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第94話 走り出す計画

 ――ライトブルーHD本社。


 フロアに、静かな電子音が響いていた。

 結衣のデスク前に設置された大型ホロスクリーンには、日本地図が浮かび上がっている。

 青い光点が次々と点滅し、各地の大学と研究機関の位置を示していた。


《データ収集完了しました。全国百二十三の候補研究室を検出。

 テーマ分類:地熱エネルギー利用二十四件、低温熱変換十四件、材料・流体系五十六件、

 その他“熱効率最適化”を掲げる研究グループ二十九件です》


 あやかの声が穏やかに響く。

 スクリーン上では、大学名や研究代表者の名前が光の点として現れては消えていく。


「……数が結構多いね」


 結衣は唇に指をあて、静かに呟いた。


《はい。ですが、芽が出るのはせいぜい一割前後と推定されます。

 現時点で実験系のインフラが整い、かつ外部資金導入に柔軟な対応が可能な研究室は四十二件。

 これらを“フェーズゼロ”として重点精査します》


「お願い。文科省にもこのリストを共有して構わないからね。

 正式な申請ルートは後で作るとして、“構想段階の共有”という形にして」


《了解しました。倫理規定と安全保障輸出管理に抵触する項目を除外し、共有用データを生成します》


 結衣は頷き、デスクに置かれたマグカップを手に取った。

 冷めかけたコーヒーの香りが、夜の静寂をほんの少し温める。


「……ねえ、あやか。

 この中で、もし直近の三年で本当に芽が出るとしたら――どの分野だと思う?」


《確率論的には、“有機ランキンサイクル(ORC)ユニット化”が最有力です。

 複合熱源からのエネルギー回収率が理論上最大で二五%改善。

 加えて、装置の小型化が可能。》


「つまり、温泉地以外にも置ける。工場でも、研究所でも、災害拠点でも……船舶なんかもいいかもね」


《その通りです。ただし課題は溶媒の安定性。既存の媒体では低温域での粘度上昇が問題になります。》


 結衣はスクリーンをスワイプし、研究室リストの一つを拡大した。

 地方国立大学の化学システム工学研究室。

 そこには、オリジナルの有機溶媒を用いた“二段膨張タービン”の試作画像があった。


「……ここが核になりそうかな?」


《ですが、この研究室は研究費不足で、研究員の半分辞めています。

 設備更新も二年前から止まったままのようです》


「なら、少し積極的に拾い上げましょう。資金をつけて、試作まで見たい。

 プロトタイプを作る段階で、こちらのエンジニアも入れてもいいよ」


《承知しました。契約形態は“共同研究候補”として登録しますか?》


「ええ。まだ正式には進めないで“共同研究準備”までで止めておいて」


 あやかが短く返答する。


《了解しました。……補足ですが、結衣さんが以前から非常勤講師を引き受けている京大の受入れ教官が、以前経産省の分科会に参加しています。省庁間ルートを通せば、連携が加速するのではないですか?》


「そうね、考えてみましょう」


 結衣は椅子の背にもたれ、静かに笑った。

 彼女の目には、すでに数年後の光景が見えているようだった。


「――たぶん、最初のプロトタイプは“あり得ない速度”で出来上がるかもね」


《想定開発期間、通常で三年。

 このチーム体制であれば、一年未満で初号機が出せる可能性があります》


「いいわね。スピードこそが民間資本の強み。

 そして、その“速度”を見た研究者がまた興味を持ってくれそう」


 スクリーン上に、光る小さなユニットの設計イメージが浮かんだ。

 手のひらサイズの透明シリンダーに、有機溶媒がきらめく。

 蒸気の流れは虹色に揺らぎ、熱を電気に変えていく。


 それはまだ、物語の中の装置にすぎない。

 けれども――あやかがそれを“実現可能”と判断した瞬間、

 未来は現実に一歩近づいた。


《文科省への共有データ、アップロード完了しました。

 “構想段階技術精査リスト ver1.3”――正式登録》


「ありがとう、あやか。

 これで、“未来を歩く”ための地図が整ったわ」


 結衣は窓の外を見上げた。

 春の夜気がガラス越しに揺れ、街の灯りが星のように瞬いている。

 あの光のどこかで、まだ知られぬ研究者たちが夢を描いている。

 ――その夢を、現実にするための舵を取るのが、自分の役目だ。


 結衣は小さく微笑み、スクリーンを閉じた。

 その瞳の奥には、確かに“百の火種”が映っていた。


***


 ――ライトブルーHD本社・特別会議室。


 大型スクリーンに映し出されたのは、鬼怒川渓谷の航空写真だった。

 緑深い山間に流れる川、その脇に描かれた設計図面が、未来を象徴するように光っていた。


「これが、“鬼怒川カスケード地熱発電所”の初期案です」


 真壁の言葉に、室内の空気が引き締まる。

 結衣は腕を組み、画面を見つめた。

 その瞳の奥には、すでに完成図を思い描いているような確信があった。


「地熱発電の常識を変える、ですか?」


 芽衣が小さく呟く。


「ええ」


 結衣は頷く。


「カスケード方式――高温域、中温域、低温域を段階的に利用して、効率を極限まで高める。その中核に最新素材の有機溶媒を使った“ORCユニット”を組み込むつもり。各段階から余熱を余さず回収するシステム。つまり、無駄を出さないエネルギーの循環を作り出す」


《補足します》


 あやかの声が響く。


《設計案は3段階構成。一次は従来型蒸気タービン、二次は中温ORC、三次は廃湯利用の低温ORCです。全体の熱効率は従来比で32%向上。同規模発電所としては国内最高値を想定しています》


 会議室がどよめく。


「そして――この発電プラントを、全国の採択プロジェクトの共同研究施設として開放します」


 結衣の声が静かに、しかし力強く響いた。


 芽衣は思わず息を呑む。


「……つまり、選ばれた研究室はここを自由に使って研究できる?」


「そう。発電所の敷地内に“アカデミア棟”を設ける。

 各研究室には専用ラボとコワーキングスペースを用意しましょう。

 使用料は無料。施設の設備とデータは全開放。――これが、私たちが用意する“実験の箱庭”よ」


《計画補足:建設スケジュールは最短12か月。

 複数企業による24時間施工を予定。

 資材と重機はすでに押さえ済み。建設予算総額、約580億円。》


「一年で、ですか……」


 芽衣が小さく呟いた。


「ええ。お金で買える時間ってあるよね」


 その言葉に、役員たちが頷いた。

 “あり得ない速度”を当然のように口にする――それが、南野結衣という人間のやり方だった。


 翌週。

 結衣は文科省とのオンライン会議に臨んでいた。

 スクリーン越しに映る省庁の担当官たちは、前回よりも明らかに緊張している。


『……つまり、この発電所を“共同研究基盤”として開放するということですか?』


「はい。プロジェクト採択者は、鬼怒川の研究施設を無償利用できます。

 研究に集中してもらえればそれで構いません。

 宿泊についても、地元の協力を得る予定です」


『……どこまで準備が進んでいるんです?』


「もう、地盤調査は完了済みです。

 施工契約も内定済みです。――1年後にはテスト稼働していると思ってください」


『1年で!? そんな……』


「そこはできるようにしますので安心して下さい」


 結衣は淡々と答えた。

 その言葉には、官僚を沈黙させるだけの説得力があった。


『……そして、この施設の研究成果は……?』


「共同研究の論文化の際には、弊社AI〈あやか〉がフルサポート可能です。

 統計処理、図表作成、言語校正――すべて必要に応じて対応します。

 つまり、研究者は“考える”ことだけに集中してもらってかまいません」


 文科省側の担当官たちが顔を見合わせた。


『……まるで夢のような環境ですね。』


「――現実にしますよ」


 同じ頃、鬼怒川温泉の旅館組合では、異例の会合が開かれていた。


「研究者の団体さんが宿に定期宿泊するって話、本当ですか?」


「交通費も全部負担? ライトブルーさん太っ腹だねえ」


 笑い声の中に、町全体の高揚が混じっていた。

 観光地としての鬼怒川が、再び“人を呼ぶ町”へと変わろうとしていた。


 結衣は自席に戻り、静かにあやかへ声をかけた。


「……これで、舞台は整ったわね」


《はい。アカデミア、行政、地域産業――すべてのループが“鬼怒川”で結ばれました。この場所が、新しい研究文化の発信地になります。》


「百の芽のうち十も花が咲けばいい方かもしれない。

 でも――」


《咲いた花は、永遠に残しましょう》


 結衣は微笑み、スクリーンに浮かぶ建設予定地の夜景を見つめた。

 そこには、未来の灯が揺らめいていた。


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