飛空箒 航程17 〜羽田創司〜
別の世界。
そんな単語、漫画やゲームの中でしか聞かない。
脳が理解を拒否しているのか、その言葉は妙に遠く感じた。
考えなかったわけじゃない。
ガイさんが迷宮の星でも地上の星でもないと語った時、映画や漫画みたいに別の惑星や異世界にいるのか? という考えは一瞬脳裏をよぎった。
もっとも、現実味がなさすぎてすぐに思考の隅へ追いやったが。
カルミナさんは気にした様子もなく、“虫”を閉じ込めた全天球カメラのような空間をテーブルへ転がす。
「こいつは<望遠>術式。簡単に言えば、遠方を観測する術式をベースにいくつかの術を組み合わせて作られた『魔術』だ。視覚情報の記録や転送機能もある」
「カメラじゃないすか」
未だ混乱する思考で何とか説明を咀嚼し、理解に努める。
「我知ってる!知っておるぞ!カメラというのはだな――」
先ほどまで俺の記憶を覗いていたジャンクスフィアが得意げに語り始め、カルミナさんが軽く手を挙げてその言葉を遮った。
「お前の話は後だ……それより君、何か質問はあるか?」
聞きたいことなんて山ほどある。
だが――
「その……<望遠>の魔術ですか?それでどうして別の世界なんて事になるんです?」
結局、一番聞きたいのはそこだった。
「<望遠>術式というのは、要するに"窓"だ」
「窓……?」
「部屋から外を眺めるように、遠く離れた場所を覗くための穴を作る。そんな魔術なんだ」
右手で転がした球体空間を左手が受け止める。
ピタリと止まった"虫"が、球体の中からこちらを見ている――そんな気がした。
「"窓"は必ず二つある。部屋の中から見る窓と、外から見る窓。<望遠>の欠点の一つでもあるが、双方が互いに窓の向こうを視認できる」
少し考え、理解する。
なるほど。
こちらが相手を見るのと同じように、相手からも“窓”越しにこちらが見えているわけか。
カルミナさんは空間を鷲掴みにし、目の高さへ掲げた。
褐色の細い指から、球体に反射した室内灯の光が漏れる。
「それに"窓"は取り付ける”壁”があって初めて存在を確立する。三千里離れた山、二万里先の海底――あるいはそう、人の記憶の中であろうと覗き込む時には必ず"窓"と"壁"が必要になる」
言われて思い出すのは、俺の記憶を覗くジャンクスフィアの姿。
確か指で輪っかを作っていた。
あれも<望遠>の一種なのか。
「だが、こいつはそのどちらにも当て嵌まらない。いくら”部屋の中”を覗こうとしても何も見えん。”窓”の縁にも”壁”はない」
「壁がない?」
「少なくとも、この世界にはな」
ソファの背にもたれ、彼女は淡々と続ける。
「術式が正常に機能している以上、観測者は必ず存在する。誰が、何の目的でこんな事をしているのかは分からないが――」
“虫”をーーいや、“窓”の先を青い瞳が睨みつける。
「君は観察されている」
底冷えするような声音だった。
驚愕で思考が空転し、言葉を失っていると、カルミナさんは球体空間をジャンクスフィアへ差し出した。
「一応おまえの見解も聞いておきたい。これは人間が作った代物か?」
「……ほほう?」
ジャンクスフィアは愉快げに顎髭を撫で、球体を受け取る。
その瞬間――
「……っ!?」
見た目は変わらない。
だが、雰囲気が――いや、存在の格とでもいうべきものが、一瞬で別物へ変わった。
凄まじい圧。
その存在を直視することはおろか、まともに呼吸すらできない。
「ふふっ、ふははははっ!粗悪でお粗末、稚拙な駄作!高級食材で残飯を作るが如き愚作であるな。高度な術式を乱雑に配して無理矢理繋げておる。人間如きには扱えぬし、仮に扱えるならもっと上手く作るであろうよ」
「つまり?」
「我と同種、あるいは近い次元の存在による作品だろう」
ぽいっと投げ捨てられた球体空間が、布テーブルに重たい音を響かせる。
同時に、ジャンクスフィアから“圧”が消えた。
「――っ、はぁ……! はぁっ……!」
肺が酸素を求めるように痙攣する。
喉が焼けるほど痛い。
たった数秒。
それだけのはずなのに、何時間も深海に沈められたような息苦しさだった。
「……そうだった。すまない、失念していた。ジャンク、お前も謝れ」
「す、すまぬ」
軽い調子の謝罪。
だが、俺は返事をする余裕すらなかった。
いま目の前にいるコイツは、本当にさっきまでのおもしろ生物なのか?
得意げに喋って、どことなくコミカルで、少し鬱陶しいくらいの存在だった。
その奥に、化け物じみた何かが潜んでいる。
背中を冷たい汗が伝う。
逃げろ、と本能が警鐘を鳴らしていた。
「休憩するか?」
カルミナさんの言葉に、反射的に頷きそうになる。
だが――ここで席を立てば、多分もう戻れない気がした。
「……大丈夫、です」
掠れた声でそう答え、深呼吸を繰り返す。
恐怖は消えない。
呼吸も、心臓も、まだうるさいくらい暴れている。
それでも何とか絞り出す。
「……お前は、一体何者なんだ」
「む?我か?」
ジャンクスフィアはきょとんと瞬きをした後、なぜか胸を張った。
「ふはは!よくぞ聞いてくれた!」
ビシッ、と謎の効果音が鳴りそうな勢いで自分を指差す。
「我は偉大なる超高次知性体――」
「長くなるぞ」
「まず種族名から説明すると――」
「要約して話せ」
「……しょうがあるまい」
不服そうに髭を撫でるジャンクスフィア。
そんな超越不思議生物を見ながら、俺は乱れた呼吸をゆっくり整えていく。
一瞬前までの圧倒的な存在感が嘘みたいだ。
……なんなんだコイツ。
「我はあらゆる知性体の文明へ赴き、そこに生じた文化や技術、その妙技に触れることを至高とする種族――『ウェルメイディアン』である!!」
俺の記憶を参考にしたのだろう。
昔見た戦隊モノのポーズをきめて、そう言った。
ぽかんとする俺を見てカルミナさんがため息交じりに補足する。
「こいつは天に浮かぶ別の地上の――面倒だな。宇宙は分かるか?星や天体という単語は?そうか、なら話は早い。超高度文明を築いたはいいもののやることがなくなって別の種族を見つけてはちょっかいを掛けて回っている宇宙人だ」
「質悪すぎるだろ」
「褒め言葉として受け取っておこう!」
胸を張るジャンクスフィアに、カルミナさんが呆れたように額を押さえる。
「……まあ、こいつが妙な知識を持っている事は理解できただろう。石板と、君の記憶の解析結果も信用していい」
そう言って、カルミナさんは布テーブルの上に置かれた石板へ視線を向ける。
空気が少しだけ切り替わる。
室内に静けさが落ちた。
「では、我もマスターに倣い結論から述べるとしよう……」
ジャンクスフィアは鷹揚に頷くと、右手の中指で眼鏡をくいっと整えた。
「結論――!」
一拍。
もったいぶるように指を突きつけ、高らかに宣言した。
「何も分かりませんでした!」
ずっこけそうになった。
まさかこいつ、本当に俺の記憶を娯楽感覚で覗いてただけなんじゃ……。
「ま、待て待て!眼球はやめろ!説明する、ちゃんと説明するから!」
気づけばカルミナさんが、光り輝く右手をジャンクスフィアの顔面へ突きつけていた。
ジャンクスフィアが慌てて両手を振る。
説明と聞き、カルミナさんはひとまず手を下ろした……光はまだ消えていない。
「別に遊んでおったわけでは無いぞ。客人殿と石板の関係を特定できなかったのは原因候補が多すぎるからだ」
指の腹でコツコツと石板を叩き、むぅ、と唸った。
「まず一つ!肉体と魂魄の位相に妙なズレがある。通常の生体反応と微弱な死霊反応が混在しておるな。いやはや、実に興味深い!」
楽し気に放たれたその発言に、ぞわりと背筋が粟立つ。
肉体と魂魄のズレ。
死霊反応。
言ってる内容は半分も理解できていないが、心当たりがなくも無い。
自然と視線が腹に向く。
カルミナさんが僅かに眉を寄せた。
「おい、それって……」
だが、ジャンクスフィアは止まらない。
眼鏡の奥の目を爛々と輝かせ、珍しい玩具を見つけた子供のような笑みを浮かべる。
そして、満面の笑みで告げた。
「こやつ、半分アンデッド化しておる」




