飛空箒 航程28 〜羽田創司〜
ギルドを出ると、街がさらに活気づいていた。
清掃具を抱えた一団が港へ駆けていく。
見慣れない魔物に引かれた荷車が途切れることなく通りへ流れ込み、その後ろを子供たちが歓声を上げながら追いかける。
道の脇では、敷いた布の上に商品を並べ始めた商人が衛兵から盛大に怒鳴られていた。
「これは……すごいなまた」
昨日までも十分に賑やかな街だった。
だが今は、街全体が巨大な祭り会場にでも変わりつつあるような熱気に包まれている。
「帆布の魔女が帰ってきただけでこんなことになるの?」
レナさんが呆然と呟く。
皆、同じ気持ちだった。
現代日本で暮らす身として、人混みにはある程度慣れているつもりだ。
けれど、整然と流れる都会の群衆とはまるで違う。
街中の人々が何かを期待し、浮き足立っているようだ。
「なんだい、あんたたち。この街に来たばかりかい?」
すぐ側を通りかかった冒険者らしき女性が声をかけてくる。
「魔女様の船団が戻りゃ、ひと月はこの騒ぎさ。まあ、すぐに慣れるよ」
そう言って、片手をあげて去っていく女性も、どことなく浮かれた様子だった。
……しかし、ひと月か。
こうなると本当に、八木さんと角田さんは1か月間ひたすら飲み食いさせられるのかもしれない。
ご愁傷様である。
2人が連れていかれたであろう船の方角へ、そっと手を合わせた。
「逸れないよう注意しながら帰るぞ」
ティナさんの声に応じて歩き出す。
帆布の魔女から伝えられた言葉に従い、とりあえず留守番猫へ戻ることになったのだ。
あの後、白衣の魔女を頼れそうにないと知ったギルドマスターは一瞬で萎れたものの、すぐさま立ち直りギルド職員へ指示を飛ばしていた。
衛兵と連携を深めて調査にあたるらしい。
俺は「本当に万策尽きたら頼るかもしれねえ」と言われた。
"小鬼“が1匹見つかったくらいでそこまで——などと考えるのは間違いだ。
たかが一匹の侵入だと甘く見れば、街を守る仕組みに生じた致命的な欠陥を見逃すかもしれない。
小さな綻びを放置した結果、魔物に滅ぼされた都市は地球にも存在する。
世界史で習った。
◇◆◇
留守番猫の面する路地へ入った途端、背後の喧騒がすっと遠のいた。
驚いて視線を巡らせる。
爺さんと目が合った。
他の皆は気づいていない。
「<認識阻害>じゃの」
「ですね……」
迷宮の隠し通路などに施されている術だ。
昨日は気づかなかったが、この路地そのものに軽い<認識阻害>がかけられているらしい。
外から意識を向けにくくするだけでなく、路地の内と外で音まで隔てているのだろうか。
皆に伝えるか迷っていると、店先で花に水をやっていた店員さんがこちらに気づき、ぺこりと頭を下げてきた。
今朝と同じ人だ。
「いらっしゃいませ、お客様。何かご入用でしょうか?」
「あーっと、灯りを頼む。『3番扉に灯火を』」
昨夜、ジャンクスフィアが唱えた合言葉をティナさんが記憶を辿るように口にする。
店員さんは店内へ俺たちを招き入れ、カウンター脇に隠された螺旋階段を出現させた。
「……このやり取りは毎回やるのか?」
「文字通り、合言葉ですので」
どうも、合言葉そのものが一種の鍵になっているらしい。
唱えなければ、そもそも螺旋階段へ通ることすらできないようだ。
3番扉の前まで案内されると、店員さんは足を止めた。
「皆様を食堂へお通しするよう承っております。廊下を真っ直ぐ進み、突き当たりの扉へお入りください」
そう告げて一礼し、来た道を戻っていく。
言われたとおり廊下を進み、突き当たりの扉を開ける。
食堂の奥に、一人の女性がいた。
褐色の肌に長い金髪。
その上から羽織った白衣。
カルミナさん——白衣の魔女だ。
店へ戻るよう伝えられた時点で、もしかしたらとは思っていたが。
周囲にはいくつもの書類が浮かび、彼女が指先をわずかに動かすたび、束ごとに分かれ、順序を入れ替え、静かに机の上へ積み重なっていく。
「ソウジ君。もしかして、あの人が……?」
タロウさんが小声で尋ねてくる。
「はい。俺が会ったカルミナさんです」
「帆布の魔女とは、確かに似ておらんのう」
「タイプの違う美人さんです……!」
サエさんの声が静かな食堂に響いた。
書類へ落とされていた青い瞳が、一瞬だけこちらへ向く。
「来たか。すまないが1分だけ待ってくれ」
カルミナさんはそれだけ告げると、ぱちんと指を鳴らした。
食堂の壁際に畳まれていた布がひとりでに宙へ浮かび、見る間に人数分の椅子と大きな机へ形を変えてく。
同時に棚から茶器が飛び出し、湯を沸かし、茶葉を量り出す。
昨日見た光景だ。
「すごい……」
誰かの驚く声が聞こえたが、それ以降は誰も喋らない。
皆、目の前の光景に見入っていた。
カルミナさんは書類から目を離さず、空中に浮かぶ紙束を次々と仕分け、内容を確認しては新たな束へ収めていく。
きっかり1分後。
最後の一枚が机へ重なり、ほぼ同時に椅子と机が完成。湯気を立てる紅茶が人数分並んだ。
「やあ、待たせたね。カルミナ・モルガンだ。白衣の魔女と呼ばれている」
簡単な自己紹介に続き、俺以外の皆も名乗っていった。
促されるまま席へ着くと、レナさんが早速紅茶へ口をつける。
「……美味しい」
目を丸くし、感嘆の息を漏らした。
白衣の魔女は特に反応するでもなく、俺へ視線を向ける。
「さて。君たちを呼び戻したのは顔合わせも兼ねているが……主な用件は君だ。ハネダだったね。渡しておきたいものがある」
取り出したのは、厚さも装丁もばらばらな数冊の本。
「錬金術の書物だ。入門用として良さそうなものを選んできた。時間のある時に目を通しておいてくれ」
入門という言葉では片づけられそうにない分厚さの本が混ざっているが……ひとまず礼を言って受け取る。
「それと、もう1つ」
白衣の魔女が手をかざす。
何もなかった空間がわずかに歪み、透明な球体がゆっくりと姿を現した。
全天球空間だ。
切り取られた空間の内側で、見覚えのある発光体――<望遠>術式の“窓”が、静かに光を放っている。
しかし——
「何か、溶けてません?」
透明な球体の輪郭が、熱を帯びた飴細工のようにゆっくりと垂れ始めていた。
「ああ。何ともおぞましいことに、隔離した空間そのものが内側から解かれつつある。遠からず術式が外へ出てるだろう」
カルミナさんは淡々と説明しながらも、心底嫌そうに眉を寄せている。
「完全に破壊することもできなくはない。ただ、相応に手間がかかる上、術者がどのような反応を示すか予測できない」
術式を覗き返している何者かが、こちらの干渉に気づくかもしれない。
そういうことだろう。
「悪いが、ひとまず君に返しておきたい。構わないか?」
俺に付いていた時は、特に害があったわけでもない。
カルミナさんに余計な負担をかけ続ける理由もなかった。
「分かりました。問題ありません」
「ちょっと待って。何それ?」
タロウさんが机に置かれた全天球空間を指差した。
「森で話した謎の発光体です。皆さんの周りにも浮かんでますよ」
俺の言葉に、全員が一斉に自分の周囲を見回した。
「全然見えないんだけど」
タロウさんがそう呟く。
やはり、他の皆も同じらしい。
何もない空間へ視線を彷徨わせている。
そういえば森にいた時、この発光体がこっちの世界へ来て得た俺の【能力】に関するものだと思っていた。
だが、実際には発光体は<望遠>術式で、カルミナさんにも認識できている。
……まあ、今考えても答えは出ないか。
カルミナさんが指先を動かすと、溶けかけた全天球空間がゆっくりとこちらへ近づいてくる。
球体が俺の身体へ触れた瞬間、輪郭が崩れ、中に閉じ込められていた<望遠>術式の“窓”が再び俺の背後へ浮かんだ。
「これで、君たちを呼び戻した目的は一通り果たした」
カルミナさんはそう言って、紅茶へ口をつける。
「だが、全員が集まっている以上、このまま解散するのは時間の使い方として非効率だ。疑問があるなら、答えられる範囲で答えよう」
いかにも研究者らしい言い回しだ。
聞きたいことならいくらでもある。
まず思い浮かんだのは、先ほど出会ったもう一人の魔女。
「じゃあ、俺から1つ。さっき帆布の魔女と会いました。あの人もカルミナ・モルガンと名乗ってましたが……」
「ああ……そうか。通訳術式の弊害だな。そこから話そう」
カルミナさんがカップを置く。
細く立ち上っていた紅茶の湯気が、静かな食堂の空気へ溶けていく。
「そもそも、この世界で“魔女”という単語は種族名や職業を表す言葉ではない」
そう切り出して語られたのは、白衣の魔女――いや、『カルミナ・モルガン』という存在を巡る、1つの物語だった。
「魔女とは、私――『カルミナ・モルガン』を指す固有名詞だ」




