表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
97/118

第96話 信用で回る研究都市

 視察団が発電所を後にした頃には、鬼怒川の山々が金色に染まりはじめていた。

 続いて案内されたのは、渓谷沿いに建つ老舗旅館「翠霞閣すいかかく」。

 ライトブルーHDと正式提携を結んだ“研究者滞在協力宿”の一つだ。


 玄関をくぐると、檜の香りが漂い、静かな琴の音が迎えてくれる。

 だが、ただのその設備はただの老舗旅館ではなかった。

 フロント内部にはモニターが並び、宿泊者のチェックイン情報がリアルタイムで更新されている。


「こちらが、研究者・政府関係者向けの専用宿泊システムです」


 案内役の芽衣が、手首に巻いたブレスレット型デバイスを示した。


「皆様にお渡ししているバンドで、宿泊から食事、交通、売店の利用まで全てキャッシュレス決済が可能です。支払い情報はライトブルーHDの経理システムに送信され、利用内容に応じて自動決済されます」


「……つまり、すべて“会社持ち”ということですか?」


 経産省の担当官が驚きの声を漏らす。


「はい。ですが、同時に“完全トレース”されます。

 システムを使う場合、どこで何を使ったかについてはすべてが記録されます」


《補足:会計データは三重監査体制。

 経理・監査法人・AIが同時確認するため、不正使用は理論上不可能です》


 あやかの声が廊下に響いた。


「……なるほど」


 文科省の局長が頷く。


「太っ腹であっても、完全無欠の透明会計か。――恐れ入りました」


「不正防止のため、AIが“意図的な浪費”も検知しますが、ご自分のカード等で決済されたものまでは関知しませんのでご安心下さい」


 芽衣が笑みを添える。


「たとえば、三食連続でフルコースを頼んだり、

 “会議中”と申告して温泉に入っていた場合は、

 あやかが“注意メッセージ”を出してくれたりもするでしょうね」


《例:「休息は大切ですが、請求対象の範囲を超えています」》


 その実演に、視察団の一部が笑い、また一部は背筋を伸ばした。


 旅館の最上階。

 そこには「研究者専用ワーキングラウンジ」と銘打たれた一室がある。

 温泉街を一望するガラス張りの空間。

 大型スクリーンとデータ端末が整い、

 まるで学会のプレゼンルームとリゾートを融合させたようだった。


「滞在中、研究者はこのラウンジを自由に使えます」

 芽衣の説明に、大学教授たちは再び息を呑んだ。


「論文執筆支援AIも常駐しています。

 データをアップロードすれば、セキュアな環境で統計解析・図表生成・文法チェックまで全自動で行えます。もちろん、権利は研究者本人に帰属します」


「……まるで夢のような環境だな」


 教授の一人が呟いた。


「大学より快適かもしれん」


「全てが記録されるといっても、研究なら事実上、“好き放題できる”わけで何も困らないな」


 経産省の課長補佐が小さく笑う。


「完璧なシステムですね」


「はい。――“信頼される自由”をどう使うかは、研究者次第です」


 芽衣は穏やかに答えた。


 その言葉に、文科省局長はしばし黙し、やがてゆっくりと頷いた。


「……なるほど。

 南野会長が言っていた“新しい研究文化”というのは、こういうことか。

 資金の使い方も、学問の透明性とつながっているわけですね」


「ええ。結衣さんの言葉を借りるなら――“研究費の一円一円にも魂を通わせる”です」


 室内が一瞬、静まり返った。

 それは単なる運営システムの説明ではなかった。

 このプロジェクトが掲げる理念――“誠実さを資本とする学問”の形を、

 誰もがようやく理解し始めていた。


 その後、宿の女将が笑顔でお茶を運んできた。


「皆さま、どうぞごゆっくり。ここは“温泉”でございますからね」


 柔らかな言葉に、視察団の緊張が少しほぐれる。

 窓の外では、湯けむりが春風に揺れていた。


「……温泉、か」


 文科省の若手官僚が呟いた。


「――本当に、国の未来が湧いているみたいだ」


 その言葉に、芽衣は小さく笑みを返した。


「そうなれば、きっと会長も喜びますよ」


 鬼怒川の湯けむりが、夕陽を受けて黄金色に染まる。

 その下では、AIと人、官と民、学問と観光――

 すべてがひとつの循環を描きはじめていた。


 ――それは、ただの再開発ではない。

 未来そのものを、温泉の湯気で包み込むような革命の風景だった。


***


 ――六月一日午前九時。

 文部科学省ホームページのトップに、公募情報が掲載された。


「次世代エネルギー百プロジェクト公募要領」

主催:ライトブルーHD 後援:文部科学省

対象分野:地熱・ORC・低温熱変換・廃熱回収・AI熱解析・熱工学材料・地域熱循環設計

採択予定数:100件


 公開から一時間で、アクセス数は十五万を突破。

 全国の大学・研究機関に激震が走った。


 ――東北地方の国立大学。


 化学システム工学研究室では、学生たちがモニター前に集まっていた。


「……来たぞ、“鬼怒川公募”!」

「マジで!? もう出たのか!?」

「提出期限は……三週間!?」


 教授はメガネを外し、手に持った資料を見つめる。


「まるでお祭りだな……。

 でも、これに通れば、うちの研究が世界の表舞台に出るかもしれん。

 十億あれば、三年間は実証試験ができる」


「先生、応募しますよね!?」


「ああ、もちろんだ。――みんな手伝ってくれ!」


 研究室が一気に沸き立つ。

 机の上には試作品のORCミニタービン、ノートPC、実験ログ。

 学生たちの手が同時に動き出した。


 ――関西の私立理工大学。


 熱流体工学研究室の大学院生・相馬は、疲れ切った表情でモニターを睨んでいた。


「……提出書類、要件が結構あるなぁ。

 “社会実装パートナーの明示”“AI支援活用計画”“倫理性・透明性の担保”……。

 研究だけじゃなく、将来的な経営のことまで考えておかないといけないのか」


 隣で教授が苦笑する。


「つまり、“起業”も視野に入れておけってことだよ」


「うちみたいな小規模ラボでも通りますかね?」


「――小規模でも内容で他に負けてはいないだろうよ」


 相馬は深呼吸をした。

 手元の図面には、ORCタービンの仮想モデル。

 教授と学生が徹夜で描いた機構。



 ――都内の名門国立大学・エネルギー材料学研究室。


 教授の机の上には、研究費残高を示すグラフが無情に点滅していた。

 講師たちが苦い顔をする。


「……科研費が減って、企業からの共同研究も頭打ち。

 ここで落ちたら、再来年まで研究止まりかねん」


「ここに賭けるしかない、というわけですね」

「ええ。ライトブルHDさまさまですね。

 官も民も巻き込んで、こんな規模のプロジェクトを立ち上げるなんて」


 教授は小さく笑った。


「狂ってる。だが、実に正しい狂気だ」


 一方その頃、文科省の研究振興局。

 臨時設置された「次世代エネルギー百プロジェクト事務局」の電話が鳴りやまない。


「はい、応募様式はダウンロードサイトに――」

「ええ、問い合わせはそちらのメールからお願いします――」


 若手職員たちは悲鳴に近い声を上げていた。

 アクセス過多でサーバーが一時ダウン。

 SNSでは「鬼怒川1000億」「学術界の戦国時代」「#女帝様審査会」がトレンド入りしていた。


 そして――ライトブルーHD本社。

 結衣は静かな会議室で報告を受けていた。

 芽衣と野間、そしてあやかが同席している。


《応募件数、初日で118件。

 想定通りです。分野分布は以下の通り――

 熱工学32件、AI解析28件、材料工学22件、ORC関連26件、地域熱循環10件。》


「ほぼ事前調査どおりの数ね」


 結衣が頷く。


「120〜130研究室が国内限界。


 そのうち100を採る。――つまり、“真面目に申請すればほとんど落ちない”」


「でも、応募側はそんなこと知らないんですよね」


 芽衣が苦笑する。


「SNSじゃ“倍率十倍”とか“天上人の公募”とか言われてて……。

 みんな死ぬ気で申請書を書いてると思います」


「それでいいのよ」


 結衣の声は穏やかだが、芯があった。


「本気で書いた人しか、未来は掴めない。

 評価はあやかが一次で解析、私は最後に“熱量”を見る」


《了解。応募データ、感情パラメータと実効性指標を組み合わせてスコア化します。

 形式的な作文は自動排除しておきます》


「感情パラメータ?」


 野間が眉を上げる。


《はい。“どれだけ未来を信じて書いているか”。

 言葉の揺らぎ、言い回し、行間を解析して可視化します。》


「なるほど……。

 人間が書いた“夢”を、AIが読んで選ぶ。

 ずいぶん時代が進みましたね」


 結衣は微笑んだ。


「どれだけ完璧な数値でも、“心の熱”がなければ意味がない。

 ――だって、実際に物事を動かすのは、人の熱なんだから」


 あやかのディスプレイに、次々と応募要旨が流れていく。

 どの文面にも、夢と焦りと希望が詰まっていた。


「地域熱を子供たちの理科教育へ」

「有機溶媒の極低温安定化」

「廃湯熱をAI制御で再回収する新型循環系」


 芽衣は黙ってその一覧を眺めた。

 ――誰もが、何かを変えたがっている。

 それが痛いほど伝わってくる。


「結衣さん」

「なに?」

「……百件も採れるんですか? 本当に」


「採るよ。

 “落とすための審査”なんて、するつもりはないの。

 拾い上げて、育てる。それがこのプロジェクトの意味だから」


 その言葉に、会議室の空気が変わった。

 湯けむりのように、静かで、けれど確かに温かい熱が満ちていく。


 ――外では、全国の研究室が徹夜で応募書類を書いている。

 AIが、官僚が、民間が、すべての境界を越えて走り出した。


 鬼怒川の蒸気は、もう誰にも止められなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ