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その光が落ちるまでは、隣りにいてください  作者: レンジ


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2/11

第2話

 「お邪魔しました。斗真くんもまたね」


 「うん。また」


 「あら、朱莉ちゃんもう帰るの?夕飯食べていったらいいのに」


 「ありがとうございます。でも明日早いので」




 彼女が屈託のない笑顔でお辞儀すると、長い黒髪も真っ直ぐ落ちる。朱莉は、何のシャンプーを使っているんだろう。同じのを使えば、僕もきれいな髪になるのかな。きれいな髪になれば……




 「斗真くん!」


 「あ……なに?」


 「またね」


 「うん」




 それだけ言うと、朱莉はもう一度深くお辞儀をして、夜のなかに紛れていった。




 「朱莉ちゃん本当に可愛いねえ……何年ぶりだっけ?」


 「四年と五カ月くらい」


 「よく覚えてるじゃん。そんな会いたかったんだ」


 「お母さんまで!……でもまあ、嬉しかった。会えて」




 お母さんは、嬉しそうにしながら食器を下げ始める。


 


 「あれ?朱莉ちゃんココア嫌いだったけ?」


 「え?あいつ昔っから好きだったでしょ」




 不思議そうな声につられてテーブルを覗くと、そこにはアイスココアが置かれていた。一口も口をつけてない姿で。




 「うちの嫌いなのかな……」


 「さあ。あれじゃない?地域ギャップ。そういえば朱莉ってどこ引っ越したんだっけ?」 


 「あんた覚えてないの?関西の方よ。和歌山だか奈良県か、そこら辺だったはず」




 そうなんだ。あの頃は、もう二度と会えないって思ってたけど、本当は、新幹線があれば案外すぐに行けるとこにいるんだ。




 「でもまあ……朱莉ちゃんが越してから、あんたもいろいろあったね」


 「……うん」




 ああ、そうだった。スポットライトの窓際が僕の現実で、それはじわじわと首を絞めているんだった。




 「お母さん」


 「うん?」


 「……なんでもない」


 「そっか」




 わかってる。お母さんに僕は甘えてしまってるってことくらい。お母さんだったら、僕のことを否定しないでいてくれるって。その優しさ、その甘さに、今の僕はすがってしまっている。いつかはちゃんと、決めないといけないのに。


 僕が、どうするのかを。どうすべきなのかを。




 ✯――――❂――――✯


 


 「――だから、コンスタンツ公会議はフスを火刑に処すと共に、ローマ教会を正統と認めて教会大分裂が終結した。次の授業で今日やったところテストするから復習しとくように。じゃあ号令」




 頭を下げているとチャイムの音が通り過ぎていき、それを合図にクラスは一気に活気づいた。




 「マジで休みたい。てかさ、夏休みに学校ヤバくない?」


 「それな!アタシ、ほぼ確で明日休む」


 「えー、ズル!私の親絶対許してくれないからさあ……」




 熱気が空気を揺らす。みんなの声が、一つの巨大な塊となって襲ってくる。その閉塞感に、僕は耐えきれずに廊下に出る。


 教室よりも暑いそこは、それでもどこか涼しさに似た居心地の良さがあった。




 「お、細川」


 「はい……」


 


 汗がシャツを湿らせる。不快な感覚が広がって、さっきまでの快適さは、もうどこかへ逃げていってしまった。




 「お前、進路調査早く出せよ」


 「はい……その、大学は……」


 「先生も細川みたいな生徒教えるの初めてだからわからないけど、今のままだといけないのはお前もわかってるだろ」


 「……はい」




 先生が通り過ぎていく。僕も、先生の反対側を歩く。次第に早足になって、最後は逃げるように校門へ向かっていた。




✯――――❂――――✯




 「おつかれ。夏休みも学校?」


 「……まあ。というか、朱莉がなんでいるんだよ?」


 


 当たり前のように眼の前で笑っている朱莉があまりに眩しすぎて、そのまま透けてしまいそうにさえ感じる。彼女は昨日と同じ、ピカピカのローファーに、おろしたてのような制服を羽織っていた。半袖から伸びる腕は真っ白で、発光しているような錯覚をしてしまう。




 「どうしたの?何かあった?」


 「いや……腕白くて羨ましいなって思っただけ」


 「なにそれ。別に普通だよ」




 彼女は、笑いながらカメラを取り出した。何もかもがピカピカなのに、それだけが古びていて、一つだけ過去に縛られているみたいだ。




 「それ、小学校の時から持ってたよな」


 「ああ……うん。宝物だからね」


 「……朱莉?」




 風が吹いて、真っ白な彼女の、真っ黒な髪の毛を揺らす。その時、どうしてもその瞳が輝いているように見えた。必死にしがみついていた、あの時のカナブンを不思議と思い出す。




 「斗真くん、はいチーズ!」


 「えっ……いや!撮んなって!」


 「えー、ケチ」




 そう言いながら、結局シャッターを押すと、朱莉は傷だらけのデジタルカメラを優しく撫でて鞄にしまった。




 「今日暇?」


 「……今日も明日も、多分明後日も暇だよ」


 「そっか、ラッキーじゃん。斗真くんと今日も明日も、きっと明後日も一緒ってことでしょ?」


 「それは……そう、なのかな」




 逆光が邪魔して、彼女が今どんな表情なのかが見えない。ただ一つだけ、口をいっぱい開いて笑ってくれていること以外は。


 セミの音は相変わらずうるさいし、汗は滝のように吹き出している。でも、それが夏の特別さだとしたら、そこまで嫌いじゃない気がする。




 「朱莉」


 「何?」


 「自転車……ある?」


 「……ないよ。でもどう――」


 「じゃあ、乗れよ。後ろ」


 「……やっぱり狙ってる?」


 「違うし!」




 無駄に大きな声で言うと、手こずりながら自転車の鍵を取る。気がつけば朱莉はもう後ろに座っていた。


 体が熱い。全身から汗が噴き出て、シャツが身体にへばりついて離れない。だけど、漕ぎ出したら世界は一変した。




 「涼しいね」


 「うん」




 汗ばんだシャツが風に揺られて、お腹に新しい風が吹き込んでくる。坂道を降りるとネクタイは踊るように後ろへひらひらとなびく。体いっぱいに夏の爽やかな風を受けると、ほんの少しだけ今が好きになった。




 「ちょっとそこ!」


 「あっ……」


 


 でも、小さな幸せのあとには、いつだって大きな落胆が待ってる。


 坂道を降りたとき、眉間にシワを寄せた警察が近づいてきた。




 「自転車の二人乗りは危険だから……ってもう一人は?」


 「えっ?」




 驚いて後ろを見ると誰もいない。いつの間にか朱莉は隠れたんだろうか?だけど、自転車はちっとも重さが変わらなかった。まるで、もともとそこには何もなかったみたいに。




 「とにかく……交通違反だから。特にこういう夏休みは意識が――」


 「ごめんなさい……」


 「次見たら学校に伝えるから。逃げた子にもちゃんと言っておくんだよ」


 「はい……」




 警察のおじさんは注意だけすると、また木陰で道路を見守っている。少しずつ、胸が動悸し始めた。


 もし、これが事務所にバレたら?


 いや、まだ事務所にバレるだけなら良い。これがどこかで拡散されたら?今まで、目立つことがなかっただけなのに、もし悪いイメージがついたら?


 セミの鳴き音が反響して、頭のなかでブザーのように鳴り始める。眼の前が少しずつ暗くなり始めた。




 「斗真くん!」


 「……朱莉?」




 どこに行ってたの?


 どうして一人で逃げたの?


 いつ?どうやって?




 聞きたいことはたくさんあるのに、言葉になったのは、どうしようもない願い事だった。




 「一人に……しないで」


 「……行こっか」




 今度は、並んで歩く。


 自転車みたいな涼しさはまったくなくて、背中にシャツが張り付く。だけど、今はこのまま張り付いたままでいてほしい。そんな気がした。


 朱莉は、相変わらず汗一つかかずに、隣を同じ歩幅で歩いてくれる。時々吹く風でなびく髪は、陽光にかざせば消えてしまうくらい繊細で、それが余計に、僕のこの気持ちを強くする。




 「朱莉……僕、一人は嫌だよ……」


 「うん」




 朱莉の口元が、ほんの少しだけ動いた気がする。だけど、その声は向かい風に飛ばされて、そのまま宙に舞ってしまった。


 つられて空を見たけど、真っ青な世界が、果てしなく続いているだけだった。

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