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仏様からの贈り物  作者: 夜更けの人々


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仏様からの贈り物⑤

 大川マンションではなにか問題が起きたら、地下の管理室に連絡するというのが暗黙の了解になっている。部屋同士のトラブルはもちろん、廊下の電球が切れたとか屋上に煙草の吸殻があったらまずは管理室に電話をし、管理会社MBMから配属されている常駐の管理人さんに来てもらう。

 常駐の管理人は二十四時間体制で朝から夕方の早番、夕方から深夜の中番、深夜から朝

方の遅番と三人の管理人さんが交代で行っていて、あの日806号室からの電話を受けたのはあと数時間で勤務時間を終える早番の殿倉だった。元ホストで、四十代後半になった今も漂う妙な色気が大川マンションのおばさま方に人気で、陰では「殿様」と呼ばれている彼は勤務歴十年ほどだったが、三人の管理人の中では下っ端で、朝から夕方の早番を担当していた。その時間帯がもっとも問題が起きやすい時間帯で、いわゆる動め人らしい時間帯であるが故に住人との生活との距離が近いため、掃除や見回り以外の時間に管理室の電話はひっきりなしにかかってくるので、一番若手が務めることになっていたのだ。

 あの日もゴミ捨て場でネズミを見たと連絡があったことから船倉の一日は始まった。それから九階の廊下の電球が切れていると連絡を受けて替えに行き、その間も雑務をこなしてようやく午後一時過ぎにお昼ご飯にありつけたのも束の間、下の階のベランダに洗濯物を落としてしまったと612号室から連絡があったので、512号室に行って洗濯物を回収して612号室に届けてそれで戻ってきて、冷めた弁当を口にかき込み終えたところで電話が鳴った。

「806号室の大河ですけど」と富子は言った。「ちょっと八階まできてもらっていいですか? 廊下で後上のおばあちゃんがなんか困ってるみたいで」

 また後上のおばあちゃんか。

 殿倉はその名を聞いて反射的にそう心の中で呟いた。そのせいで数秒の沈黙が受話器の間に流れ、富子が「もしもし?」と問いかけると殿倉は慌てて「今から向かいます」と言って電話を切った。そして再び受話器を手に取って506号空の電話のベルを鳴らし、十回ほどコール音が鳴っても電話に誰も出なかったので電話を切って席を立ち、管理室を出て扉に巡回中の札を掲げて鍵を閉め、エレベーターで八階に向かった。面倒と思いつつも、相手が新参者でなくてよかったと思いながら。

 殿倉が後上のおばあちゃんのことで呼び出されたのはその週三回目で、三回ともツイてないことにどの家もここ数年の間に大川マンションに越してきた新参者だった。

 地元の住人が多かったとはいえ、時代とともにだんだんと新参者の数が増加しつつある大川マンション内において、後上のおばあちゃんの存在は危険人物として新参者たちからは見られていた。長年大川マンションに住む住人たちたちからしてみれば、また後上のおばあちゃんかと思うようなことでも、新参者たちからしてみれば彼女は立派な不法侵入の常習犯でしかなかったから。なにかあったらまずは管理室に連絡するという、大川マンションの暗黙の了解を破って新参者が警察に連結してしまって、何度か警察が介入したこともあったが、それがマンションの規約に記載されているわけではない以上、見ず知らずの老婆が急に部屋の中にいたら、管理室に電話をするまえに110番するのは当然だった。 

 そういった場合、管理人としてただ雇われている身でしかない殿倉は、その間違いを正すことなど立場上できるはずもなく、事の次第がまるで理解できていない後上のおばあちゃんの代わりに、ただただ頭を下げるより他なかった。本来ならそれは娘である桜子の役割であるにもかかわらず、母親がいないとわかるとすぐに自分で探しに506号室を空けてしまうから、後上のおばあちゃんの居所がわかっても殿倉にはその一報を娘に伝える術がなかったのだ。

 だからそのとき、母親を探しにマンション内を徘徊しているものだとばかり思っていた桜子が、すでに八階の廊下に後上のおばあちゃんと一緒にいるのを見て、珍しいこともあるもんだと思った殿倉はゆっくりとした足取りで806号室に歩み寄った。が、近づくにつれて自分が思っている状況と違う現状にその足取りは自然と早まり、「どうしたんですか、いったい」 と扉のまえで何かにしがみついている母親を引き剥がそうと、その背中にしがみついている娘に声をかけた。

「これを部屋に持って帰るって」と桜子は今にも泣きだしそうな声で背後に立った殿倉に現状を訴えた。「おとうさんと一緒に帰るんだって言ってきかないんです」

「それがあるから開けられないのよ」と扉越しに富子はそこにいる殿倉に向かって言った。「仏壇だか何だか知らないけど、とにかくそいつを扉のまえから移動させてちょうだい」

 殿倉はそこで初めて仏壇の存在に気がついたが、後上のおばあちゃんに抱きかかえられ

ていてよく見えなかったし、扉も閉まっているからそれが仏壇かどうかすぐにはわからなかった。ただそれがなんであれ、そのせいでで806号室の扉が開かない以上管理人として彼がすべきことはまずその黒い箱をそこから移動させることだった。

「後上さん」と殿倉は徘徊している彼女を発見したときと同じ調子で、仏壇を抱きかかえている後上のおばあちゃんに声をかけた。「そろそろお家に帰りましょうか」

「一緒に帰るの」と後上のおばあちゃんは首を横に振った。「ようやくおとうさんが帰ってきたんだから、一緒じゃなきゃ嫌」

「それじゃおとうさまはあとから私がお連れしましょう」と殿倉は言うと、母親の傍らにいる桜子に身を引くよう目で合図をし、代わりに身を屈めて後上のおばあちゃんと肩を並べた。「先に後上さんをお家へ送り届けてから、私が責任をもっておとうさまもお家へ連れて帰りますから」

「なにを言ってるのよ」と扉越しに富子の声が聞こえた。「送り届けるもなにも、それよりさっさとそれをどかしてったろ」

「母のことならわたしが」と背後に立っている桜子が言った。

 しかし殿倉はどちらの声も無視した。後上のおばあちゃんの肩にそっと手を置き、ゆっくりと仏壇を持ち上げるように彼女を立たせた。もちろん実際には仏壇はまだ806号室の扉のまえにあったが、後上のおばあちゃんは抵抗しなかった。ホスト時代から客の送り出しには定評があった彼に導かれるがまま歩き出し、遅れをとった桜子は二人のまえに進み出てエレベーターまで駆け寄り、間もなくやってきたエレベーターに三人は乗りこんだ。エレベーターの扉が閉まった音は静かに八階の廊下に響き渡ったが、すぐにそれは消えてなくなり、八階の廊下には束の間の静寂が訪れた。

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