第四層 沈黙の毒霧
会議室という名の監獄を出た私を待っていたのは、静まり返ったフロアだった。
さっきまで怒声が飛び交っていた空間とは別世界。
――音がない。
だが、何もないわけではない。
じっとりとした何かが、空気の中に溶けている。
悪意。あるいは、監視。
呼吸が浅くなる。
ここもまた、別種の魔窟だ。
【古参の門番の視線】
フロアの奥。窓際の席。
そこに、その女は座っている。
勤続の長いベテラン。役職はない。だが――
この場所の“ルール”を握っている。
誰も逆らわない。
いや、逆らえない。
席に戻ろうとした、そのとき。
背中に、刺すような視線が触れた。
「……あら。会議、もう終わったの?」
柔らかい声。だが温度はない。
「効率がいいのは結構だけど。
周りの空気も、少しは読んだ方がいいんじゃない?」
挨拶ではない。
確認でもない。
これは――牽制だ。
じわじわと削るための、一撃目。
【毒霧のトラップ:ローカルルール】
このフロアには、公式の規定とは別のルールがある。
誰も明文化しない。
だが、全員が従っている。
コピー機を使えば、予備を横に置く。
お茶は新人が用意する。
帰る前には、あの女に一声かける。
些細なことだ。
だが無視すれば、終わる。
「協調性がない」
その一言が、毒のように広がる。
気づいたときには、誰も協力しない。
情報も来ない。声もかからない。
孤立。
この会社において、それは死と同義だ。
【攻略者のデバッグ】
私は立ち止まらなかった。
席には戻らず、そのまま奥へ歩く。
逃げない。
発生源を叩く。
「――先ほどの“空気”についてですが」
女のデスクの前で、足を止める。
「どの業務プロセス、あるいは規定に抵触する可能性がありますか。
改善のため、具体的に教えていただけると助かります」
一瞬、沈黙。
「……はあ?
そんなの、自分で考えれば分かるでしょ」
目が細くなる。
「理屈じゃないのよ」
想定通りだ。
霧が濃くなる。
だが、問題ない。
「“理屈ではない”ということは、業務効率や利益とは無関係、個人的な感覚の範囲と認識します」
言葉を重ねる。止めない。
「であれば、私は公式の業務フローを優先します。
もし、生産性に影響が出るデータがあれば、提示をお願いします」
逃げ道は与えない。
「それまでは、このやり方を維持します」
【毒の相殺】
沈黙。
周囲の空気が、わずかに揺れる。
聞いていた連中がいる。
全員、気づいている。
――今、何が起きているのか。
女は何も言わない。
言えない。
「……勝手にすれば。可愛げのないこと」
舌打ち。
視線が外れる。
それで終わりだった。
効いたわけじゃない。
ただ、通じないと理解された。
それだけで十分だ。
【リザルト:情報の透明化】
席に戻る。
やるべきタスクを並べる。
優先順位を決める。
ここでは、善意も悪意も意味を持たない。
すべてノイズだ。
必要なのは、最短距離で進むことだけ。
第四層、突破。
だが。
帰り際、デスクに一枚のメモが置かれていた。
『本日19時より、緊急親睦会。全員参加のこと(強制ではありません)』
――来たか。
次の階層が、口を開けている。
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