飛空箒 航程19 〜羽田創司〜
世界が光に包まれる。
溶ける地面に吸い込まれ、粘体の中を落ちていくような奇妙な浮遊感。
足元が消え、身体の輪郭さえ曖昧になっていく。
この不快さだけは、何度味わっても慣れる気がしない。
閉じた瞼を手で覆い、視覚への負担を最小限に抑える。
だが転移酔いだけはどうしようもなく、地面に着くなりうずくまった。
「ぉぇ……」
マジで吐きそう。
喉の奥に胃酸と紅茶の香りがこみ上げる。
「飲み過ぎた……」
あれだけ美味いのも考えものだ。
『だらしないのう。やはり肉の身体は脆弱にすぎる』
ぶら下げたペンダントから声がした。
「うるせぇ……」
胃の辺りを押さえながら睨みつける。
カルミナさんから渡されたペンダント。
白磁にも似た乳白色の台座に淡い金色の装飾。中央には幾何学模様の刻まれた透明な結晶が嵌め込まれている。
助手の証であり、身分証明書も兼ねた魔道具らしい。
その表面に浮かぶ小さな光球が、愉快そうに明滅していた。
『しかし上手くいったものだな』
「正直、失敗すると思ってた」
転移前のやり取りを思い出す。
一応、石板の転移をカルミナさんにも試してもらったが結果は不発。
魔力を流そうが術式を解析しようが、石板は何の反応も示さなかった。
やはり石板で転移できるのは俺だけなのか。
そう思いつつも、ダメ元で思いついた案を試してみた。
服や荷物は転移に巻き込まれる。
カルミナさんの話では、ジャンクスフィアは人間を模した身体に入っているだけで、本質は精霊に近い存在だという。
ならば、俺の持ち物に憑依なりできれば一緒に飛べるのではないか。
結果は難なく成功。
カルミナさんは来られなかったが、ジャンクスフィアだけはこうして同行している。
『我を荷物扱いしおって』
「実際荷物だろ」
『使い魔である!』
元気な声が返ってくるが、酔いが酷くなりそうなので無視。
数度深呼吸を繰り返し、ようやく立ち上がる。
改めて周囲を見回した。
布製の壁。
折り畳み机。
簡素な寝台。
見覚えのあるテントだ。
どうやら撤退の際に石板も回収してくれたらしい。
置き去りになっていたら、また面倒なことになっていただろう。
『む?』
ジャンクスフィアが何かに気付いたような声を漏らす。
耳を澄ませると、テントの外から人の声が聞こえた。
既に日は落ちている。
恐らく夕食の時間だ。
意識した途端、腹が鳴った。
とりあえず皆に顔を出そう。
またコンソメ猪肉スープが出ていないかな、と少し期待して入口の幕を開く。
――直後。
「だから待てって言ってんだろうが!!」
怒号が夜営地に響いた。
思わず足が止まる。
焚き火の周囲に人だかりができていた。
「ボクのせいだ! 行かせてくれ!」
「だからって突っ込んで死んだら意味ねぇだろ!」
「見捨てろって言うのか!」
「んな話してないだろ! 朝まで待てって何度言えばわかる!?」
タロウさんとティナさんが怒鳴り合っている。
さらに、少し離れた場所で誰かが地面を蹴る音が鳴り――
「ダメです! 行かせません!」
「サエ……お願い、手を離して」
「嫌です! 絶対離しません!」
気配を消したレナさんが、サエさんに捕まっていた。
焚き火脇の意思に腰掛ける長瀬さんは膝に顔を埋め、震明さんは暗い表情で俯いている。
その隣で腕を組むガイさんは無表情だが、どこか苦しそうに見えた。
誰の話をしているのか、考えるまでもない。
『助手殿! やはりモテモテ――』
「マジで黙れ」
どうしよう。
凄く気まずい。
だが既にテントを出てしまっている。
おまけに微笑みを浮かべる爺さんと目が合った。
というかテントを出た直後に手招きされた。
覚悟を決めて歩を進める。
「あの――」
全員の視線がこちらへ向く。
「えっと……ただいまです」
◇◆◇
言うまでもなく、大騒ぎになった。
タロウさんに泣きながら抱きつかれ、
レナさんには半泣きで「無茶しすぎ……!」とお叱りを受け、
震明さんには土下座で謝罪を繰り返された。
さらにはガイさんにまで頭を下げられる。
「俺が怪我をしていなければ……」
何故かと尋ねて返ってきたその一言に、深い後悔が滲んでいた。
……どうやら思っていた以上に心配をかけていたらしい。
揉めていた原因も案の定、俺を助けに行くかどうか。
より正確には、今すぐ行くか朝まで待つか。
行くこと自体は全員の共通認識だったらしい。
申し訳なさと気恥ずかしさ。
そして、それ以上に大きな感謝の念が湧いた。
結局議論では決着がつかず、多数決になったという。
結果は、
「今行くべき」が三票。
「朝行くべき」が四票。
「棄権」が一票。
朝まで待機で決まった直後、タロウさんとレナさんが森へ突撃。
予想していたティナさんとサエさんが即座に捕縛。
そのタイミングで、俺がひょっこり帰還してきたとの事。
「棄権の一票は自分っす……」
震明さんが申し訳なさそうに頭を下げる。
転移罠は死亡率の高い罠として知られている。
自分の軽率な行動で俺を死なせたと思い込み、相当責任を感じていたようだ。
意見は持たず決まった方針に全面同意の精神で、仮に「囮になれ」と言われたら魔物に突っ込むつもりだったと言う……気に病みすぎだ。
意外だったのは、長瀬さんが「今行くべき」に賛同していた事。
「……未成年の子が死ぬのは嫌だっただけよ」
そう一言だけ呟き、再び口を閉ざした。
そしてようやく――
「はぁ……では会議を始める」
ティナさんの声で全員が顔を上げる。
焚き火を囲む面々の表情は、先程よりいくらか落ち着いていた。
もっとも。
俺が生還した理由について説明を求められた結果、今度は別の意味で頭を抱えることになるのだが。
「異世界……だと……」
絶句。
そう表現するのに相応しい、重い沈黙。
「何か……証拠はあるか?」
絞り出すようなティナさんの問いに、ペンダントを首から外して地面に置く。
向こうで聞いた話については、ジャンクスフィアから説明してもらう予定だ。
混乱は避けられないだろう。だが逆に、それくらい訳の分からない存在の方が信憑性は増すと考えた。
「ジャンクスフィア、説明頼む」
『……』
「……ジャンクスフィア?」
『バカなっ、3号機が……』
こ、こいつ……!
「ジャンクスフィア!カルミナさんに言いつけるぞ!」
『っ!?なんだ!やめろ!使徒襲来ではないか!』
やはり人の記憶を勝手に覗いていたらしい。
ペンダントに憑依させる際、カルミナさんから忠告されたのだ。
多分仕事をサボって文化作品の鑑賞に耽る、と。
まさか初っ端からやらかすとは思わなかった。
「ペンダントから……声が……」
だが、結果オーライというべきか。
人の記憶から勝手にアニメを視聴していたらしいペンダント型不思議生命体へ、全員の視線が釘付けになっている。
そして――
『我が名はジャンクスフィア!高尚な文化的高次種族にして我が主の使い魔――』
そんな大仰な名乗りから始まった一連の説明を、ほとんどの者が口を半開きにして聞いていた。
「愉快なお客さんじゃの」
「食文化!食文化は興味ありますか!?」
若干2名は平常運転のようだ。
『――というわけで。貴殿らの身柄は我が主が保護する事になった。助手殿の尊い犠牲に感謝するがよいぞ』
「おい」
不安になるような言い方はやめてほしい。
「その……カルミナという人物は信用できるのか?」
低い声で問うたのはティナさん。
少し考える。
信用。
知り合って数時間の相手に使うには、重い言葉だ。
だが――
「少なくとも、俺達を利用して捨てるタイプには見えませんでした」
面倒臭そうにしながらも、細かいところまで説明を省かなかった。
カルミナさんからすれば、“虫”の解析なんてやる必要はなかったはずだ。
ジャンクスフィアの提案で俺を助手にする時も、他人へ迷惑をかけたくないという感情がひしひしと伝わってきた。
多分、優しい人なんだと思う。
それに――
「あの人、多分めちゃくちゃ強いです……格が違う感じで」
うまく説明できないが、片手間で行われた術理の数々に太刀打ちできるとは到底思えない。
考えてみればジャンクスフィアみたいな化け物が普通に頭を下げる相手なのだ。
少なくとも敵対すべきではない。
ティナさんが深々とため息を吐いた。
「……なら、考えても仕方ないか」
「投げたね?」
「現実的判断だ」
タロウさんの茶々に、肩を竦めるティナさん。
「ひとまず」
ティナさんが仕切り直すように手を叩く。
「安全を確保したい。そこのペンダントの話では、近くの街へ転移できるんだったな?」
「ええ、転移陣貰いました」
カルミナさんから渡されたスクロールを取り出す。
複雑な紋様が描かれた転移陣。
日本で見るそれと大差ない。
起動すれば、最寄りの街に設置された転移ポータルまで移動できる。
『正確には簡易接続式座標転移陣だな。術式を解析できない文明レベルの低い地域でも使用可能なよう調整されておる』
「急に上位存在っぽい説明するのやめてほしい」
ともあれ。
移動できるなら今は何でもいい。
ティナさんが頷いた。
「ならすぐ使おう。ここは危険すぎる」
異論は出なかった。
スクロールを地面に広げ、輪になって前へ伸ばした手を重ねていく。
『転移陣』も『転移石』同様、複数人で飛ぶ場合は肉体接触が必須だ。
握手でも何でもいいんだが、大体どの探索者もこれで飛ぶ。
様式美ってやつだ。
「じゃ、いきます」
魔力を流し込む。
全員の足元に、淡く輝く紋様が展開した。
瞬間。
視界が白く染まる。
浮遊感。
粘体を通る転移特有の不快感。
そして次の瞬間には、石畳の感触が足裏へ伝わっていた。
「ぅっ……」
思わず呻く。
だが石板で転移した時ほどの酔いはなく、内心かなり安堵した。
石造りの広場。
肉と、酒と、香辛料の匂い。
行き交う人々。
森とは違う。
そこは、確かに“街”だった。
そして――
「見たか角田!?やっぱあれ転移系のやつだ!」
「最初の街で転移とか邪道……!」
妙にテンションの高い、スーツ姿の男性2人に出くわした。




