第3話 神喰らいの剣
丘へ向かう石段は、すでに半分崩れていた。
祠のあった場所から黒い霧が溢れ出し、空気が重くなっている。
街の人々は誰も近づこうとしない。
ただ遠くから怯えた目で見ているだけだ。
その中を、サクヤは迷いなく登っていく。
後ろからリョウが小走りでついてきた。
「ちょっと待ってくれって!」
「静かにしろ」
「いやだって普通さ、もうちょっと作戦とか」
「ない」
「ないの!?」
サクヤは振り返らない。
「神堕ちは斬る」
「それだけだ」
「シンプルすぎるだろ……」
リョウは息を切らしながら石段を登る。
だが、丘の中腹に差し掛かったとき。
彼の足が止まった。
「……来る」
サクヤも止まる。
「見えるのか」
リョウは頷いた。
顔色が悪い。
「大きい」
「さっきのより?」
「うん」
リョウは祠の方向を見つめた。
「すごく……歪んでる」
その瞬間。
ドゴォォォン!!
祠が完全に崩れた。
黒い霧が爆発する。
石の破片が飛び散る。
そして――
それは現れた。
巨大な影。
四足の獣のような姿。
だが身体は黒い煙でできている。
顔は仮面のように白く、中央に裂けた口がある。
その口から黒い靄が溢れていた。
リョウが震える声で言う。
「……神?」
サクヤが答える。
「神堕ちだ」
神は本来、人に似た姿をしている。
だが堕ちると形が崩れる。
それはまるで。
世界の歪みそのものだった。
神堕ちはゆっくりと首を動かした。
そして。
丘の下にいる街を見た。
リョウの背筋が冷たくなる。
「あれ」
「街に行く気だ」
サクヤは刀を抜いた。
キィン――。
澄んだ音が丘に響く。
神堕ちの目が、サクヤを捉えた。
次の瞬間。
ズドン!!
地面を蹴って突進してきた。
石段が砕ける。
土が爆ぜる。
リョウが叫ぶ。
「速っ!?」
サクヤは動かなかった。
ただ刀を構える。
神堕ちの巨大な爪が振り下ろされる。
ドガァァン!!
地面が抉れる。
だが。
そこにサクヤはいない。
彼女はすでに横にいた。
そして――
一閃。
ザンッ!!
黒い身体が裂けた。
神堕ちが吠える。
空気が震える。
黒い霧が噴き出す。
だがそれでも止まらない。
むしろ怒り狂ったように暴れ始めた。
岩を砕く。
木をなぎ倒す。
リョウが叫ぶ。
「効いてないじゃん!」
サクヤは冷静だった。
「効いてる」
「まだ浅いだけだ」
神堕ちの身体は霧のようなもの。
普通の刃では意味がない。
だが。
サクヤの刀は違う。
それは神を斬るための剣。
災気を断つ刃。
神堕ちは再び飛びかかる。
サクヤは踏み込んだ。
一瞬。
世界が静止したように見えた。
「――斬る」
次の瞬間。
シュン。
音すらない斬撃。
神堕ちの首が飛んだ。
巨大な身体が崩れる。
ドォォォン……。
黒い霧が空へと散っていく。
静寂。
リョウは口を開けたままだった。
「……すご」
サクヤは刀を振る。
霧を払う。
そして鞘に収めた。
「終わりだ」
リョウはようやく息を吐いた。
「いや今の」
「人間の動きじゃないだろ」
「訓練」
「どんな訓練だよ……」
サクヤは答えない。
ただ空を見上げる。
眉がわずかに動いた。
リョウもつられて空を見る。
そして固まった。
「……あ」
空のあちこちに。
黒い影が見えた。
街の祠。
一つ。
また一つ。
黒い霧が上がっている。
リョウの声が震える。
「嘘だろ」
「全部……」
サクヤが静かに言う。
「神堕ちの連鎖」
「こんなの……」
リョウは首を振る。
「ありえない」
神は長い年月をかけて災気を溜める。
普通は、同時に堕ちることなどない。
だが今。
街の祠すべてが反応している。
サクヤは呟いた。
「原因がある」
リョウは答えた。
「うん」
そして。
ゆっくり言う。
「中心がある」
サクヤが振り向く。
「どこだ」
リョウは遠くを指差した。
街の外。
森の奥。
そこに。
巨大な黒い柱のような災気が立ち上っている。
リョウの声は小さかった。
「……あれ」
サクヤの目が細くなる。
「祠じゃないな」
「うん」
リョウは言う。
「もっと……大きい」
胸の奥がざわつく。
嫌な予感。
だが同時に、懐かしい感覚。
まるで昔知っていた場所のような。
リョウはぽつりと呟いた。
「……あそこ」
「なんか」
「知ってる気がする」
サクヤが聞く。
「思い出したのか」
リョウは首を振る。
「まだ」
そして言った。
「でも」
「もしあれが原因なら」
サクヤが刀の柄に手を置く。
「斬ればいい」
リョウは苦笑した。
「ほんとそれしか言わないな」
サクヤは丘を降り始める。
「神喰らいだからな」
リョウは空を見た。
黒い霧。
増え続ける災気。
胸の奥が重い。
そして彼は、かすかに思った。
(……俺)
(本当に神だったのか?)
もしそうなら。
なぜ。
世界はこんなことになっているのか。
リョウはサクヤの背中を追った。
その答えを。
まだ誰も知らない。
だが。
世界は確実に――
壊れ始めていた。




