飛空箒 航程26 〜羽田創司〜
八木さんと角田さんは説明を続ける。
「昨日、皆さんと話してすぐに気づきました。俺達とは別の日本から来た人達だって」
「日本から森へ転移してまだ数日って聞きましたけど、自分らからするとあり得ないんすよ。装備とか持ち物とか」
周りを見回す。
弓に、槍に、剣に、盾。
かく言う俺も、『意挫骨断』は“翠柳の木妖”の前に置きざりだが腰のホルスターには毒や薬を可能な限り詰め込んでいる。
全て、魔物と戦うための道具だ。
「俺たちのいた日本でそんな物持ち歩いてたら、普通に捕まります」
八木さんが苦笑する。
「迷宮も魔物も、俺と角田がいた地球には存在しません。空想上の産物です」
「逆に皆さんからすると、自分らの日本の方がおかしく聞こえるんでしょうけどね」
2人から見た、俺たちへの違和感。
その説明を聞いていくうち、荒唐無稽だった話が少しずつ現実味を帯びていくように感じた。
「多分、藤岡の世界もまた別ですよ」
「というと?」
ティナさんが眉根を寄せて問う。
みんなまだ半信半疑だ。
「あいつ、大学の新歓で迷宮に入ったって言ってました。免許制度なんて無い感じでしたよ」
「飲みサーだったからそれきり行ってないらしいすけどね」
それは……確かに。俺の知ってる日本の法律では考えられない緩さだ。
俄かには信じがたい。
だが、嘘や冗談を言ってるようにも見えない。
誰もすぐには返答しなかった。
場に重たい沈黙が満ちる。
そして——
最初に口を開いたのは、意外な人物だった。
「……どおりで」
眉間に皺を寄せ、それまで一言も言葉を発していない長瀬さんが、ぽつりと呟く。
小さな声。
けれどその言葉は沈黙と死屍累々で満ちた酒場に不思議なほどよく通り、俺たちは全員、反射的に彼女を見た。
「ずっと、おかしいと思ってたの」
視線を机に落としたまま、長瀬さんは言葉を続ける。
「免許とか高校とか。迷宮へ入るための資格があって、それを教える学校まであるって……皆、当たり前みたいに話してて」
拳にぐっと力が入る。
森での野営中、彼女はずっと怯えていた。
魔物が徘徊する危険地帯。
そんな場所へ、探索者でもない一般人が突然放り込まれたのだ。
当然の反応だと思っていた。
肝の据わっているサエさんや、能天気な震明さんの方が例外だと。
「魔物を警戒する。迷宮を怖がりもする。そこまでは私の知ってる日本人……でも、誰も迷宮に潜ることを恥じてない。自分が探索者だって、堂々と口にする」
長瀬さんが顔を上げ、俺たちを順番に見回す。
そこに浮かぶのは、今しがた聞いた話への驚きと納得。
そして、その瞳の奥に。
森を脱してなお拭いきれない恐怖と警戒の感情が、色濃く残っていた。
「私のいた日本では、迷宮探索は職業じゃない」
声がわずかに硬くなる。
一度言葉を切り——
「犯罪者に科される刑罰の1つよ」
そう告げた。
長瀬さんが恐れていたのは魔物だけじゃない。
俺達——探索者のことも、彼女にとっては警戒の対象だったのだ。
「そんな……」
サエさんが口を押さえて絶句する。
「……ほ、ほんとなんすか?」
震明さんが恐る恐る尋ねた。
長瀬さんの目が鋭く細められる。
「こんなことで嘘ついて、私に何の得があるのよ」
「あ、いや、さーせん。そうすね。そうすよね。ただ……」
つい、と震明さんがタロウさんを見る。
何かを言いかけて、しかし口にしていいものか迷っているようだった。
「あ、そっか。変態が有名人って話も」
レナさんが目を見開く。
確かに。有名な配信者だというタロウさんの事を俺たちは知らなかった。
『有名人(自称)』かと思っていたが、唯一知っていたサエさんは逆に俺たちの事を不思議がっていた。
「いや、それもあるんすけど……」
だが、どうやら震明さんが気にしているのは別のことらしい。
他にあるとすれば——
「帰還石か」
ティナさんが言った。
そうだ。帰還石に対する認識のズレ。
加えて探高の事も知らなかった。
「そもそもの制度や常識が違うとすれば、納得がいく」
「あーそれ、ボクも気になってたんだよね。そういう事かぁ……」
タロウさん自身も納得した様子だ。
「……」
しかし、震明さんは難しい顔で考え込んだまま。
——他に何かあるんですか?
そう問おうとした時。
「……光文」
ガイさんがぼそりと呟いた。
「何だガイ?こうぶん?」
「……光る文章で『光文』。爺さんが生まれた年号だ。俺は聞いたことがない」
言われて思い出すのは、森で出くわした時に聞いた話。
確か、免許に書かれた年号を知らないと言う話だったが——
「俺らも聞いたこと無いですね」
「わ、私も……」
もちろん俺も無い。
特別日本史に詳しいわけでは無いが、一応受験する可能性を考えてそれなりに勉強はしていた。
光文なんて元号は見た事も聞いた事もない。
そうなると——
俺、レナさん、震明さん、坂東夫妻。
タロウさん、サエさん。
長瀬さん。
爺さん。
八木さん、角田さん。
今この場にいるだけでも、少なくとも5つの日本が存在する事になる。
藤岡さんという人の日本も考えれば6つだ。
実際にはもっと多い可能性だってある。
むしろそう考えた方が妥当だ。
とある不安が脳裏を過る。
訳も分からずいきなり異世界に飛ばされ、どうやって日本に帰るかを考えていた。
しかし、もし帰れたとして。
その日本は、果たして本当に自分がいた世界の日本なのか?
皆その考えに思い至る。
再び場が沈黙に包まれ——
「はーいやめやめ。重い空気おわりー」
パンっ、とタロウさんが手を鳴らした。
「考えたって答え出ないでしょ。それよりメシ食おうよ」
そう言って席を立ち、酒場のカウンターに向かって歩いていくタロウさん。
「またあの変態は……」
呆れた声で、苦笑交じりにティナさんが呟いた。
空気が読めないのか、読まないのか。
もしかすると、誰よりも周囲を観察し、頭を働かせ、敢えて道化を演じているのかもしれない。
「うひゃあ!チーズワニだぁ!」
……前言撤回。何も考えて無さそうだ。
「あの……昨日から気になってたんですけど、彼は何故あの格好を?」
「趣味だろう」
「馬鹿なのよあいつ」
散々な言われようだ。
いやほんと……『留守番猫』で服くらい借りれただろ。
◇◆◇
朝食を食べたばかりなのでそれほど腹は減ってなかったが、摘まむ程度に食べたナッツは香草と塩で味付けされていて思いのほか美味しかった。
重くなりかけた空気も、そう時間を置かずに和らいでいく。
最初こそ戸惑いの方が大きかったものの、互いの世界の違いを言い合って楽しめるくらいの余裕すらある。
ふと、ギルドが騒がしくなっている事に気づいた。
職員が何度も受付と階段を行き来し、遠くから指示を飛ばす声が聞こえる。
何かあったのだろうか。
そう思っていると、受付奥からバッカスさんがこちらへやってきた。
手には何枚もの金属製の札。
「お前たちのギルド証だ」
机の上に9人分の札が並べられる。
本来なら受付で説明を受けながら受け取るらしいが、今は職員の手が空かないらしい。
「何かあったんですか?」
「街中で"小鬼"が出た。昨日の夜だ」
バッカスさんが簡潔に説明する。
チンピラ同士の喧嘩が勃発し、当事者の1人が衛兵へ出頭。
当事者は「仲間が"小鬼"に襲われた」と証言するも、最初は酔っ払いの戯言と判断された。
しかし当事者の他にも目撃者が複数現れた事から調査を開始。
結果、外壁と市街地の間にある荷捌き区画の下水道にボロボロになった"小鬼"の死骸が転がっていたらしい。
「というわけで八木、角田。すまんが午後からの打ち合わせは中止だ。というか手伝ってくれ。【緊急依頼】だ」
「あー、了解」
「しゃあなしすね」
いきなり忙しくなってしまったようだ。
もし俺たちにできる事があるなら手伝いたい。
ティナさんが口を開きかけた、その時——
――ゴォォォンッ!
腹の底まで震わせるような轟音が響いた。
建物全体が震え、窓ガラスがびりびりと鳴る。
「何事だ!」
バッカスさんが叫び、そのまま階段へ駆け出した。
俺たちも反射的に後を追う。
3階まで上がり、港側の窓へ駆け寄る。
そこから見えたのは、海面を割って浮かび上がる巨大な船だった。
3本の帆柱。
黒く巨大な船体。
船腹を流れ落ちる大量の海水。
港に停泊している商船が小舟にしか見えない。
理解が追いつかず、誰もが呆然とする中――
「クソったれ!早すぎるだろうが!」
バッカスさんだけが怒鳴った。
「また連絡も寄越さずに!港の許可はどうした!」
どうやら誰の船なのか分かっているらしい。
それから間もなく。
階下から、やけに明るい声が響いてきた。
「帰ったぞー!」
俺たちは再び1階へ下りる。
そこにいたのは、海水を滴らせた1人の女だった。
日に焼けた肌。
大きな三角帽子に、零れ落ちる赤髪。
腰には湾曲した剣。
肩にかけた厚手の外套は、歩くたびに大きく翻る
女は周囲の視線を一身に集めながら、両手を腰に当てて笑った。
「それで!」
酒場を見回し、声を張り上げる。
「オレの船に乗る新人クルーはどいつだ!」
視線が八木さんと角田さんへ集まる。
女は2人を見つけると、満面の笑みで近づいてきた。
「お前らか!話は聞いてるぞ!」
勢いよく二人の手を掴み、ぶんぶんと振る。
「オレは帆布の魔女!」
そして、自分の胸を親指で指す。
「名前はカルミナ・モルガンだ!よろしくな!」
ニカッと笑い、そう名乗った。
………………え?




