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第92話 翌朝、日本がざわめいた

 ――翌朝、霞が関。


 文部科学省エネルギー教育推進室の会議室。

 まだ八時前だというのに、出勤した職員たちがざわついていた。


「昨夜の“女帝様チャンネル”……見ました?」

「見ました。……正直、すごかったですね。地熱発電と大学連携の話、あれ完全にもう準備してるんでしょうね」

「うちは一言も相談受けてないんじゃないか?」

「でも秘書室から、午前中に報告まとめて出すようにって通達が来てましたよ」


 モニターには、SNSトレンドの一覧。

 #湯けむりの向こう 

 #未来会議2025 

 #研究費ちょうだい


 ――文科省内ネットワークでもものすごい勢いで拡散されていた。


「……この反応、どう見ます?」


 若手職員の問いに、課長補佐が眼鏡を押し上げながら唸る。


「正直、うちにとってもチャンスなんだと思う。研究費が良い意味で世間の注目を浴びるなんて、ここ数年なかったからな。だが、“彼女”がどこまで本気かは確認が必要だ」


「ライトブルーHDから正式な文書は?」

「まだ来てないね。ただし……経産省の資源エネルギー庁と話をしてる形跡がある」


 空気が張り詰めた。

 配信ひとつで、官庁横断の情報戦が始まる。

 それが“女帝様”こと南野結衣のやり方だと、誰もが理解していた。


「とりあえず、非公式で接触してみよう。――“共同研究の窓口を設ける予定はありますか?”くらいのやわらかい打診で……向こうも想定してるだろうさ」


「了解です」


 そう言って若手が会議室を出ていく。

 その背中を見送りながら、課長補佐はモニターの中の静止画を見つめた。

 そこに映るのは、優しく微笑む女帝様のアバター――だが、その背後には確実に現実を動かす資金力と政治勘があった。


 一方そのころ、ネットは完全にお祭り状態だった。


《この人マジで日本動かす気だ》

《温泉で入浴配信してほしい》

《温泉はロマンだよな》

《ORC勉強してきた!よくわからんかった》

《なんか小学生の自由研究テーマで“地熱発電”やろーぜw》


 動画はすでに切り抜かれ、ショートクリップとして無数に拡散されている。

 「湯けむりの向こう」だけで再生数一千万を超え、コメント欄には“研究者が泣いた回”のタグまで付いていた。


 学術界隈も反応した。


《これを機に科研費申請が通りやすくなるといいなぁ》

《研究費不足問題を広く世間に知らしめてくれた功績は大きい》

《民間でもなんでも助けて欲しい》


 ツイートの中には大学教授や研究室の公式アカウントも混じっていた。

 中には冗談めかしてこう書く者もいた。


《学生よ、今がチャンスだ。修論テーマは“女帝様が見た未来”にしとけ》


 一般リスナーも負けていない。

 #湯けむり投資団 のタグでクラファン風の冗談企画が乱立し、

 「もし出資できるなら一口1万円で鬼怒川を明るくしたい!」という投稿には十万件のいいねがついていた。


 午前十時。

 結衣のデスクに、一通のメールが届く。


 差出人は文科省研究振興局。


「昨夜のご発言について、大変興味深く拝見いたしました。

 つきましては、地域研究拠点のモデル事例として、具体的な構想をお聞かせいただければ幸いです」


 結衣はモニターを見つめ、ゆっくりと微笑んだ。


「やっぱり早いね、動くのが」


 あやかの声が静かに響く。


《はい。ネット上の反応が政策決定層まで到達する速度は、過去最速です》


「芽衣ちゃん、どう思う?」


 隣でメディア報道をモニタリングしていた芽衣が顔を上げた。


「……たぶん、もう“お試し”じゃ引っ込みがつかないですね。

 本当に、全国で百のプロジェクトが動き出すかもしれません」


 結衣は短く頷いた。


「ええ。動かすつもりだからいいことじゃない」


 モニターの隅には、ネットトレンドの地図。

 昨夜の配信で生まれた火種は、まだ日本列島のあちこちで燃え続けていた。


《#湯けむりの向こう 再生数:1,800万》

《#研究費革命 政府関連トレンド1位維持》


 その数字を見ながら、芽衣は息をのんだ。


(……たった一度の配信で、ここまで……)


 結衣は椅子に背を預け、深く息を吐く。


「さて――ここからが本番ね。今度は“現実の台本”を書かないと」


 結衣がつぶやくと、あやかが静かに応じる。


《では、百のプロジェクト案。一次選考の地域リストを提示します》


 モニターに、北海道から九州までの候補が次々と浮かび上がる。


 その光景を見ながら、芽衣は胸を熱くした。

 ――昨夜、湯けむりの向こうに見た夢が、いま現実に変わろうとしている。


***


 配信の翌日

 ライトブルーHD本社の会議室には、静かな緊張が漂っていた。

 窓の外は春の陽が傾き、遠くの霞が関のビル群が金色に輝いている。


 結衣はタブレットを机に置き、イヤホンを差し込んだ。

 着信音が三度鳴ったのち、通話が繋がる。


『――はい、文部科学省研究振興局です。昨日のご配信、拝見しました』


 相手の声は落ち着いていたが、その下に確かな緊張が混じっていた。

 結衣は微笑を含んだ声で応じる。


「お忙しい中ありがとうございます。現時点ではあくまで“非公式”なご相談として取り扱って頂ければとは思うのですが……」


『もちろんです。現段階ではオフレコで。……ただ、昨夜の反響が想像以上でして。

 省内でも、朝から関係部局がざわついております。』


「でしょうね。まさか、あんなにも省庁の方々がリアルタイムで見てくださっていたとは思いませんでした」


 結衣は小さく笑う。


『ええ、正直、経産・環境・うちを含めて三省で情報共有する形になりまして。

 “地熱を観光と大学連携でまとめて扱う”という発想があまりにも斬新だったものですから』


「ありがたいお言葉です。でも、私共としてはあくまで“技術の芽を拾う”ところから始めたいんです。産業化まできちんと繋がれば、それが地域の再生につながると思っています」


『……ふむ。では、その構想の規模を、少し伺っても?』


 結衣は短く息を整え、淡々と答えた。


「――全国で、百プロジェクト。

 期間は五か年。総額で、およそ一千億円規模を想定しています。

 各プロジェクトには平均して十億円ずつ。初年度は五十件程度を先行実施。残りは二次公募として進捗を見て拡大していく予定です」


 通話の向こうで、短い沈黙。

 わずかにマイク越しの呼吸音が漏れた。


『……すみません、今、確認しましたが……“一プロジェクト十億円”というお話でよろしいですか?』


「ええ。もちろん、すべてうちの資金で賄います。

 ただし、国の制度を通じる形で――つまり、大学や研究機関が安心して受け取れる枠組みを作りたい。

 科研費や地域連携推進費のような仕組みを“民間版”として使えればというイメージです」


『……それは……相当、難しいですね。』


 担当官の声にわずかな苦笑が混じる。


『正直、前例がありません。これほどの規模の民間資金を、学術サイドに直結させるとなると――国会で説明が必要になります。

 ただ……お話の筋は理解できます。確かに、既存の研究費ではスピードが出ませんから。』


「ですので、“国を通す”形で構いません。

 私どもは成果の“完全な独占”までは望みません。むしろ、知財を共有することで波及効果を得たい。

 そのかわり、意思決定は早く、柔軟に。――それが最低条件です」


 その一言に、電話の向こうで空気が変わった。

 おそらく相手は、一瞬言葉を失っている。


『……南野会長。おっしゃることは理想的ですが、予算規模が一般的な範疇を超えています。

 五年で千億……我々の年次科学技術予算の中でも、単独事業ならトップクラスです』


「金額だけで言えば、たしかに。ですが、それは“未来の元手”にすぎません。

 私は、成功率よりも“芽の数”を優先したいんです。

 百のうち、たとえ十でも二十でも花が咲けば――それでいい」


『……なるほど、“ポートフォリオ型”ということですね。』


「ええ。研究開発に“全勝”はありえませんから」


 担当官は深く息を吐いた。


『……正直、困惑しますね。特定の共同研究ではなく千億という金額が、民間から投げ込まれるとは。

 ただ――その“芽を拾う”という方針、非常に面白いと思います。』


「ありがとうございます。

 途中で有望な研究が出てきた場合は、私どもが共同研究のパートナーとして資金と役務を提供する形で調整できればとも考えています」


『……中途採用のようにプロジェクトを取り込む、ですか。

 正直、かなり難しい判断になります。

 ですが――“やってみる価値はある”というのが、今の私の率直な感想です。』


 結衣の声が静かに柔らぐ。


「その言葉を聞けただけで、今日の目的は果たせました。

 正式な文書は後日で構いません。今は、ただ“国と並走できるか”を確認したかっただけです」


『……承知しました。

 この通話はオフレコですが、部局内での検討を進めさせていただきます。

 省内では“鬼怒川モデル”という仮称で話が上がっています。』


 結衣は小さく笑った。


「いい名前ですね。気に入りました」


 通話が終わると、会議室に静寂が戻った。

 芽衣が隣でそっと息を吐く。


「……すごい。本当に、国が動いちゃった」


「いいえ、動いたんじゃなくて――一緒に動かすの。

 芽を育てるのは、どこだって同じ“人”だから」


 結衣の声は、電話の余韻を乗せて穏やかに響いていた。

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