もらった一歩 歩程2 〜羽田美紀〜
兄さんが生きている。
その事実を知った翌朝。
朝のニュースは相変わらず物騒で、スマホを開けば知らない誰かの怒りや困惑が流れてくる。
「被害者の映像を無断で配信するな」
「組合、対応遅くない?」
「警察は早急に配信元を特定すべき」
そんな声がネットに飛び交う。
『Observer Record』
そう銘打たれた謎の配信サイトでは、行方不明者の映像が24時間ライブ配信で流れている。
映像に映っている人達の中には、酷い目に遭っている人もいるらしい。
魔物に襲われている人。
武装集団に追われる人。
泣きながら誰かの名前を呼んでいる人。
そんなものを勝手に世界中へ流されて、被害者家族や周りの人々が平気でいられるわけがない。
だけど――
私は昨日より、ほんの少しだけ呼吸が楽になっていた。
兄さんは生きている。
それだけで、胸に詰まっていた重たいものが少しだけ軽くなった。
スマホを開く。
お父さんとのチャット画面。
既読は付いていない。
三日前、『仕事の都合でしばらく帰れない』と連絡してきたきりだった。
探索者組合の仕事。
緊急案件。
家族にも言えない機密。
きっとこの件のことなのだろう。
忙しいのも当然だ。
そう思うことにした。
私は義足の留め具を確認し、鞄を持って家を出た。
◇◆◇
「追いかけようか」
教室前の廊下。
昨日より幾分顔色の良くなったミナト兄が、さらっとそう呟いた。
これからどう動くか。
ジョー兄がそう切り出した直後の返答だった。
「追いかけるって……兄さんを?」
「うん」
ミナト兄は当然のように頷く。
「昨日、知り合いの獄卒に聞いてみたんだ。映像内で死亡したとされる人たちについて、何か知らないかって」
とんでもない単語がさらっと告げられた。
獄卒。
たしか、地獄で亡者を裁いたり罰したりする存在だったはずだ。
昔、兄さんから聞いた話だが、ミナト兄は『陰陽術』において国内でも上から数えた方が早いほどの実力者らしい。
本人に聞いても「担い手が少ないだけだよ」なんて、いつもはぐらかされるけど。
「全員、迷宮かその周辺から突然知らない場所に転移したらしい」
ミナト兄が静かに言う。
「つまり、鍵は迷宮にある」
眉間に皺を寄せて考え込んでいたジョー兄の顔が、ぱっと明るくなった。
「それなら今までやってきたことと変わらねえな!迷宮の奥を目指せばいいんだろ?」
「そうなるね。手がかりがない以上、該当する迷宮と周辺領域を片っ端から調べる必要がある」
「はぁ、助かったぜ。ネットじゃ異世界だの並行世界だの、訳分かんねぇ話ばっかだったからよ」
実際、ネットやSNSでは様々な考察が飛び交っている。
地形。
植生。
生物。
星の配置。
映像内で使われている言語。
そういった情報が次々と解析された結果、地球上に一致する地域は存在しないという話が出ていた。
映像の先は異世界ではないか。
そんな仮説が有力視され始めている。
でも。
異世界だろうと。
並行世界だろうと。
迷宮の奥だろうと。
そこにいるなら、追いかけるだけだ。
「私も行く」
気づけば、そう口にしていた。
二人の視線がこちらに向く。
「足並みを揃えて欲しいなんて言わない。初心者の私が、ジョー兄やミナト兄と並んで戦えるなんて思ってない」
今の私は、迷宮に潜る資格すらない。
それくらい分かっている。
でも。
「でも、待ってるだけは嫌」
義足の留め具に、無意識に指が触れる。
兄さんから貰った足。
前に進むための足だ。
「すぐ追いつくから」
そう言うと、二人は一瞬驚いた顔をし、どちらともなくニヤリと笑った。
「ソウジに似てきたな」
「だね。止めても聞かなそう」
再び真剣な表情になって、2人が私に向き直る。
「無茶するな、なんて言わん。でも何かあったら相談しろ」
「アドバイスくらいはさせてよ。美紀ちゃんに何かあったら、僕らが創司に殺されちゃう」
そう言い残して、二人はそれぞれの教室へ戻っていった。
私も教室に入ろうとした、その時だった。
prrrrrrr――――
スマホに着信。
画面に表示された送信元は【お父さん】。
私は慌てて電話を取った。
「お父さん! 兄さん、生きて――」
「分かってる」
固い声だった。
電話越しでも、疲れ切っているのが分かる。
「美紀。よく聞いてくれ」
嫌な予感がした。
思わず背筋が伸びる。
「僕が今から送るリンクを開いて」
すぐに通知が届く。
【https://observer-archive.net/xxxxxxxxxxxx】
RecordではなくArchive。
通話をスピーカーに切り替え、届いたURLをタップ。
揺れる視界。
聞き取れない怒号。
何かが砕けるような音。
そして、その画面の端に映った人影を見て――息が止まった。
「……え?」
見間違えるはずがない。
何度も見た背中。
慌ただしい時ほど雑になる髪の結び方。
お母さんだった。
電話の向こう、震える声でお父さんが言う。
「創司だけじゃない。母さんも、転移している」
◇◆◇
国家重要迷宮事案特別指定探索士。
それが、お母さんの職名らしい。
一月ほど前。
鹿児島第四迷宮――通称『桜島火口底』で、"単眼巨"の特異個体が発生した。
調査中だった探索者チームの報告により、"迷宮決壊"の兆候も確認。
外へ出れば国家緊急事態レベルの迷宮災害と判断され、お母さんへ任務が発令されたらしい。
事件が起きたのは、任務完了後。
組合のドローンカメラが、特異個体と取り巻きの"単眼巨"の掃討を確認した直後。
一瞬前までそこにいたお母さんが、忽然と姿を消した。
代わりに佇んでいたのは、額から二本の角を生やした赤い"鬼"。
カメラ越しでも、通常の魔物ではないと分かるほど異様な存在だったという。
組合は即座に追加戦力を投入。
しかし、討伐は困難を極める。
作戦開始から24時間後、討伐を諦め封印処置に以降。
事態が落ち着くまで、更にそこから丸2日を必要とした。
しかもその間、鬼は無抵抗だったらしい。
ここ数日のお父さんの緊急案件とは、謎配信サイトだけでなく、この件の対応も含まれていたようだ。
◇◆◇
昼休み。
スマホをじっと見つめていると、宮野さんが心配そうに声をかけてきた。
「あの、羽田さん……大丈夫? お兄さんの動画、見てるの?」
どうやら、かなり難しい顔をしていたらしい。
私は少し迷ってから、国家指定探索士や特異個体の話は省き、お母さんが転移したことを話した。
「えぇぇぇ!?」
宮野さんが目を見開き、口元を手で押さえる。
「そ、そんな……」
心底驚いている。
「その、大丈夫なの……?」
何となくだが、その言葉はお母さんではなく私へ向けられたのものだと感じた。
「いや、それが……」
私は言葉に詰まる。
たぶん説明するより、見せた方が早い。
画面下部のバーを左へスワイプし、動画を最初から再生する。
映し出されたのは、複数の――いや、無数と言っていい数の"大鬼"を相手に大立ち回りするお母さんの姿。
「へ?」
宮野さんが固まった。
昨日、兄さんが爆散した時と同じか、それ以上に口をぽかんと開けている。
気持ちは分かる。
多分私も同じ顔をしてた。
画面の中のお母さんは、冗談みたいに強かった。
大鬼の棍棒を紙一重で避ける。
踏み込んだ衝撃で大地が割れる。
剣の一振りで斬撃が飛ぶ。
背後から襲いかかる別の"大鬼"を、振り向きもせず蹴り飛ばす。
お母さん?
これ、本当にお母さん?
物価高に文句ばかり言ってるあの?
休日にソファで寝落ちして、気持ち悪い笑顔のお父さんに寝顔を撮られるあの?
動画の終盤。
大鬼の群れを斬り伏せたお母さんが、ふと立ち止まつまた。
そして、小さく呟く。
『見られてるな』
次の瞬間。
ギロリ、と。
お母さんの目が、画面越しにこちらを見た。
『そこか――』
剣を振り上げる。
その瞬間、映像はぷつりと途切れた。
「……この先、お母さん視点のライブ映像はないみたい。ただ、この後に別の転移者の映像に映り込んでるのが見つかったから、少なくとも死んではいないだろうって」
「す、すごいね……色々……」
宮野さんが困惑しきった顔で呟いた。
わかるよ、その気持ち。
自分の母親がこんなに強いなんて聞いてない。
お父さんに問い詰めたら、
「機密だから! 機密だったから!』」
と、半泣きで言い訳された。
仕方ないのは分かる。
分かるけど、しばらく許す気はない。
「それより、宮野さんさえ良ければ一緒にお昼食べない?」
「え!?」
私の言葉が余程意外だったのか、宮野さんがまたしても固まった。
きっと、ずっと心配してくれていたのだ。
昨日から何かと気を遣わせてしまっている。
でも――私は、何だか少し吹っ切れていた。
兄さんも、お母さんも、簡単には死なない。
私が思っているよりずっと強い。
――追いかけなくちゃ。
――兄さんがくれた足で。
――お母さんが隠していた背中を目指して。
今度は私が家族を迎えに行く。
「た、食べる……! 一緒に! はい!」
なぜか日本語が怪しくなった宮野さんと、私は二人で昼食を摂った。
◇◆◇
昼休みも終わりに差しかかった頃。
食事を終えて宮野さんと雑談していると、教室の窓際に陣取っていた男子達が急に騒がしくなった。
中心にいた坊主頭の生徒――川口君が、きょろきょろと教室を見回す。
体育会系で声が大きくて、考えるより先に動くタイプ。
川口君は私を見つけるなり、大声を上げた。
「おい羽田! ちょっとこれ見――」
「やめろ馬鹿! 昨日の今日だぞ!? ちったあ考えろ!」
「そうだぞ!話すなら俺から話しかけたい!」
「バカてめぇ、そこは委員長推しの俺に譲れ!抜け駆けすんな!」
「控えたまえ下郎共。今は花と花が語らう時間だ」
そして、何かを言い終える前に、周りの男子達に羽交い締めにされた。
何か揉めているみたいだけど、小声でよく聞こえない。
「んだよ!遅いか早いかの違いだろ!俺なら後で知る方が嫌だね!」
川口君は男子複数名に押さえ込まれながらも、んぎぎっ、と歯を食いしばってこちらへ進んでくる。
「くそ、馬鹿力が……!」
「重機かこいつ!」
「愚か者!芽吹きかけた若葉を踏み荒らす気か!」
「こいつ何言ってんの……?」
「羽田ァ!委員長ォ!これ見ろ!見なきゃダメだ!」
最後はほとんど投げるように、スマホがこちらへ差し出された。
反射的に受け取る。
画面に映っていたのは、配信サイト。
ただし、謎配信ではない。
私も知ってる、兄さんお気に入りの探索者兼配信者のチャンネルだ。
というか、これ――
「これ、羽田さんの義足の……?」
宮野さんが画面を覗き込み、小さく呟く。
そう。
私の義足に使われている魔物素材――“柔筋の青粘塊”を最初に発見した探索者のチャンネルだ。
チャンネル名は『JIRO.ch』。
釣りを中心に、海洋類魔物との戦闘や海系迷宮の探索動画を上げている探索者。
ファンからはチャンネル名そのままに「ジローちゃん」と呼ばれている。
その最新動画。
タイトルは、『【緊急】情報提供をお願いします』。
胸の奥がざわついた。
再生ボタンをタップする。
『……すみません。今日は釣りの動画じゃありません』
掠れた声だった。
画面の中のジローちゃんは、いつもの軽い調子ではない。
目元が赤く、何度も言葉に詰まっていた。
『数日前、警察の方が家に来ました。今話題になっている謎の配信サイトについて、事情聴取したいとのことで……』
ジローちゃんは一度、強く目を閉じた。
『その映像に、兄が映っていました』
兄。
その言葉に、指先が強張る。
この人も私と同じ。
家族が転移して、心配でしょうがなくて、こんなに憔悴してしまっている。
――そう思ったのたが、事態はもう少し複雑だった。
『俺の兄は、神代太郎といいます』
心臓が跳ねる。
それは、兄さんの映像に映っていた人物の名前だ。
『本人視点の映像は、どれだけ探しても出てきません。ただ、他の方の映像に映っていました。羽田創司さん。柊 麗奈さん。坂東 凱さんに坂東ティナさん……他にも、複数の行方不明者の映像に』
画面の向こうで、ジローちゃんが深く息を吸う。
そして――
『兄は……四年前に死んでいます』
そう言った。
教室から音が消えた。
『もし、何か知っている人がいたら。どんな些細なことでも構いません。どうか、情報提供をお願いします』
ジローちゃんが深々と頭を下げる。
そこで、動画は終わった。
「は、羽田さん……」
宮野さんが、震える声で私の名前を呼ぶ。
私はゆっくりと教室の天井を仰いだ。
国が頼るレベルの実力者だったお母さん。
次から次へと厄介事に巻き込まれていく兄さん。
「……追いつけるかな、これ」
私の家族、思ってたよりだいぶおかしい。




