飛空箒 航程15 〜羽田創司〜
ぼんやりと淡く光る、拳大の発光体。
空中に静止するように俺の右後ろに浮かぶそれを、白衣の女は冷たい眼で睨んでいた。
「碌な<隠蔽>もかけてない望遠術式に気づかないとでも?私を誰だと思っているんだ」
いや知らんがな。
というか隠蔽?望遠術式?
「もう一度だけ聞くぞ。何処の手の者か、何が目的か。以上を5秒以内に述べろ。さもなくば海へ飛ばす」
女の手に光が集う。
ここまでのやり取りから察するに、俺はこの白衣の女の拠点か何かに転移してしまったのだろう。しかも罠や誘導の類ではなく、向こうにとっても予想外の出来事だったようだ。
そして、俺の背後に浮かぶ"虫"。
女はこれを『碌な隠蔽もかけてない望遠術式』と呼んだ。
……え?なに?
これもしかして盗撮目的で不法侵入したとでも思われてるのか?
「待て待て待って!マジで待ってください!この"虫"……発光体は昨日から俺の周りを飛んでて、何なのかは俺も知らない!此処には森に落ちてた変な石板に触れたら転移して――」
飛ばされた時に居た場所を指差す。
うねり、絡み合う蛇の紋様が刻まれた石板。
床に転がるそれを見た瞬間、女の動きがぴたりと止まった。
背後の男に呼びかける。
「……おい、ジャンク」
「後にしてくれ!今超絶いい感じのラストシーンが頭に浮かんで――」
「来月のパトロン代を打ち切る」
「お呼びであるか、我が主よ」
即座に机から飛び出したローブ姿の男が、女の前で膝をつく。見事なまでに流れるような動きだった。
「お前、あれに見覚えはあるか?」
「ん?……おお!こんなところに落ちていたか。いやはや、何度見ても美しい紋様。正にウェルメイぃぃたい痛い痛い!!」
俺へ向けられていた手が男に向く。
石板に頬擦りしていた男の両眼が陥没した。
「それが何なのか詳しく話せ」
「わかった!わかったから少し緩めろ!……まだ痛いが……いや何でもないです」
おほんっ、と咳払いする男。
何だかすごく残念な感じの人だが……見た目だけは何処かの大学教授と言われても納得できる風格がある。
「コレは古物商から買った古代遺跡のレリーフである。見よ!この美しき紋様!文明レベルは他のサピエンスと大差ないがこの緻密さから高い芸術性を有していたと思われ――」
「もういい。それをお前が買って、此処に持ち込んだんだな?」
「む。その通りである。芸術を解しない哀れな我が主よ」
再び男の両眼が陥没した。
絶叫が響く。
白衣の女はくるりとこちらへ向き直り、冷たい瞳が俺を捉える。
瞼を閉じ、両手を体の真横に揃え、スッと伸びた背が腰から90度に折れて――
「すみませんでした!」
勢いよく頭を下げた。
◇◆◇
白衣の女――カルミナ・モルガンさん曰く、ここは彼女が営む店の地下らしい。
普段は物置として使っているようだ。
「貴重品や店の重要なデータも保管していてな……すまない。泥棒か産業スパイの類かと思ってしまった」
どうもかなり繁盛しているようで、実際に何度かそういう輩を捕まえた事もあるそうだ。
……捨てたんだろうか、海に。
「あいつはジャンクスフィア。私の使い魔だ」
視線の先には正座させられている巻き顎髭の男。
え?使い魔?
……初老の男が?
「ああ見えて人間じゃない。説明が難しいが……まあ、精霊みたいなものだ。今は自分で作った仮初の肉体に入ってる。何故あの姿を選んだのかは私も知らん」
……驚いた。
使い魔持ちは同じ学年にも何人かいるが、全て動物か無害な魔物だ。
意思疎通ができる者はいても、人語を流暢に話したり、人の姿をとれる使い魔なんて見た事がない。
『精霊術』にしたって、俺の知るものとはあまりに違う。
どういう経緯で契約したのか尋ねると、『召喚術』関連の魔道具で強力な使い魔を呼び出そうとした際、本来呼び出す予定だった存在を押し退けるように現れたらしい。
「奴は俗に言う創作物が好きでな。自分でも作りたいと言うから、作業スペースとしてここを貸している。代わりに管理と侵入者対策を任せているんだが……」
カルミナさんはジャンクスフィアをジロリと睨み、深々と溜息を吐いた。
「ガラクタばかり持ち込んでは放置し、毎回何かしらトラブルを起こす。もはや奴自身が最大の警戒対象だ」
ジャンクスフィアはカルミナさんの命令で正座したまま石板を調べている。
どうやら転移用の石板だという事は、彼自身も知らなかったようだ。
俺も此処に転移するまで、自身の身に起きた出来事を順を追って説明した。
特異個体との遭遇。
謎の転移。
巨大"擬体"。
ゲリラ戦。
改めて口にすると、本当に碌でもない二日間だった。
「ふむ……迷宮から気づけば知らない場所にいたと」
「ええ、まあ……」
自分で言っていても胡散臭い話だ。
だがカルミナさんは真剣に耳を傾けてくれた。
しばらく考え込んだ後、ゆっくり顔を上げる。
知性と冷静さを宿した瞳に、疲れ切った俺の顔が映っていた。
「憶測だが、君の置かれている状況は大体予想がついた」
「………………え!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「だが憶測で断言するのは嫌いな性分でね。せめて『何の根拠もない憶測』から『状況証拠に基づく仮説』へ昇格させたい」
そう言って、スラリと伸びた指先が、俺の背後に浮かぶ"虫"を指す。
「それを少し借りてもいいか?」
もちろん構わない、が――
「触れないんですよ、これ」
背後へ手を伸ばして掴もうとする。
しかし手は"虫"をすり抜けるだけ。
種子部分が霊体と言われている"冥府蒲公英"同様、やはり実体はないようだ。
「だろうな」
立ち上がったカルミナさんは、左手を白衣のポケットへ突っ込んだまま、準備運動でもするかのように右手をプラプラと軽く振る。
バヂンッ、と何かが弾ける音が鳴り――右手が何重にもブレて見えた。
「――<局所空間の掌握>」
何かの術を唱え、"虫"の前にに右手を翳す。
次の瞬間、"虫"が周囲の背景ごと彼女の掌へ収まっていた。
「……は?」
薬品棚。
石製の床。
腕を翳すカルミナさん。
それを見る俺。
正座するジャンクスフィア。
球体状に切り取られた空間が、その瞬間の背景と一緒に彼女の手の中へ納まっている。
腕を動かせば、その切り取られた景色も一緒に動く。
まるで全天球カメラだ。
「こういう術なんだ」
少しだけにやりと笑ってそう言った。
カルミナさんは部屋中央の執務机に向かい、指の一振りで積まれていた紙束を吹き飛ばす。
「我の原稿がぁ!?」と叫ぶ声も意に介さず、顕微鏡を何倍にも大きく複雑にしたような奇妙な器具を棚から取り出した。
「茶でも飲んでいてくれ。すぐに解析する」
器具へ全天球空間を取り付けながら、パチンと右手の指を鳴らした。
棚から大きな一枚布が飛び出す。
空中で折れ曲がり、捻れ、瞬く間にソファとテーブルを形作った。
試しにソファに触れてみれば、ただの布とは思えないほどフカフカに柔らかい。逆にテーブルは叩けば硬質な音が返ってきた。
続いてティーセット。
棚から飛び出したティーキャディーがひとりでに開き、一杯分の茶葉を量り取り、虚空から現れた水が包み込む。
その下に火。
ゆっくりと蒸らされた後、水はティーポットの形へ変じ、テーブルに置かれたカップへ紅茶を注ぎ始めた。
空いた口が塞がらなかった。
今まで見たどんな『術理』よりも高度な技が、片手間で行われている。
こんな芸当できる人、他にいるのだろうか。
俺が知る『術理』と、彼女の使う『術理』は同じ名前の別物だった。
ソーサーを持ち、カップの取っ手を摘み、塞がらない口でそのまま一口。
「うんまっ」
『術理』の絶技と紅茶の美味さに驚愕していると、ジャンクスフィアが正座したまま足を前後に動かし、痺れに耐えながらこちらへ寄ってきた。
「客人殿、ゆっくりされているところすまなんだが、少々協力してくれぬか?」
痺れるような渋い声。
なお、足の痺れが限界らしく、プルプル震える姿に威厳は一切無かった。




