第6話
雲が太陽を隠し始めて、電車が着く頃には、雨がアスファルトを叩き始めていた。
「朝晴れてたのにな……」
「うん……傘持ってきて正解だったね」
それでも夏休みの駅前は、色とりどりの傘と沢山の人が歩いている。僕たちは透明の傘を開いてその群衆に紛れた。
「それで、朱莉が行きたいところって?」
「それはねぇ……着くまで楽しみにしてて」
「何だよそれ」
思わず笑ってしまったけど、確かに知らないほうがずっと楽しみになるかもしれない。
結末を知ってからそこに向かうのは、目を背けたくなるくらい辛いときだってあるだろうから。
「斗真くん」
「ん?」
彼女は目を輝かせながら指さしている。その先を見て、思わずあっと声が漏れた。
「ここって……」
「うん。斗真くんと、私の大事な場所」
「そう……だったね」
すっかり忘れてた。
どうして忘れてたんだろう?
あの時から、僕は――
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「斗真くん!」
「何?」
中学校に入って数ヶ月、大人に近づいた喜びよりも、小学生の自由さを羨ましく思っていた頃だった。
僕の部屋に勢いよく飛び込んだ朱莉は、眼鏡の奥の瞳をキラキラ輝かせて、一枚のポスターを見せつける。
「『向日葵ライブフェス』だって。今日あるらしいよ」
「そうなんだ。良かったじゃん」
「良かったじゃん、じゃないよ!一緒に行こうよ、どうせ夏休み暇でしょ?」
「嫌だよ。俺アイドルとか興味ないし」
小さい頃から、朱莉はアイドルが大好きだった。
――この子はサイリウムカラーが青と紫。家族で決めたんだって!
――この曲はね、最初のセンターのサイリウムカラーを、ずっと引き継いでるんだよ。だから、いっつも緑一色の景色なんだ。
――この四人すっごく仲良くて、一緒に旅行するくらいなんだよ!
ひとつ結びの髪を踊らせながら、弾けるような笑顔で語る朱莉のことが、僕は昔から好きだった。アイドルのことを話すときの彼女は、誰よりも輝いているって思ってたんだ。
僕がノロノロとカバンを取り出すと、朱莉は意外そうに目を丸くする。
「なんだ、来てくれるの?」
「ついてくだけだよ。それに、どうせ行くまで粘るでしょ」
「まあね」
彼女は、太陽みたいに明るい光を溢れさせて、目をクシャッとしている。僕もつられて、口を大きく開いていた。
家を出ると、並んで同じ歩幅で駅に向かう。
遅れないように、急がないように。
むかむかする夏の暑さも気にせずに、いつの間にか僕らは駅についていた。
「斗真くんもアイドルになれば良いのに」
「無理だよ僕は。根暗だし、かっこよくないもん」
「ほらまたそうやって……かっこいいと思うけど」
「そんなの言うの朱莉くらいだよ……」
電車の中での、他愛のない会話。
雨が降り出していることに気がついたのは、見慣れない駅の改札を抜けたときだった。
「雨だね……傘ある?」
「ない……朝晴れてたから……」
「私も」
お金も全然持ってきてなかったから、コンビニで傘も買えない。
何もできないまま、ただ他人の傘を眺めるしかなかった。
「雨、強くなってきたね」
「うん。ライブやるのかな」
「どうだろ」
雨脚は強くなる一方で、僕たちはただ、そこにしゃがみ込むことしかできなかった。電車が一本、また一本と過ぎ去っていく。
肩に、甘い香りが広がる。朱莉の髪はサラサラで、僕の肩から胸へと流れていった。
「ライブ、終わったのかな」
「わからない」
「行きたかった」
「そっか」
気の利いた言葉なんて、何も思いつかない。ただ、肩を貸すことしか僕にはできなかった。
行き交う人たちが、しゃがみ込んでる僕らを不思議そうに見る。空は一層暗くなって、気づけば改札には僕ら二人だけが取り残されていた。
「……帰る?」
「うん……」
朱莉は、頬を思い切りあげている。
違う。
そんな無理やりの笑顔を、君にしてほしくない。
「朱莉!」
改札の階段を上って、小さな踊り場に立つ。はね返った雨が少しだけ当たるのが、なんだか不思議な気分だった。
少しだけ、彼女の肩が揺れる。ゆっくりと僕の方を見上げた眼差しには、戸惑いと悲しみ。それに少しだけの期待がにじんでた。
「えーっと……んん!その、大切な朱莉ちゃんのために、アイドルの斗真が歌います!」
「へっ!?何言って……」
彼女の声が途切れる前に、大きく息を吸い込む。ここで迷ったら、きっと歌うことなんてできない。吸った息を、この想いを精一杯紡ぎ出す。僕なりの音楽に乗せて。
――ねぇ、朱莉。僕は弱くて、すぐ迷子になるかもしれない。
――でも、絶対に君のこと見つけるから。
無我夢中に歌って、最後の歌詞を言葉にしたとき、一気に恥ずかしさが押し寄せた。
「えっと……どうだった?」
「どうって……」
彼女は、真顔だったのが、少しずつ頬を膨らまして、やがて我慢できなくなったように吹き出すと大声で笑い始めた。
「ちょっ!笑うとこなんて……」
「びっくりしたよ!だって斗真くん急に歌いだすんだもん」
雨も吹き飛ばすんじゃないかってくらい笑ってる。それだけで、こんなに嬉しいなんて知らなかった。
「それに雨で濡れてるし」
「なんだよ……駄目だった?」
雨音が反響して、二人だけの空間に閉じ込められたみたいだ。僕は手をせわしなく組み替えながら、朱莉の瞳を見つめる。そこにはもう、悲しさはなくて、代わりに溢れるくらいの光が灯っていた。
彼女は、ゆっくりと瞬きをして、その後、勢いよく立ち上がる。
「私アイドル大好きなんだよ?当然目も肥えてるから」
「そっか……」
だけど、彼女は笑顔のまま僕の方に来て、そしてこの手をギュッと握っていた。未だに震えてる、ちっぽけな勇気しか掴めない、この手を。、
「だから、もっと見たい」
「――!」
朱莉は、手に力を込めて、紅潮したまま言った。
「斗真くんの歌を、何度だって聴きたい。あなたの、ファンとして!」
「それって……僕の歌、良かったってこと?」
震える声でそう聞くと、彼女は僕を見上げて、意地悪な笑みを浮かべる。
「どうだろ?スキルとかだと絶対K-POPのほうがあるし、ファンサだってJ-POPくらい熱くなかったからね」
「なんだよ、結局実力ないんじゃ……」
「だけど、斗真くんの歌は、もっと聴きたくなった。もっと、斗真くんのこと知りたくなった」
朱莉は、気恥ずかしそうに改札の電光を眺めて、だけどはっきりと言った。
「斗真くんは、アイドルだよ」
駅には、僕たちしかいない。駅員さんすら、そこにはいなかった。
でも、僕には――僕らには、確かに見えていた。
この先出会う、数え切れない笑顔と、幸せが。




