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第95話 実験施設の全貌

 ――鬼怒川の春。


 観光シーズンを迎えた温泉街は、例年よりもずっと静かだった。

 だが、その平穏の裏――地下では、すでに“未来”が形を成しつつあった。


 芽衣は安全帽を被り、仮設通路を進む。

 蒸気の匂いを含んだ風が頬をかすめ、ヘルメットのライトが照らす先には、

 鋼鉄の配管群が網のように走っていた。


「――ここが一次系のメイン導管です。地表には一切出しません」

 説明するのは東都リアルティの主任技師。

 現場管理タグには「REALTY-04」と刻まれている。

「すごい……これ全部、地下に?」

「ええ。地熱井から発生した蒸気も熱水も、すべて地中ルートで循環させます。

 景観を壊さず、温泉街の上を“自然のまま”残す。――南野会長の肝いりです」


 芽衣は感心しながらも、ヘルメットの通信機に手を当てた。


「野間さん、一次導管の確認終わりました。今から配管ルートのマッピング確認に入ります」


『了解。こちらも第二タービン棟の基礎施工を確認した、予定より三日早い。

 リアルティチーム、もう工期を一か月縮める気満々だよ』


「うわぁ……また無茶してる……」


 芽衣が苦笑する。


『無茶だと思ったけど、資材が届いてるんだよなぁ。結衣さんが“春までに景観再整備を終えたい”って言ってるのもあって調達が早い早い。

 桜の季節には、地上は完全に観光再開させるって』


「――ほんとに、どこまで完璧主義なんですかね?」


 思わず笑いが漏れる。


 足元では、工事用ロボットが静かに配管を敷設していた。

 細長いアームが蛇のように地中を掘り進み、センサーが地下水脈や温泉層を避けながら、

 熱交換パイプをミリ単位で設置していく。


《作業精度、許容誤差0.3ミリ以内。

 地盤変動リスク、推定0.02%。

 作業効率、目標比122%》


 ヘッドセット越しに、あやかの報告が響く。


「ありがとう、あやかちゃん。現場チームにも伝えて」


《了解です。東都リアルティ施工班に共有しました》


 数時間後。

 仮設事務所に戻ると、野間がモニタに映された巨大な図面を前に腕を組んでいた。

 背後のホワイトボードには、鮮やかな赤と青のラインが複雑に交錯している。


「おかえり、芽衣。こっちはもう“地下経路”が完成してるよ」

「うわ、これ……本当に全部?」

「全部だ。結衣さんの指示で“見える場所に煙突は出さないように”ってさ」


「……わかります。あの人、景観を本気で守ろうとしてる」


「そうだな。表向きは“観光と共存する発電所”。

 でも実際には、日本最大級の実験施設になるわけだしな。

 文科省も“鬼怒川モデル”に正式に補助金を検討中らしいぞ」


 野間が図面を畳み、タブレットを開いた。

 そこには結衣からの直筆メッセージが表示されている。


「――この町を、“学問が息づく温泉郷”にする」


 短い一文だった。

 だが、その言葉に宿る決意の重さに、芽衣の胸が熱くなる。


 夕刻。

 結衣はライトブルーHDの役員会に出席していた。

 スクリーンには、鬼怒川の現場映像がリアルタイムで映し出されている。

 地下の導管群が橙色の照明で浮かび上がり、まるで巨大な光の血管のようだった。


《進捗報告:全体工期、当初予定より41日短縮見込み。

 主要導管群、7割完成。環境影響評価、問題は確認されていません》


「順調ね」


 結衣は静かに笑みを浮かべた。


「文科省との共同枠はどうなりそうです?」


 真壁が尋ねる。


「来月にも“公募前説明会”を開くよ。

 研究者が現地を見て、“ここで研究したい”と思えるように雰囲気を整えなきゃいけない。宿泊施設もすでに旅館組合が協力体制をとってくれていて、宿泊費はすべて当社負担――研究者達がここでの滞在時に財布を気にする必要はないようにするつもり」


「相変わらず太っ腹ですね」


「いいえ、これは必要な投資なんだよ。

 この発電所は“エネルギー実験都市”の試金石。

 ここから産業ベースに移行するプロジェクトが育つなら、千億でも安い」


 会議室に沈黙が落ちた。

 誰も、彼女の言葉を軽く受け取れなかった。


《補足:建設現場では、文科省および大学関係者による事前視察の準備中です。

 初回視察予定日は来週木曜》


「芽衣ちゃんと野間君を案内役にして。

 あの二人なら、研究者相手でも対応できるでしょう」


「了解しました」


 結衣は視線を鬼怒川の映像に戻した。

 地下に眠る光の配管が、ゆっくりと呼吸するように熱を伝えていく。

 その上を流れる川面には、春の桜が映り込み――まるで、

 人と自然と科学が一つに溶け合っているようだった。


「――あとは、咲くのを待つだけね」


 結衣は小さく呟き、目を閉じた。

 湯けむりの向こう、百の火種が確かに燃えている。

 その熱が地の底をめぐり、いつか未来を照らす炎へと変わる――。


***


 ―― 一か月後


 新緑の山肌を縫うように走る遊歩道。その奥、立入制限区域の先に巨大なゲートがそびえ立つ。

 門柱に刻まれた文字は、「LIGHT BLUE ENERGY RESEARCH BASE - KINUGAWA」。


 その前に、黒塗りの車列がゆっくりと停まった。

 文部科学省・研究振興局、経済産業省・資源エネルギー庁、内閣府の関係者。

 そして、数名の大学教授と新聞社の科学部記者。

 彼らは招待状の文面にあった「非公開視察会」という言葉に、まだ半信半疑の面持ちだった。


 ゲートが静かに開く。

 案内役として現れたのは、東都リアルティの野間と芽衣だった。


「本日はお越しいただき、ありがとうございます。

 この先に、“鬼怒川カスケード地熱発電所”の中枢部――そして共同研究棟がございます」


 野間の言葉に、一同が小さくざわめく。

 すぐ後ろでは、あやかの声が携帯端末から響いた。


《安全確認完了。視察ルートに沿って案内を開始します。》


 最初のトンネルを抜けた瞬間、視察団は息を呑んだ。

 そこには、自然の景観を損なわずに組み込まれた巨大な発電ユニット群が広がっていた。

 地表に見えるのは、温泉街と同化するような低層の建物だけ。

 だが、その地下には、タービンに繋がる無数の配管が光の神経のように走っていた。


「……煙突が、ない?」

 経産省の職員が呟いた。


「地表の見える部分には一切出していません」


 野間が応じる。


「地熱の蒸気は地下導管で循環しています。排気も熱交換後に完全凝縮。

 温泉街からの景観には極力影響がないように配慮しています」


「景観保全率は数値にすると99.4%。温泉利用者の満足度試験も実施済みです」


 芽衣が補足する。

 文科省の担当官が苦笑した。


「……ここまでやると、まるでSFですね」


「もうここは現実に存在している“実験施設”ですよ」


 芽衣の声は静かだが、確かな熱を帯びていた。


 続いて案内されたのは、共同研究棟。

 ガラス張りの吹き抜けには、まだ未使用のラボ区画がずらりと並んでいた。

 無人のワークベンチ、冷却装置、そしてあやかのAI端末が各ブースに設置されている。


「この棟は、採択プロジェクト用の研究拠点になります」


 芽衣が説明する。


「まだ公募は始まっていませんが、採択された研究室はこの施設を無償で利用できます。また、分析AI〈あやか〉によるサポート、論文化支援、宿泊支援もすべて込みです」


 その言葉に、同行していた大学教授たちが互いに顔を見合わせた。

 まるで信じられないという表情だった。


「無償……? 本当に、ここを……ラボとして使わせていただけるんですか?」


「条件を満たせば、です」


 芽衣は微笑む。


「ただし、“机上の理論”ではなく、“現場で動かす必要がある研究”に限ります。

 地熱、ORC、廃熱利用、材料工学、AIモデリングの実証。

 分野は問いません」


「……夢のようだ」


 ある教授が思わず漏らす。


「こういう施設を、私たちはずっと待ち望んでいた」


 通路の先、展望デッキに出ると、渓谷の向こうに巨大なドームが見えた。

 ドームの下には、銀色の配管群と小型タービンのユニット群。

 まるで未来都市の心臓のように、静かに光を放っている。


「これが、カスケード型の心臓部――三段階熱回収タービンです」


 野間が説明する。


「一次は高温蒸気、二次は中温ORC、三次は低温廃湯回収。

 余熱も逃さず、熱回収を行います」


 文科省の局長が感嘆の声を漏らした。


「……現時点での最新型ですね、各部がユニット化されているのは

 これらを各部毎に取り換えて実証可能ということですか?」


「そうですね、ここはあくまで実験施設なので研究が行いやすいように調整しています」


 芽衣が即答する。


「私たちは、学術の力を借りてこの最新設備をさらにもう一段階、二段階と先に進めてほしいのです。だからこそ、この施設をアカデミアに開くんです」


 その言葉に、誰もが黙った。

 渓谷を渡る風が、静かに吹き抜ける。


 見学の最後、応接棟で行われた簡単な懇談会。

 文科省の担当官がカップを手にしながら、ぽつりと呟いた。


「……南野会長は、本気で“研究を加速させるつもり”なんですね」


 芽衣は微笑んだ。


「そうですね。“国と一緒に”です」


 そのやりとりを聞いていた大学教授たちは、互いに小さく頷き合っていた。

 まだ公募も始まっていない。

 けれど、誰もが心のどこかで確信していた。


 ――自分たちは、必ずここへ戻ってくる。


 鬼怒川の山々に夕陽が沈む。

 地下の配管を伝って、地熱の蒸気がゆるやかに脈打つ。

 まるで未来そのものが、この地の底で呼吸しているかのようだった。

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