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Breaking God 取引2 〜網代恒一〜

「ほーら、朝ごはんだぞー」

「ィぐルァア!」

「げリュれぃアッ!」

「……ッ、……ッ、……ッ」


 この世界にきて早くも一週間。

 目の前では醜い化物達が織りなす地獄絵図が展開されていた。

 

 白い粉をめぐって血みどろの殴り合いを行う怪物に、ぼーっと空を眺める怪物。

 無感動に頭を木の幹にぶつけ続ける怪物は昨日からあの調子だ。

 もはや日課となりつつある安全圏からの餌やり・・・を終え、地獄を見ながら湿気たタバコに火を点ける。


 「ふーっ……」


 こんな世界でも空は青い。

 雲一つない快晴に、白い煙が溶けていく。

 太陽らしき恒星から放たれる日の光が全身を包みこみ、ひんやりと冷たいそよ風が身体の火照りを流していく。

 

 清々しい朝。

 考えることはただ一つ。


 「どうしてこうなった」


 ◇◆◇


 一週間前。

 人里らしきものは案外すぐに見つかった。

 

 翼の生えた鹿擬きに轢き殺された化物へ手を合わせ、唾を吐き捨て足蹴にした後。

 森をビクつきながら彷徨うこと20分。

 ぽっかり開けた空間と、建築物を見つけた。

 

 外周はなんだかよく分からない半透明の膜に覆われている。

 マーブル模様の光が波打つ、悪趣味なヴェールだ。

 

 その内側に、草藁で葺いた低い小屋が数軒並んでいる。

 簡素な集落だ。

 

 泣きながら駆け寄ったものの、様子がおかしい。

 

 家らしきものはあるのに、人の気配がまるでない。

 話し声どころか生活音すら聞こえなかった。

 

 必死に動かしていた足を止める。

 木陰から慎重に様子を窺うが、やはり音がしない。


 正直言って、心細さで死にそうだった。

 今すぐ誰かに助けを求めたい。

 人に会って安心したい。

 

 だが、ここは慎重になるべきだ。

 もしもここが廃村で、人っ子ひとり住んでいないなんて事になれば、繊細で美しい俺の心は折れかねない。

 

 ……いや、それで済めばまだいい。


 この集落――ひいてはこの世界にどんな人種が住んでるかわからないのだ。

 

 人以外の何かが出てくるリスクを否定できない。

 人だとしても食人部族という可能性もある。

 あるいは考えたくもないが、あの醜悪な化物が簡素な文明を築いている事も想定しておくべきだろう。


 「野蛮人どもが……」


 何故だろう。

 集落を見ていると、妙に腹が立ってきた。

 

 自分でも理由は分からない。

 だが考えてみれば、おかしな話だ。

 

 いったい俺が何をした?

 自宅で掃除機買おうとしてただけだ。

 化物に襲われ、夜の森に怯える理由なんてどこにもないはず。


 そうだ。

 怯える必要なんてない。

 

 食人部族?

 化物?

 

 だから何だ。

 未熟な文明の猿如きが、数億年の歴史を受け継ぐ地球人類に勝てる道理などあろうか。


 「現代人舐めんじゃねぇぞ……っ!」


 高ぶる感情の矛先は、気色の悪い半透明。

 資本主義社会における戦闘員サラリーマンの主武装たるラップトップを振り回しながら、集落へ攻め入る。


 「死にさらしゃあああああ!!」


 雄叫びを上げて己を鼓舞し、固く握った現代兵器を全力で叩きつけようとした、その瞬間。


 視界の隅に、幾何学模様がちらついた。


 生理的嫌悪感を催す、紫色の模様。

 薄膜に浮かんだその模様から、どういうわけか目が離せない。

 

 PCを振り上げたまま紫色を凝視する。

 少しずつ、だが確実に思考が侵食されていく。


 ヤバい。

 そう脳が警鐘を鳴らしているのに、視神経が言うことを聞かない。

 

 幾何学模様を中心に世界が回りだし、平衡感覚が失われ、遂には立つ事さえ困難になって――


 「うっ、ぐええぇ……!」


 吐き出した吐瀉物に頭からダイブ。

 俺の意識はそこで途絶えた。


 ◇◆◇


 『バカなのかお前?』


 微睡みの中、聞こえてきたのは鈴の鳴るような美しい罵倒。 

 

 川のせせらぎ。

 夏の風鈴。

 蛙飛び込む水の音。

 

 風情すら感じる美声が脳へ沁みる。


 「もっかいいって……」

 『バカな上に変態ときた。早めに殺すか』

 「……んぇ?」

 

 何やら失礼な事を言われた気がして、重たい瞼を持ち上げる。

 

 寝ぼけ眼が捉えたのは、篝火と人影……そして、突きつけられた槍の穂先だった。

 

 「ちょっ、え……待った、待った待った待った!」


 半覚醒から全覚醒へ。

 エンジンがかかると同時に脳がトップギアで回転を始め、付近の血液を掻き集めて状況把握に努める。


 鉄を木に括りつけただけの粗末な槍。

 それを構える、骨の頭。

 肉食獣めいた2本の犬歯を携える顎の下から、全身刺青まみれの艶かしい女の身体が生えていた。


 「……まだ夢だったり?」

 『残念ながら現世うつしよだ』

 「とか言ってるあんたも俺の見てる夢の可能せいった!?痛いっ!現実だこれ!!」


 振るわれた槍が耳を掠める。

 反射的に傷口を抑えれば、手にべっとりと血が付いていた。

 

 「……マジかよ」

 『安心しろ、すぐにまた永眠ねむらせてやる』

 「マジかよっ……!?」


 股の間へ槍が突き刺さる。

 咄嗟に脚を開かなければ俺の槍と奴の槍が激突するところだった。

 

 『逃げるな。一撃で急所を突かんと痛いぞ』

 「一撃でも痛いわ!」


 絶体絶命。

 何かないかと周囲を探れば、ラップトップが尻の下敷きになっていた。

 咄嗟に拾い、股間をガード。


 『神器!……やはり教会の者かっ!』


 何言ってるのかよく分からんが、異形から弄ぶような余裕が消えた。


 駆け寄る異形。

 放たれた刺突の先はまたしても股間。

 だが、挟まれた|盾(PC)により得物同士がかち合うことはなかった。


 「ははっ!星5レビュー確定!!」


 もし帰れたらショッピングサイトで最高評価をつけると誓う。

 

 【異世界の蛮族が繰り出す槍から僕の股間を守ってくれました。日本の技術力と恐るべき耐久性に星5です!】

 

 ドバドバ溢れるドーパミンのせいか、変な方向にズレた思考を引き戻す。

 

 再び構える異形。

 またしても股間狙い――そう思った瞬間。


 「あぐぁっっ……!」


 槍は左手を貫いていた。

 手の甲に刺さった槍が、肉を突き抜け反対側から飛び出している。

 

 めちゃくちゃ痛い……!


 異形が何事かを唱える。

 直後、左手の指先から肘までが黒い靄に包まれた。


 「ち、力が……入らなっ……」

 『<体力奪取エナジードレイン>。お前らが嫌う"呪い"の一種だ』


 マジで何言ってるのか分からない。

 いやそれより痛い。

 あと怖い。

 あと寒い。

 あと多分ちょっと漏らした。


 「ひぃ……っ……」 

 『ほら祈れ。お前らが大好きな神とやらに』


 神……?

 そう言えばさっきも教会がどうとか言っていた。 

 命乞いでもしろって事か?

 神が助けてくれるのか?

 さっきは鹿に助けられた。

 あの鹿モドキに祈ればいいのか?

 痛みで思考がまとまらない。


 『いいのか?祈らないならこのまま殺すぞっ!』

 「……っ、ぁ……」


 情けない声が漏れる。

 異形の女は槍を握ったまま、じっと俺を見下ろしている。


 何なんだよこの状況。

 痛みと恐怖で頭がおかしくなりそうなのに、現実感が伴わない。

 

 『……妙だな』


 ぽつりと、骨の異形が呟いた。


 『反応が薄い』


 槍を引き抜く。

 俺は悲鳴を上げながら地面を転げ回った。


 「あがっ、ぃっ……うぅぅ……!」

 『神器持ちの教会騎士なら、今ので呪詛返しが飛んでくるはずだが』


 女が槍を軽く振る。

 穂先についた俺の血が焚火へ飛び、ジュッと音を立てた。


 『それに、魔力が妙に薄い』

 「ま、まりょく……?」


 混乱する俺を見下ろし、異形はしばし黙り込む。

 やがて、ふぅ、と呆れたように息を吐いた。


 『……なるほど。本当にただのバカが結界に突っ込んだだけか』

 「けっかい……?」

 『あの膜だ。お前がラッパみたいな声を上げながら殴りかかってきたやつ』


 ラッパみたいな声って何だ。


 『客観的事実だ』


 酷い。

 異形は槍を肩に担ぐと、焚火の向こう――結界とやらへ視線を向けた。

 

 ……というか今気づいたが、ここ集落の中だ。


 『あれは誘導結界。知能の低い生物の本能を刺激し、判断力を奪う精神汚染術式。小鬼ゴブリン用に調整してある』


 ゴ、ゴブリン……。

 さっき見たあの化物がだろうか。

 ゲームなんかと違ってめちゃくちゃホラーで汚かった。

  

 『人並みの知性と精神耐性があれば問題ないはずなんだが……』


 女の視線が俺へ向く。


 『お前は真正面から突っ込んだな』

 「……」

 『しかも殺意全開で』

 「…………」


 思い返せば、確かに「未熟な文明の猿」だの何だの、自分でも不思議なくらい攻撃的になっていた。

 今考えると完全におかしい。


 「……あれ、結界のせい?」

 『ああ。知能が低く精神が未熟な証拠だ』

 「色々酷くない?」


 異形の女は鼻を鳴らし、おもむろに頭へ手をかけた。

 骨の頭蓋を、兜のように持ち上げる。


 「……え?」


 現れたのは美しい女性。

 

 長い黒髪。

 白磁のような肌。

 大きな赤い瞳。


 だが最も印象的なのは、全身に刻まれた刺青。


 顔にも。

 腹にも。

 足首にも。


 黒い紋様が、生き物みたいに肌を這っていた。

 妖艶で、危うく、どこか人間離れした美貌。

 

 ぽかんと見惚れる俺に、女は半眼を向けた。


 『なんだその顔は』

 「いや……その……」


 異形の怪物だと思ってたら美女だった。

 しかも半裸。


 女は呆れたように肩をすくめた。

 

 『安心しろ。少なくとも今すぐ殺したりはしない』

 「そ、そうか……」


 全身から力が抜ける。

 助かった……たぶん助かった。

 殺されかけたけど人違いらしい。

 人に会えただけでも御の字だ。

 いきなり森で遭難かと思ったが、とりあえず何とかなりそう。

 そう安堵しかけた、その時。


 『ところでお前、料理はできるか?』

 「へ?料理?」


 女が視線を向けた先。

 焚き火の横に、黒ずんだ鍋。

 そこから足がはみ出るほどデカい蟹……いや虫か?虫だ!デカい虫が煮込まれてる!?


 『まあ、仲良くやろう。私も絶賛遭難中なんだ』

 「…………」


 ははっ、前途多難だ!


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