第1話
真っ暗な岸辺で、パチパチと火花が踊る。
ねえ、斗真くん。
私たち、幸せだったよね。
光は、バケツの中いっぱいに輝いてる。
でも私たち、辛かったね。
やがて光は、バケツの底に消えていった。
何も見えない、真っ暗な底へ。
さようなら。
斗真くん。
最後の花火をバケツに沈めると、さっきまでのまぶしさが嘘みたいに思える。
だけど、嘘じゃない。
嘘にしたくない。
あなたとの、この光だけは。
ーその光が落ちるまでは、隣りにいてくださいー
Nasuka
「撮影終了です。お疲れさまです」
「お疲れさまでした」
挨拶だけは無駄に上手くなったけど、すれ違う人の冷たい目を見ないふりするのは苦手になっていく。勢いだけではどうにもならないこの世界は、冷酷なまでに僕に現実を突きつける。
「よっ」
「昴さん……おつかれさまです」
「何しらけた顔してんだよ。……ったく、また売り上げのことか?」
彼は長い腕を存分に伸ばして僕の肩を掴むと、小さな手に掴まれていたグシャグシャの紙を見て、同じぐらいグシャグシャに笑う。
「お前なぁ……高校のうちからそんなん考えんなって。俺なんか大学生でもこんなんだぞ」
「昴さんは……。……はい、ありがとうございます」
彼は満足げに肩を叩くと廊下の窓際を堂々と歩いていく。その姿には何の迷いもなくて、どこが誇らしげにさえ見えた。
あなたは人気があるから。
それを言えたらどれだけ楽なんだろう。きっと、昴さんは純粋に僕のことを想ってくれてる。でも、それだって結局はただの自己満足だ。自分が誰かの拠り所になれるっていうエゴなのかもしれない。
人の気持ちは変わりやすいのに、紙面に印刷された無機質な売上は変わることがない。ただ事実として僕を暗い海に閉じ込めている。
窓の少ない廊下には、日差しがこれでもかと言わんばかりに溢れていて、それは嫌味なくらいに輝いてる。逃げるように人気の少ない階段を降りると、我関せずと言いたげな佇まいでスマホをいじる人影が見える。急いで駆け寄ると、人影は一層つまらなそうな顔で僕を見下げた。
「あぁ斗真?」
「はい!お疲れさまで……」
「そういうのいいから。さっさと乗れ」
人影が遠ざかっていく。それが怖くて、ぎこちない笑顔を貼り付けながら走る。転けそうになるけど、このままおいていかれたらもう二度とたどり着けない気がして、ちょっとしたことがどうでも良くなるくらい走る。車に乗る頃には勝手に汗だくになっていた。
「あの……」
「ん?」
「……なんでもありません」
「あっそ」
初めて会ったときは、もっとお互いにキラキラした目で見てたと思う。だけど気がつけばどちらからともなく離れ合って、二度ともとには戻れなくなっていた。
「……そういやさぁ」
「は、はい……」
「斗真は大学行くんだっけ?」
「……まだ……決めてないです」
「そっか」
目では追いつけないくらい早く景色が通り過ぎていって、体は置いてけぼりになった気分になる。ふと車窓を覗いてみると、一匹のカナブンが必死にしがみついて、結局飛ばされていくのが目に映った。
「これは俺の意見だけどさ」
「はい」
「大学に入ったほうが良いぞ。将来何あるかもわからないし」
「はい」
「特にこういう仕事はさぁ……うまくいくかなんてわかんないだろ」
「……はい」
しばらくの沈黙がまた走り出す。走り疲れて、もうここにいるのが辛い。そう思ったときに家の前についた。
「おつかれ」
「おつかれさまです」
車は走っていく。黒いキャンバスに、紫色をこぼしたような空に向かって。見えなくなったときには、空はもう黒色に塗りつぶされていた。
大丈夫。家に帰ったら、家族しかいない。僕を疎ましく思う人は、もうどこにもいない。
「ただいま……」
ドアを開けると、涼しい空気があたりを包んでいて、うだるような熱気に囚われた外界から僕を守ってくれた。
そのはずだったのに……
「お母さん……お母さん!誰かいる?」
首筋が蒸し暑くなって、不快な汗が滴る。
不自然なくらいピカピカのローファーが、礼儀正しく整列していて、その姿が背中の方まで湿らせる。
「ねえお母さん!……お母さん!」
「あ、帰った?おかえり」
「うん。ただいま……ってそうじゃなくて……!靴!」
お母さんは怪訝そうな顔で僕をまじまじと見る。まるで、僕のほうがおかしくなったみたいに。
ここには、僕たちしかいないはずなのに。
「靴って……ああ!あんた知らないの?遊びに来てくれてんの!」
「え?誰が?」
「あんた絶対びっくりするよ!なにせすごく可愛くなっててびっくりしたんだから。いやあね、昔から可愛かったけど、垢抜け?っていうのか……」
結局誰だか教えないまま、僕の背中を強引に押してリビングの方に連れて行かれる。僕の友達で……ピカピカのローファーを履いた、すごく可愛い子?
そんな子、いないんじゃ……
「久しぶり。斗真くん」
「……あか……り?」
長い黒髪から、甘い花の香がほんのり漂う。長い黒髪も、消えてしまいそうなほど白い肌も、全部あの日のままだった。それなのにどうしてだろう、朱莉が、こんなにも綺麗に見えるのは。
「斗真くん?」
「え?あ、ああ……久しぶり。何年ぶり?」
「四年。四年と、五カ月」
「そっか……そんなに……。元気だった?」
「うん。……斗真くんも、元気そうでよかった」
目をクシャッと細める笑顔は相変わらずで、それが嬉しくてもっと笑顔になってほしいと思ってしまう。
外はもう真っ暗で、それぞれの家が、それぞれの帰りを待つみたいに灯りをともしていた。
「というか……大丈夫?こんな時間までここいて……お母さんとか」
「うん!大丈夫大丈夫。ママとパパ、まだこっちに来てないから」
「あ、そうなんだ。てことは今一人暮らし?」
「一応そうなるのかな?だけど何?斗真くん、もしかして狙ってるの?」
「な……んなわけないだろ!……ったく」
耳まで熱い。だけど、なぜか声をあげて笑ってしまった。朱莉も、大きな目を細めて笑ってくれてる。それがどうしようもなく、本当にどうしようもないくらい、嬉しくて、愛おしかった。




