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第90話 夜の配信、静かに始まる波紋

 夜十時、画面が淡く点灯した。

 黒地に金の文字で「#女帝様と鬼怒川の未来」。その下に、三人のアバターが並んでいる。


『みなさんこんばんは~! 今日はコラボですよー、“女帝様チャンネル”!』

 ノアの明るい声がオープニングBGMとともに響いた。


『今日はね、ちょっと特別な配信なんですよ。いつもの雑談……のはずが、ちょっと真面目な話もしちゃうかも?』


 みやびの穏やかな声が続く。柔らかく包み込むようなトーンだ。


「うん、たまにはね」


 結衣――“女帝様”が軽く笑った。アバターの表情も、その微笑を反映してやわらかく動く。


 裏では、芽衣が複数のモニターを見つめていた。コメント欄が次々と流れていく。


《きた!》

《#女帝様prpr》

《みやびちゃん声かわいい》


 いつもの盛り上がりと期待するファンの空気が心地よい。


「……緊張する……」


 芽衣は小さく呟き、隣で控えるAIの声に耳を傾けた。


《コメント速度、通常の1.4倍です》


 あやかの冷静な報告が、まるでスタジオスタッフの声のように響く。

 配信画面の中では、結衣がリスナーに向けて穏やかに語り始めていた。


「鬼怒川といえば温泉街、というイメージが強いですよね。私も小さい頃に行ったことがあるんですけど……あの湯けむりの雰囲気、すごく好きで」


《行ったことある!》

《温泉最高!》

《温泉オフコラボしないの?》


 コメントが流れる。反応は順調だ。


『今ちょっとずつ元気を取り戻してるよね。観光客も増えて、地元の人たちの笑顔が戻ってきてる感じ』


 みやびの言葉に、結衣が頷く。


「ええ。だけど――私は思うの。観光だけじゃない、新しい“生き返らせ方”があるんじゃないかって」


 その瞬間、コメント欄の流れが一瞬だけ遅くなった。


《なにそれ?》

《またなんかするの?》

《お金の匂いがしますね》


『おっ、これは“女帝様モード”きましたね!』

 ノアがわざとおどけた調子で笑う。


 結衣は少し照れたように肩をすくめ、続けた。


「いやいや、そんな大げさなことじゃなくてね。単純に、“お湯”の使い方を少し工夫するだけでも未来が変わるかもしれないって話」


《#お湯の二度使いキター!》

《待ってました!》

《例の話かな?》


 芽衣は画面を見ながら、心の中で小さくガッツポーズをした。

 タグが瞬時に広がっていく。準備してきた仕掛けが、確かに機能している。


「たとえば、温泉で一度使ったお湯って、まだまだ熱を持ってるんです。そのまま捨てちゃうのはもったいない。そこからもう一度、エネルギーを取り出せるんですよ」


 結衣の穏やかな口調に、コメント欄が再びざわついた。


《再利用?》

《温泉で電気?》

《地熱発電ってこと?》


『そうそう! 地熱発電って言うとすごく難しく聞こえるけど、要するに“やかんの湯気で風車回す”みたいなことだよね?』


 ノアが勢いよく補足する。


「そうだね。しかも、これって一カ所だけじゃなくて、温泉の各段階で無駄なく拾えたりするんだ。湯元、配管、排湯――どこにでもエネルギーが眠ってるわけ」


 みやびが小さく感嘆の声を漏らす。


『……それって、温泉街全体がひとつの発電所みたいになるってこと?』


「そう。理想的にいけばそうなるね」


 結衣はやわらかく微笑んだ。


《え、すご》

《これ実現したらヤバくない?》

《そんなことできるの?》

《さすが女帝様》

《いつからファンタジーになった?》


 あやかの声が芽衣のヘッドセットに響く。


《コメント解析:技術的興味を持つ層が急増。専門的質問を投げているユーザーが複数》


 芽衣が画面を拡大すると――確かに、見覚えのある学術系リスナーのIDがコメント欄に紛れ込んでいた。


《熱交換効率はどの程度想定?》

《ORCなら低温発電化可能だけど》

《これ、共同研究案件?》


「っ……! せ、先輩! ガチの研究者さん混ざってますよ!」


 芽衣が慌てて声を上げると、結衣は苦笑しながら頷いた。


「うん、見えてる。――いいのよ、それで」


 配信の“表側”では、何事もないように笑顔での会話が続いていた。


『あ、コメント見てると“なんかガチな人いません?”って声多いね!』


 ノアが茶化すように言う。


『ふふ……そういう人が見てくれてるってことは、それだけ面白いテーマなんですよ』


 みやびが後を拾いやわらかくフォローする。

 コメントが再び加速した。


《これ文科省案件では?》

《研究費ほしい》

《女帝様また仕掛けようとしてない?》


 芽衣はモニターの光の中で、無数の文字を追いながら、指先が震えるのを感じていた。

 ――これは本当に、先輩が世間を動かそうとしている。


 静かな夜の配信。その裏側で、確かに“波紋”が広がりはじめていた。


 配信が始まって三十分。

 リスナー数は増え続け、コメント欄は絶え間なく流れ続けていた。


『――というわけで、温泉街全体をひとつのエネルギー循環にできたら面白いな、って話でした』


 結衣が軽やかにまとめると、コメントが一斉に反応した。


《いいね!》

《夢があるなぁ》

《エコと観光の融合》

《地熱発電マニア歓喜》


 みやびが画面を見ながら、ふっと微笑む。


『リスナーさん、意外と詳しい方多いですね。さっきから“熱交換器の効率”とか“ORCタービン”とか……専門用語がちらほらあって』


『ねえねえ、“これうちの大学でやってた”ってコメントもあるんだけど!』


 ノアが元気に笑いながら読み上げた。


《うちの研究室でも低温地熱やってるけど、設備がボロくて全然データ取れないw》

《研究費カットされて困ってる研究者です(泣)》

《この手の装置、1セット組むのに数千万かかるんだよなぁ》


 芽衣はモニターのコメントを追いながら、胸がざわめいた。


(食いついた……!)


 結衣のアバターが静かに頷く。


「そう……やっぱり、現場の方々は苦労されてるんですね」


《そりゃ金がない》

《国がなかなか金出してくれない》

《科研費落ちた》

《自腹で研究やってる人だっているぞ》


 コメントが一気に同調の波を作り始める。

 ノアが「やば、愚痴タイム始まった!」と笑い、みやびは小さく息を漏らした。


『……でも、こういう“声”って貴重ですよね。配信で聞けるなんて』


「本当にそうだね」


 結衣の声は穏やかだったが、その奥に確かな熱を含んでいた。


「……もし、仮にだけど――研究費が、もう少し自由に使えるようになったら、どうします?」


 その瞬間、コメントの流れが一瞬止まった。

 そして、じわりと火がつくように再び動き出す。


《自由に使える研究費!?》

《それ聞いちゃう!?》

《夢のある質問きた》

《やりたいこと山ほどあるよ!》

《機材更新!学生雇用!データ解析!》

《海外旅行……げふんげふん、海外の学会行きたい》


「たとえばね、地域のエネルギー開発とか、地熱とか関連事業、そういった類の研究を本気で続けられるだけの資金があったら……皆さんはどう動きます?」


《すぐ研究テーマ立ち上げる!》

《解雇しちゃった人呼び戻せないかなぁ、無理かなぁ》

《現実は研究費申請も書類地獄なんだよw》


 みやびが静かに笑った。


『……やっぱり、どこの現場も似たような悩みを抱えてるんですね』


『ねー。てか、今の質問、女帝様ズルい! 希望持たせるタイプのやつじゃん!』


 ノアが茶化すと、コメント欄が一斉に爆笑の嵐になった。


《ノアちゃん正論w》

《フラグ立ったぞ》

《まさか出資する気では?》

《いやまさか》


 結衣は小さく肩を竦めて笑った。


「どうでしょうね。ただ――“面白いことをしてる人”には、私は結構力を貸すつもりではあるよ」


 その一言で、コメントがまた爆発した。


《!?!?!?》

《スポンサーきた!?》

《いやこれ本気のやつじゃね》

《文科省、聞いてる?早く俺らに謝って!》


 芽衣は思わず息を呑んだ。


(これ……完全に仕掛けてる……!)


 あやかの声が静かに響く。


《トレンド分析:ハッシュタグ〈#研究費くれ〉が7位に浮上。省庁・大学関係アカウントの閲覧履歴を検知しています》


「っ……すご……もう動いてる……!」


 芽衣が小さく呟く。


《はい。文科省公式サブアカウントが視聴中と確認されました》


 裏方席の空気が、一瞬で張り詰めた。

 画面の中では、結衣が穏やかに笑っている。


「もちろん、まだ何かを約束するわけじゃありません。でも、もし――“新しい形の共同研究”ができるなら。

 研究者の皆さんが胸を張って“やりたいことがある”と言える環境を、一緒に作っていけたらいいな、って思うんです」


 その言葉は、柔らかく放たれたのに、まるで地面に杭を打ち込むように重かった。


《なんか涙出てきた》

《スポンサー待ってます、全裸待機します》

《文科省働け》


 芽衣はコメントの流れを見ながら、鳥肌が立つのを感じた。

 配信の向こうで、何万人もの人が同じ想いを共有している。

 そして、誰もまだ知らない――“100プロジェクト・5か年・10億円ずつ”という壮大な構想が、その笑顔の裏に隠されていることを。


 画面の向こうで、結衣は少しだけ遠くを見るような目をした。


「――湯けむりの向こうには、まだ、眠っている力があるはずなんです」


 その静かな声に、コメント欄が一斉に息をのんだ。


《#湯けむりの向こう》

《新章はじまった》


 配信の波は、静かに、しかし確実に社会を巻き込み始めていた。

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