飛空箒 航程24 〜羽田創司〜
冒険者ギルド、バルヘイム支部。
通常業務の効率化に加え、有事の際には支部最大の戦力――すなわち自分自身をいち早く動かせるように。
そんな理由から、バッカスは普段1階受付奥で事務仕事をこなしている。
しかし、この日の朝は珍しく3階の支部長室にいた。
彼がこの部屋を使うのは、機密性の高い案件を取り扱う時か、誰にも邪魔されずに大好きな甘味を食べたい時だけ。今回は前者であった。
重厚な執務机の上には1枚の報告書。
昨日ギルドを訪れた、9名の異邦人について記されたものだ。
――転移ポータルより、異邦人9名が出現したとの目撃証言あり。
――衛兵との接触記録なし。
――直前、ポータル付近で暴行事件発生。ポータル監視役の衛兵はそちらの対応に回ったと推測される。
——被害者は市街地で「小鬼を目撃した」と証言。対象者らとの関係性は不明。
――対象者らは冒険者ギルドへ立ち寄った後、『留守番猫の雑貨棚』へ入店。
――以降、翌朝まで退出を確認できず。
バッカスは報告書を机へ放り、太い指で眉間を揉んだ。
港にある輸送用の大型ポータルと違い、万灯市に面する人身用ポータルの利用者は少ない。
時折、【哭成りの森】から帰還した冒険者が使用するが、危険度の高い魔境を常日頃から狩場にしている者などいない。
ポータルが光るのは、決まって誰かが特殊な依頼を受けた時だけだ。
それほど使用頻度の低いポータルであれば、近くで乱闘騒ぎが起き、見張りの衛兵が持ち場を離れてしまったのも仕方がない。
小鬼の目撃情報は酔漢の見間違いだろう。
日に焼けた小人族でも見たのかもしれない。
バッカスが気になったのはその次だった。
「留守番猫、か……」
以前、別の街のギルドマスターから聞いた奇妙な噂を思い出す。
曰く、その店は様々な都市に存在する。
店主の姿が百年経っても変わらない。
貴族家で家宝とされている魔道具と同じ品が、宿一泊分の値段で売られている。
店内の棚を三周すると死者と話せる。
魔女や王族、果ては魔物までのが店に出入りする。
ほぼ間違いなく与太話だ。
噂を語ったギルドマスターも、酒の席での雑談として口にしただけだった。
そもそも、その街に『留守番猫』が現れたのも、ほんの数年前だという。
——それでも、何かある。
噂を聞き、バルヘイムに『留守番猫』の店を見つけた時から抱いていた疑念。
幾多の戦場を駆け、数え切れないほどの死線を越えてきたバッカスの『直感』が、そう告げていた。
扉を叩く音が響く。
返事をするより早く、扉越しに職員が小さく声を発した。
「支部長。昨夜の異邦人たちが来ました」
「通せ」
ほどなくして、異邦人たちが部屋へ通される。
昨日よりもいくらか小綺麗な姿。
休息も取れたのだろう。表情から疲労の色も薄れている。
その後ろには、八木と角田。
昨夜、ギルドでそのまま酔い潰れていた2人とは1階で合流したらしい。
バッカスは水晶へ手を伸ばし——
「ああ、それは大丈夫だ。通訳術式は付与してもらった」
大柄な女が、先んじて告げた。
「……そうか」
何処で、とは聞かなかった。
通訳術式を付与できるのは白衣の魔女と契約を結んだ一部の機関だけ。
『留守番猫』とやらが白衣の魔女と関係しているのだとすれば——
胸中の疑念を表情に出さぬよう、一同を見渡す。
「登録の件だったな」
「ああ。よろしく頼む」
バッカスは手元の書類へ視線を落とした。
登録させないつもりはない。
だが、何の確認も取れていない今の状況で、正式な冒険者として認めるわけにもいかない。
「昨夜も話したが、改めて説明しておく。お前たちには紹介状もなければ、身元を保証する者もいない。内容の裏付けにも時間がかかる」
異邦人たちの表情がわずかに曇る。
「加えて、近く帆布の魔女が戻る。支部としても対応に人手を割かねばならん。仮登録までは進めるが、正式な手続きには数日――」
「あの……それなんですけど」
後方にいる若い男――バッカスの感覚ではまだ子供と言える――が、申し訳なさそうに話を遮った。
「これが身分証になるって聞きまして」
首元から何かを引き出す。
白磁の表面。
縁を走る精緻な金細工。
中央には幾重もの術式線が白衣の襟を象る透明な結晶。
白衣の魔女が、自ら手掛けた品にのみ刻む固有術式紋だ。
「……っ」
バッカスは言葉を失った。
視線を上げて若い男を見る。
もう一度ペンダント。
見間違えようがない。
ギルド本部から届いた極秘通達。
魔女に関する注意事項の中に、その意匠は確かに記載されていた。
偽物なら冗談では済まされない。
だがもし本物なら……さらに大事だ。
白衣の魔女が自ら身内と認めた存在。
知られれば、あらゆる国や組織がこの少年を手に入れようと動くだろう。
懐柔できなければ拉致。
それすら叶わなければ、他国に渡る前に殺そうと考える者もいる。
バッカスはしばらく沈黙した後、机の端に置かれた呼び鈴を鳴らした。
すぐさま飛び込んできた職員へ、9人分の登録書類をまとめて突き出す。
「最優先で処理しろ」
「しかし、身元確認が――」
「済んだ」
その一言で職員は口を閉じる。
書類を抱えて退出していく背中を見送り、バッカスは深々と息を吐く。
昨日現れた、出自不明の異邦人たち。
なかでも一番若い少年は、どうやらかなり危うく、厄介な立場にいるらしい。
◇◆◇
「はぁ~、何かよくわからないけど、とりあえず無事登録できてよかったです」
支部長室を出たところで、お疲れ気味の八木さんが大きく息を吐いた。
隣を歩く角田さんも顔色が悪い。
昨夜は2人とも、一晩中ギルドの連中に飲まされていたらしい。
「2人とも、大丈夫ですか?」
「まあ、仕事で慣れてますから」
「モンゴル出張の時に比べれば全然ですよ」
角田さんが遠い目をした。
異世界の冒険者を相手に朝まで酒を飲んでおいて、比較対象が海外出張なのか。
これが社会人の強さ……いや、悲哀と呼ぶべきか。
一階へ下りる。
登録証が完成するまでの間、俺たちはギルドに併設された酒場で情報交換をすることになった。
朝一ということもあり客の姿はほとんどない。
とはいえ誰もいないわけでもないようだ。
昨夜の大宴会で潰れたらしい冒険者がテーブルに突っ伏したり、床に転がっていたりする。
椅子を3脚並べて器用に眠っている人もいた。
酒と汗の匂いがわずかに残る中、店員が不機嫌そうな顔で床を掃いている。
俺たちはなるべく酒臭い死屍累々から離れたテーブルを2つ繋げ、周囲へ腰を下ろした。
「とりあえず、一般常識なんかは後でこれを見てください」
八木さんが鞄から紐で束ねた紙を取り出す。
同じものを追加で2部、卓上に置いた。
「全員分はないのでとりあえず3部だけ。別の日本人に会った時、毎回一から説明するのも大変だと思って、俺と角田で作っておいたんです」
受け取った資料を開いてみる。
最初に描かれていたのは、交都バルヘイムの簡単な見取り図。
次にこの国、ルヴァニア王国で流通している貨幣の種類。
宿代や食事代をまとめた物価表。
身分制度、宗教、法律、日本では常識でもこの世界では通じない事柄など。
「すっご」
「超助かるわ、これ」
軽く目を通しただけでも、この街にきて抱いていた不安や疑問のいくつかが解決した。
社会人、まじですげぇ……。
「地図は意図的に簡略化しています」
角田さんが説明を加える。
「この世界の測量技術は現代の日本ほど高くありません。あまり正確な地図を持ち歩いていると、衛兵に見つかった時に他国のスパイと疑われる可能性があります」
「それに、日本人だから全員信用できるとも限らないですから」
八木さんの言葉に、何人かが小さく頷く。
転移者の中に悪人がいない保証はない。
都市の詳細な地図など、悪用しようと思えばいくらでも悪用できる。
さらに頁をめくる。
――「ステータスオープン」と発声しても能力値は表示されません。
――冒険者登録時に水晶へ触れても、職業や適性は判明しません。
――経験値の獲得を示す音声などは確認できません。
――収納魔法およびアイテムボックスについて、現時点では存在を確認できていません。
――現地住民へ「魔王」について質問したところ、種族や出身地ごとに異なる伝承を説明されました。近い存在は居るようですが特定の一個人を指す言葉ではないようです。
――奴隷については地域・種族・国家によって制度が異なります。安易に購入しようとしないでください。
「……こういうのも調べたんですね」
「そりゃ調べますよ!」
「異世界転移したら、とりあえずステータスオープンでしょう」
八木さんと角田さんが、揃って当然のように答える。
総合商社で働くエリートサラリーマン。
そんな肩書きから連想する堅苦しい印象は、この2人には当て嵌まらないらしい。
高校生の俺としては、とっつきやすくて非常に助かる。
「ステータスに関して言うと、3日くらい言い方とポーズを変えて試しましたよ」
「3日も?」
2人は気まずそうに目を逸らした。
よく見ると、資料の端に赤線を引かれた一文があった。
――街中で奇声や奇行に及ぶと衛兵がとんでくるため要注意。
異世界のお約束に、現実は思っていたより厳しいらしい。




