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飛空箒 航程11 〜羽田創司〜

 「帰れるんなら、そうしてよ……」


 それまで口を開かなかったスーツ姿の女性――長瀬ながせ 彩乃あやのさんが、俯いたまま呟いた。


 掠れた声。

 乱れた髪。

 強張った表情。

 膝を抱える指先は、小刻みに震えている。


 「もう嫌……嫌なのこんな所……」


 絞り出すような声だった。

 まともに眠れていないのだろう。

 目の下には濃い隈が浮かび、焚き火の明かりに照らされた顔色も酷く悪い。


 「帰れる方法があるなら、さっさと使ってよ……!」

 「おっけー」


 軽いなおい。

 立ち上がったタロウさんは、散大した瞳孔で睨みつける長瀬ナガセさんの下まで歩み寄ると『帰還石』を握る方とは逆の手を差し出した。


 「飛ぶなら接触必須だよ。ほら」

 「……っ」


 一瞬ためらうも、縋るようにその手を掴む。

 

 焚き火の向こう。

 未だ止めるべきか迷う俺たちを他所に、タロウさんは何の気負いもなく『帰還石』を砕いた。


 淡い光が、石の内側から滲むように広がっていく。

 光は一度だけ強く脈打ち――


 何の変化ももたらさず、そのまま消えた。


 「……ありゃりゃ、ダメだったみたい。迷宮じゃないね、ここ」


 数秒の静寂。


 そして。


 「……は?」


 長瀬ナガセさんが乾いた声を漏らした。


 「なんで……なんで帰れないの……?」


 掴んでいたタロウさんの手を、ぎりっと強く握り締める。


 「ちょっと待って、壊れてるの?ねえ、もう一回、もう一回やってよ!」


 声が徐々に上擦っていく。


 「落ち着け」


 ティナさんが低い声で言うも、まるで聞こえていないかのように、感情の昂ぶりは激しさを増していく。


 「もう一回やれって!まだあるんでしょ!?帰れるって言ったじゃん……!ねえ!!」


 半ば叫ぶような声が夜の森に響き――


 ――――――ドゴンッ


 次いで響いた鈍い音が、その声をかき消した。


 「座れ」


 地面に拳を打ちつけた体勢で、ティナさんが言った。

 足元の地面は小さく陥没している。


 「……錯乱は伝播する。探索時に最もやってはいけない行為の一つだ。一般人のあんたには酷かもしれないが、私たちと集団で行動する以上、従ってもらう」


 座った目でそう言われ、長瀬ナガセさんは血走った眼でティナさんを睨み返しながらも、何も言わずに腰を下ろした。


 ……うん、ティナさんマジ怖い。絶対怒らせないようにしよう。


 空気が重い。

 先程までの団欒が嘘のようだ。

 普通ならお通夜状態になりそうな状況だが――


 「あはは、すっご!クレーターできてるじゃん。普段何食ってんの?」


 空気を読まないタロウさんがその空気をぶち壊す。

 その態度、正直めちゃくちゃありがたい。


 「“鉄毛猪アイアンブリストル”かな」

 「さっき食ってたやつかー。マタギなんでしょ?まさか腕力で狩りを……?」 


 そんなわけないだろ。

 と思う反面、ティナさんならあるいはと思ってしまう。

 

 「たまに戦闘もするが基本は罠猟だ。普段はこんな力はでない……そうだな、ここが何処かという話は一旦置いておく。次の議題だ」

 

 ティナさんは足元にできたクレーターを指さして言った。


 「こっちに飛ばされてから、異常なほど腕力が増している。最初は気のせいかと思ったんだが、”擬体ミミック”との戦闘で確信に変わった」


 ”擬体ミミック”との戦闘。

 ティナさんは最初の戦闘時、”擬体ミミック”の一匹をその身に纏う土壌ごと両断していた。

 確かにあれは……人間業とは思えないほどの怪力だった。


 「さっきガイと話したんだが、ガイもここにきてから違和感があるらしい」

 「……多分、瞬発力が増している」


 言われて思い出すのは、ティナさんが”擬体ミミック”を両断する直前。

 不意打ち気味に特攻してきた”擬体ミミック”を、すんでのところで弾き返していた。


 確かに、あれも盾役として素晴らしい動きだった。

 だが、異常という程の変化とは思えない。

 もし本当に2人の身に何かが起きているのだとすれば――

 

 「ティナと比べると地味ね」

 

 レナさんがすっぱり言い切った。

 

 ひどい。

 もうちょっとオブラートに包んで差し上げろよ。

 

 見なさいよ、ガイさんの悲しそうな顔。

 無表情なのに雰囲気だけでしょぼくれてるのがまる分かりだ。


 「という訳で、ここに来てから身体能力に変化を感じている者、他にいないか?」


 そんな問いかけに、真っ先に答えたのはタロウさんだった。


 「それ、ボク多分あるわ」


 ちょっと待って、と言って取り出したのはゴム製のカエル。

 握り潰し、えずきと共に吐き出させたのは――


 「焼いた後、半分取っといたんだよね」


 "腐骸ゾンビの腐肉"だった。


 「おい変態、今まじめな話してるんだけど?」

 「へいレナちゃん、ボクだって大まじめだけど?」


 説明を求める俺たちを他所に、タロウさんは腐肉にかぶりついた。


 「ふぉあ~!|ひひゃもへあえるえふみとくはみ!(死者も目覚めるえぐみと臭み!)」

 「最悪な食レポね」


 目を輝かせ、およそ食事の感想とは思えない妄言を叫ぶタロウさん。


 というか今更だが、あんなもの食って平気なんだろうか。

 アンデッド武器の『意挫骨断いざほねたち』を使っただけで、俺は謎の”淀み”が腹から出てきた。

 アンデッド素材を食事によって直接身体に取り込んでいるタロウさんが無事で済むとは思えないのだが……。

 

 そんな事を考えている内に、タロウさんは”腐肉”を完食。

 ごちそうさま、と呟きながらしっかり手を合わせた直後――


 デロリ、と右目が溶けだした。


 「おっと。ははは、溶けちゃったよ」

 「い、いやぁぁあああああああああああ!!!」


 軽い調子のタロウさんと、絶叫する長瀬ナガセさん。

 この対比さっきも見たな。


 「あ、大丈夫大丈夫。多分しばらくしたら戻るよ」


 溶けた眼を両手で皿のように受け止めながら、そんなことを口走る。

 正気とは思えない。

 ……会ってからずっと正気か疑わしいが。


 念のため、横に置いていたポーチから神経毒用の小瓶を取り出す。

 ガタイの良いティナさんとガイさんがにじり寄り、タロウさんの脇を固めた。


 「警戒態勢!<混乱>か<幻覚>持ちの魔物がいるかもしれない!」

 「索敵かけるわ――風遁・<風見鶏かざみどり>」


 レナさんの頭上に小さな風の鶏が出現。

 鶏から微風が放射され、羽根のようにキャンプ地の周りを旋回する。


 「ちょっとちょっと、大袈裟だって。直に戻――あ、ほら」


 見て見て、と呼びかけるタロウさんに視線を向ける。

 零れ落ちていた眼球が、逆再生のように少しずつ眼窩に戻っていた。


 「……探知は?」

 「反応なし。少なくとも500m圏内に魔物はいないわ」


 全員どかっと腰を下ろした。

 

 「いやー何かごめんね?」

 「……もういいから説明を頼む」

 「おっけー、って言っても推測なんだけど。多分食べた魔物の特性?みたいなものが身体に出たんだと思う」


 タロウさんの説明をまとめるとこうだ。

 俺と会った時に焼いていた魚系魔物――錆鰭さびひれを食べた後、暫くすると体中が痒くなったという。

 錆鰭さびひれが持つ出血毒の痛みとは違う、今まで発症した事のない症状に最初は驚いたものの、直ぐに痒みはおさまった。

 その後、巨大”擬体ミミック”との戦闘を終え、俺が気を失っている間にウェットスーツを脱いで身体を確認したところ、全身に鉄臭い赤褐色の粒が付着していたらしい。


 「多分さ、一瞬だけひれが生えたんだと思う。背中が一番痒かったし」

 「おもしろ過ぎるでしょ」

 「だよねだよね!帰ったら動画撮ろ~」


 呑気な事言ってるが、恐らくこれは精密検査必須だろう。

 美紀が通ってた病院に入院するかもしれない。

 

 「腐骸ゾンビ肉はなんで最初反応出なかったんですか?」

 「分かんないけど、多分一定量食べないと変化しないんじゃないかな?そんな気がする」


 曰く、会議前の食事で腐骸ゾンビを半分残した際、腹は満たされていたが何となく「まだ足りない」と感じたらしい。 

 

 「もっかい試して確認しようか?」

 「絶対やめてください」

 

 長瀬ナガセさんが気絶してしまう。

 探索者としてある程度グロ耐性持ってるとは言え、俺達だって人の目が溶ける光景なんてできれば見たく無い。


 しかし、転移後の変化、か……。

 

 大剣使いのティナさんに怪力。

 盾役のガイさんには瞬発力。

 偏食家のタロウさんは、食べた魔物の特性が表出。

 

 聞いた感じ、それぞれのイメージに合う変化が表れているように思う。


 ――と、すると。

 

 各人の周囲を飛び交う、謎の発光体。

 誰も反応しない事から、恐らく俺にしか見えていないと思われるコレは、一体何を意味するのだろうか。


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