁア!」

 

 掛け声と共に、重力を味方につけた怪物が落下してくるその瞬間――真横から翼の生えた巨大な鹿が飛び出し、猛スピードで怪物を轢いて森の奥へ消えた。

 

「……は?」


 何が起きたかわからなかった。

 しばらく呆然と鹿の消えた方を見ていたが、ふと気づいて怪物へ目を向ける。

 血溜まりに伏せる怪物は動かない。

 それを認識した直後、漸く脳の処理が追いついたようで全身が震えだした。

 

 自然と口から漏れた言葉は、今更と言えば今更なもの。

 

 「ここ、地球じゃねぇ…」


 この日、俺--網代あしろ 恒一こういちは異世界へ転移した。

 ……ダークウェブに繋がったパソコンを膝に抱えたまま。

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