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第91話 百の火種

 配信開始から一時間。

 コメント欄の勢いは落ちるどころか、むしろ加速していた。

 画面を見つめる芽衣は、もはやモニターを追いきれないほどの速さに息を呑む。


《地熱発電は地域依存性が高い》

《廃湯熱回収の実証は北海道で一部進行中だね》

《温泉街インフラ転用の課題は水利権》

《いや、それより地層の安定性が問題じゃね?》


 もはや一般リスナーには理解できないほど、コメントがマニアックになっていた。

 議論が、まるでオンライン会議のように交錯している。


「先輩、これ……完全に議論始まってます……!」


 芽衣が震える声で報告すると、結衣は落ち着いた笑みを浮かべた。


「ええ。ここまでは想定の範囲内」


《分析結果:アカデミア関連ドメインからのアクセス、過去最大値。視聴者の17%が大学・研究機関所属ユーザー。

 コメント投稿速度:通常時の3.8倍。ポジティブ反応率:72%》


 あやかの機械的な報告が響く。

 まるでニュース速報を聞いているようだった。


 画面の中では、みやびが穏やかに笑いながらリスナーへ声をかける。


『皆さん、すごく詳しいですね……。このチャット欄だけで何かの記事が書けそうです』


『ほんとだよー! “温泉論2025オンライン編”とかタイトル付けたくなるね』


 ノアの明るい声が空気を和ませる。


 その瞬間、コメントの一つが注目を集めた。


《文科省環境エネルギー課ですが、本件もう少し知りたいです》


 数秒の間。

 リスナー全体が息を止めたような空気が流れた。


《え、ほんと?》

《省庁来た!?》

《ガチの人じゃん》

《認証バッジ付いてる!》

《ログ残るやつ!》

《これ生配信だぞ!?》


 結衣は画面を確認し、穏やかに頷いた。

 その様子に、芽衣の背筋がぞくりとした。

 みやびが慎重な声で尋ねる。


『……どうします? このままスルーもできますけど』


「いいえ。せっかくですから、お答えしましょう。……炎上しない範囲で」


 結衣の声は落ち着いていて、それでいてどこか楽しそうだった。


「えーと、事例として話せる範囲で言えば――たとえば“源泉からの湯冷ましや、廃湯熱を使った発電”。これはもう、皆さんご存じですよね」


《あーそれ!》

《ニュースで見た!》


 コメントが一気にざわつく。

 だが結衣は軽く笑みを保ったまま続けた。


「ただ、本格的に地熱発電を展開するとして低温域で発電機を回すことを考えています、そしてその一環で大学や研究機関の協力が不可欠。――それが今日の配信で話している“未来”の形なんです」


 その言葉に、コメントが再び沸騰した。


《研究者コラボすんの!?》

《これは匂わせ確定》

《産官学連携にするのかな》


《文科省エネルギー局:非常に興味深いです。詳細を知りたい場合はどこに問い合わせを?》


 みやびが一瞬目を丸くした。


『……まさか、配信でこんな話になるなんて』


『いやこれ、ニュースになるよ!?』


 ノアが慌てて言う。


「大丈夫。答えは簡単よ」


 結衣がやわらかく笑う。


「“現場の声を集めている最中です”――今はそれだけで十分」


《上手い》

《逃げ方がプロ》

《女帝様の外交力w》

《言葉の刃物》


 芽衣は裏でモニターを見ながら、手に汗を握った。


(ほんとに、怖いくらいのバランス感覚……!)


 あやかの声がすぐに報告を重ねる。

《トレンド更新:#女帝様 #文科省案件 が同時トップ10入り。

 コメント分析:官僚・自治体関係者の閲覧増加率+34%。炎上リスク、低水準》


「……完璧」


 芽衣は思わず呟いた。

 結衣はアバター越しに少し微笑み、リスナーへ向けて語りかける。

「――結局のところ、どんな技術も、人が動かなければ意味がないんです。

 研究者も、職人さんも、学生さんも。興味を持った人が一人でも増えれば、それが未来の始まりだと思っています」


 その声には、温かさと確信があった。


《いい言葉》

《研究やっててよかった》

《#未来の始まり》


 芽衣は、画面の光を見つめながら小さく息を吐いた。

 その光景は、まるで国全体が一つの大きな会議室になったようだった。

 アカデミア、官僚、一般リスナー――立場の違う人たちが、一つの話題で繋がっている。


(……これが、先輩の狙いなんだ)


 配信はまだ終わっていない。

 だが、この瞬間、確かに“何か”が動き始めていた。


 画面の中では、結衣が締めの挨拶をしようと息を吸う――だがその前に、ひときわ目立つコメントが流れた。


《これ、クラファンでやろうよ!》

《出資したい!》

《応援したい!》

《女帝様、資金集め配信やって!》


『えっ……出資!? みんな気が早いなぁ!』


 ノアが思わず吹き出す。

 みやびも苦笑しながら、そっと口を開いた。


『でも、すごいですよね。エネルギーの話で“お金を出したい”って反応が出るなんて、普通ありえませんよ』


 結衣は軽く笑って、視線を下に落とした。


「……人は、自分が信じられる未来には、ちゃんと投資するんです」


《信じられる未来》

《プロジェクト見たい》

《#投げ銭させろ》


 芽衣は裏で、画面を食い入るように見つめていた。

 コメント欄の勢いがまるで株価のグラフのように跳ね上がっている。

 あやかの声が冷静に報告を重ねた。


《トレンド更新。#投げ銭させろ 全国4位。

 “出資”“共同研究”などの関連ワードが合計100万件超。

 政府関係ドメインからの閲覧、現在41件を検知》


「……省庁関係、結構見てますね」


 芽衣が呟く。


《はい。文科省、環境省、経産省。いずれもリアルタイムアクセス中》


 その報告に、結衣がほんの少しだけ笑った。


「狙い通り、ね」


 画面の中では、結衣がリスナーに向かって穏やかに語りかけていた。


「皆さん、本当にありがとうございます。でも――今日は“お願い”のための配信ではありません。

 ただ、“こんな形の未来もある”という話を共有したかっただけです」


《いやもう出資したいんだって!》

《うちの大学でもやりたい!》


 ノアが笑いながら読み上げる。


『リスナーのみんな、テンション上がりすぎ~! でも、そういう前のめりな勢い、嫌いじゃないです!』


『ふふ……勢いのあるコメントって、やっぱり空気が変わりますね』


 みやびの声も穏やかだった。

 そして、コメント欄の中で一際目を引くものが流れた。


《某国立大学の者です。もし地域連携でエネルギー系の共同研究が可能なら、参加希望。学生の研究もOKですよね?》

《某新聞社です。取材希望。連絡先はDMで送ります》


 芽衣は息を呑んだ。


(……もう、みんな動き始めた……!)


 結衣は画面の向こうを見つめるように、少しだけ間を置いた。


「――いいですね。

 たぶん今日、このコメント欄のどこかで出会った人たちが、数年後に一緒に研究してたり、現場を動かしてたりするんじゃないかな」


《未来を見てる》

《まさに女帝様》

《文科省反省しろ》

《#未来会議2025》


 あやかが低い声で報告する。

《ニュースメディア複数社、即時ピックアップ。

 “女帝様、地熱発電に言及”“文科省関係者も視聴”――速報化の可能性》


「これは……報道されますね」


 みやびが穏やかに言う。


「いいの。報道されて構わない。むしろ、してほしい」


 結衣は柔らかく笑いながら、最後の言葉を選んだ。


「だって――今日、ここで話したことは、もう“始まり”なんだから」


 その瞬間、コメントが爆発した。

 ノアが両手を挙げて笑う。


『みんな! 一生懸命ツイートしてねー! たぶん明日の朝にはニュースになってるから!』


『本当に、今日のこの時間が歴史になるかもしれませんね』


 みやびの静かな言葉が、波のように広がった。


 裏方席では、芽衣が息を殺してその光景を見つめていた。

 あやかのモニターには、リアルタイムのトレンドマップが映し出されている。

 そのすべてが日本列島の上に、まるで火の粒のように点在していた。


「……見てください、あやかさん」


《はい。全国で、百を超えるキーワードが同時出現しています》


 芽衣は息を呑む。


《結衣さんの言葉通り、“百の火種”です》


 結衣がモニター越しにそれを見て、静かに目を細めた。


「……これが、最初の一歩になる」


 画面の中で“配信終了”の文字が浮かび上がる。

 だが、その瞬間、誰もが知っていた。


 ――この夜から、何かが確実に動き始めたことを。


 湯けむりの向こう、百の小さな火が、ゆっくりと未来を照らしていく。

 そしてその中心に、ひとりのVTuber――女帝様が、静かに微笑んでいた。

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