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第36話 救えない距離

煙の上がる方へ駆ける。


外縁の街の奥――倉庫区画。


木造の建物が密集している場所だ。


リョウは走りながら嫌な予感がしていた。


「……燃えてる」


サクヤが短く言う。


「広がる」


角を曲がる。


その瞬間、熱気が叩きつけてきた。


炎。


一棟、いや、数棟がすでに燃えている。


人々がバケツで水をかけているが、追いついていない。


そして。


炎の中心に――黒い影。


リョウの顔が変わる。


「……また“手”か!」


だが、今度は違う。


黒い糸が、建物そのものに絡みついている。


柱。


壁。


屋根。


すべてに侵食している。


サクヤが言う。


「燃料にしている」


リョウが叫ぶ。


「そんなことまで……!」


その時、子供の声がした。


「まだ中にいるの!!」


振り向くと、母親が泣きながら叫んでいた。


「娘が……中に……!」


炎の奥。


崩れかけた倉庫。


中に人がいる。


リョウは一歩踏み出す。


だが。


その瞬間。


視界に“線”が見えた。


黒い糸の流れ。


そして。


建物の崩壊予測。


リョウの顔が凍る。


「……ダメだ」


サクヤが見る。


「何が」


リョウは言った。


「あと数十秒で崩れる」


空気が止まる。


母親が叫ぶ。


「助けて!!」


リョウの拳が震える。


「……くそ」


サクヤが一歩前に出る。


「行く」


リョウが止める。


「待て!」


サクヤが振り返る。


リョウは叫ぶ。


「無理だ!」


「中に入ったら出られない!」


サクヤは一瞬だけ黙る。


炎が揺れる。


時間がない。


母親の声が響く。


「お願い……!」


リョウの頭の中で、声が重なる。


『優先順位を設定せよ』


『生存率を最大化せよ』


リョウが歯を食いしばる。


「……黙れ!」


サクヤが静かに言う。


「選べ」


また、その言葉。


リョウは叫ぶ。


「そんなの……!」


だが。


現実は待たない。


炎は広がる。


柱が軋む。


崩壊が近い。


リョウは決断する。


「……俺が止める!」


核を握る。


ドクン!!


黒い糸の動きが鈍る。


炎の勢いも、わずかに弱まる。


完全ではない。


だが――


「今なら……!」


サクヤが頷く。


「行く」


迷いはない。


炎の中へ飛び込む。


リョウが叫ぶ。


「30秒だ!!」


サクヤの姿が炎に消える。


リョウは必死に制御を続ける。


糸を止める。


崩壊を遅らせる。


だが。


重い。


限界が近い。


「ぐっ……!」


時間が伸びる。


10秒。


20秒。


柱が軋む音。


崩れる前兆。


リョウが叫ぶ。


「サクヤ!!」


その時。


炎の中から影が飛び出した。


サクヤ。


腕に、少女を抱えている。


地面に転がる。


母親が駆け寄る。


「……!!」


抱きしめる。


泣き崩れる。


リョウは膝をつく。


「……間に合った」


その瞬間。


ドォォォン!!


倉庫が完全に崩壊した。


炎が吹き上がる。


もし、あと数秒遅れていたら。


確実に、間に合わなかった。


静寂。


荒い呼吸だけが響く。


リョウが言う。


「……ギリギリだな」


サクヤは立ち上がる。


服の一部が焼けている。


だが、気にしていない。


「問題ない」


リョウは苦笑する。


「いや、問題あるだろ……」


その時。


周囲の人々が、ざわつき始めた。


「……助けた」


「本当に……」


さっきとは違う空気。


だが。


同時に。


別の声もある。


「……でも、他は」


リョウの表情が固まる。


振り返る。


別の場所。


倒れたままの人。


動かない。


助けられなかった人。


現実は変わらない。


一人を救った。


だが。


全てではない。


サクヤが言う。


「結果だ」


リョウは小さく頷く。


「……ああ」


その時。


核が、静かに光った。


ドクン。


『リスク選択 確認』


『生存率 中』


『倫理値 高』


『評価継続』


リョウは空を睨む。


「……だから何だよ」


だが。


今は分かる。


評価されている。


試されている。


それでも。


リョウは少女を見る。


母親に抱きしめられている。


泣きながら、笑っている。


リョウは呟く。


「……それでも」


サクヤが聞く。


「何だ」


リョウは言った。


「これでいい」


サクヤは少しだけ目を細める。


否定しない。


ただ一言。


「次だ」


火はまだ消えていない。


“手”も、まだ残っている。


選択は続く。


救えない距離がある。


それでも――


手を伸ばすことは、やめない。

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