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第87話 画面の向こうとつながる声

 配信部屋を一通り見せ終えたあと、結衣は椅子に腰を下ろし、手元のマイクを指先で軽く叩いた。

 その仕草には、長年の習慣と職業的な余裕がにじんでいる。


「……せっかくだし、ちょっとだけ紹介しようかな」


 穏やかな声音に、芽衣の胸が大きく跳ねた。まるで心臓を直に掴まれたかのように鼓動が速まる。


「しょ、紹介……?」


 恐る恐る問い返す声は裏返りそうになる。

 結衣は軽く笑みを含ませ、いつもの落ち着いた先輩らしい調子で言葉を継いだ。


「ええ。仕事仲間でもあるし、普段から配信で一緒にいる子たち。これからのお仕事でどうせ一緒になるわけだし、今、ちょうど通話にいるから」


 さらりと告げながら、結衣はDiscordを立ち上げた。

 画面に並んだアイコンが次々と点灯し、通話音が響く。


『あ、結衣さん! おかえり~!』


 スピーカーから飛び出したのは、ノア特有の明るく弾むハイテンションボイス。

 続けて、もう一人。落ち着いた響きの声が重なる。


『あれ、なんか後ろに気配する……誰かいる?』


 みやびの声音はちょっとだけ低めで理知的。芽衣の背筋に緊張が走る。


「うん。紹介するね。……同僚の平川芽衣さん。今回のプロジェクトで一緒に働くことになったの」


 結衣がカメラを軽く操作すると、画面の端に芽衣の姿が映し出される。

 突然スポットライトを浴びたような感覚に、芽衣は慌てて深く頭を下げた。


「は、初めましてっ! ひ、平川芽衣と申します!」


 一瞬の沈黙――その後、ノアが声を弾ませた。


『えっ……もしかして、あの芽衣ちゃん!?』


「え……あの?」


『だって結衣さん、裏でよく話してたもん! “芽衣ちゃん、すっごく頑張り屋で可愛い後輩なんだよ”って!』


「せ、先輩っ!?」


 顔が一瞬で真っ赤に染まる。耳まで熱を帯び、胸の奥がくすぐったくてどうにかなりそうだ。

 さらに追い打ちをかけるように、みやびが穏やかに笑いながら言葉を添える。


『うんうん。“同期の人と良く組んでるけど、後輩の芽衣ちゃんは細やかな気遣いができるから安心できる”とか、“資料まとめの速度が神”とか、めちゃくちゃ褒めてたよ』


「ちょっ……! 二人とも、余計なこと言わないで!」


 結衣が慌てて制止するが、すでに耳まで真っ赤だ。その普段見せない狼狽ぶりに、芽衣の胸は逆にいっぱいになってしまう。


 尊敬する先輩が――裏でそんなふうに自分を語ってくれていた。

 その事実が胸を強く揺さぶり、感情のダムが決壊しかけていた。


「わ、わたし……本当に……尊死します……!」


『あははっ! やっぱり“芽衣ちゃん=推し”って図式成立してるんじゃない』


 ノアが楽しそうに笑い転げる。


『ねえ結衣さん、隠しても無駄だよ。日頃から芽衣ちゃんの話してたの、こっちはバッチリ覚えてるから』


 みやびの冷静な追撃に、結衣は机に額をつけて項垂れた。


「うぅ……こういう形でバラされるのは想定外だよ……」


 結衣は机に額をつけて項垂れる。その姿があまりに普段と違って、芽衣は逆に胸がいっぱいになった。


「せ、先輩……そんな……そんなふうに思ってくださってたなんて……」


 声が震え、今にも涙がこぼれそうになる。


『あーもう、可愛い後輩ちゃんじゃん! これから一緒にお仕事できるなんて最高だね!』


 ノアがノリよく声を上げる。


『芽衣ちゃん、よろしくね。こっちも安心したよ。結衣さんがどれだけ大事に思ってるか、十分伝わってきたから』


 みやびが温かくまとめるように言葉を添えた。

 芽衣は胸いっぱいの思いを抱えながら、画面に深々と頭を下げた。


「こ、こちらこそ……どうぞよろしくお願いします!」


 尊敬、感激、そして恥ずかしさが一度に押し寄せ、胸が張り裂けそうになる。

 推しの裏側を知り、推しの仲間から歓迎され、そして推し本人が真っ赤になっている。


(ああ、もう、ほんとに……生きててよかった……!)


 芽衣は心の中で叫びながら、今にも尊死しそうな勢いで画面を見つめ続けていた。


 通話はいつの間にか自然と三人娘の笑い声で満ちていた。

 芽衣はまだ頬を真っ赤に染めたまま、机に両手を置いて必死に呼吸を整えている。尊死の波が何度も押し寄せて胸をかき乱すが、画面の向こうでみやびとノアが柔らかな笑みを浮かべているのを見て、ようやく心臓の高鳴りが少しずつ落ち着いてきた。


『それにしても、芽衣ちゃんかあ。結衣さんから話は聞いてたけど、こうしてお話できるのは不思議な感じだけどなんだか嬉しいね』


 みやびが興味津々に声を弾ませる。


「わ、私のこと……そんなに話してたんですか……?」


 芽衣は思わず声を震わせた。自分の存在がどれほど語られていたのか、想像するだけで胸が熱くなる。


『うん。だって“後輩としてすごく信頼してる子”って、よく口にしてたよ? 仕事のことも、プライベートのことも』


「せ、先輩っ!?」


 芽衣は反射的に結衣を振り返る。結衣はバツの悪そうな笑みを浮かべ、気まずそうに視線を逸らした。


「……ちょっと、みやび」


 小さな抗議の声に、みやびが「ごめんごめん」と笑いながら肩をすくめる。


『でもね、そういう話を聞いてたから、私たちも“どんな人なんだろう”ってずっと気になってたんだよ』


 その言葉に、芽衣の胸は再び熱を帯びる。

 ノアも頷き、少しうれしそうな声を響かせた。


『うん。結衣さんが自分から後輩の話をするのって珍しいから。だから、今日こうして紹介してもらえたのは私たちにとっても特別』


 その言葉に、芽衣の胸がまた熱くなる。


(私……そんなふうに、先輩の話題に……!)


 だが気恥ずかしさの波が押し寄せてきたので、芽衣は慌てて話題を切り替えた。


「あの、そういえば……みやびさんとノアさんは、結衣先輩が“女帝様”だって知ってからどんな感じだったんですか?」


 それを聞いた二人は、同時に吹き出す。


『それがさぁ、最初はね……ほんとに“えええーーっ!”って感じだったよね』

『うん。だって、ずっと一緒に配信してたのに、生身の結衣さんと会ったのって実はそんなに前じゃなかったからね』


 ノアがさらに声を弾ませる。


『でも、だからこそ私たち、すぐ腹を括ったんだよね。“もうこれは秘密を共有する仲間だ”って』


 みやびも頷き、少し真剣な声になる。


『うん。私たちが知っているのは“女帝様”だけじゃなくて、“結衣さん”だから。だから、結衣さんが信じてくれたことに応えたいって思ってるよ』


 その言葉に芽衣の胸がじんと熱を帯びる。

 経緯は違えど、三人は同じ「秘密を知る仲間」なのだと、自然に実感できた。


「……なんだか、不思議です。私も先輩から直接聞いたときは、しばらく頭が真っ白で……でも、こうしてお三方と一緒に話していると、すごく安心します」


 芽衣の言葉に、ノアがいたずらっぽく笑みを浮かべる。


『でしょでしょ! 秘密の女子会って感じ!』


『秘密っていうか……これ以上ない信頼の証って感じかな』


 みやびが柔らかく補う。


 結衣は苦笑を浮かべながら、そっとマグカップを手にした。


「……こうやって仲良くしてくれるのは、正直ありがたいかな。特に私も、みやびちゃんもノアちゃんも、それぞれ守らなきゃいけないものがあるから」


 その言葉に、三人は声を揃えるように頷いた。

 互いを守る意識が、画面越しに確かな結束を生んでいた。


 やがて、話題は自然と結衣の自宅のことに移っていく。


『ていうかさ、芽衣ちゃんも思ったでしょ? 結衣さんの部屋、すごすぎない?』

「も、もう……最初に来たときから圧倒されっぱなしで……!」


 芽衣が慌てて言うと、みやびがわざと大げさに声を張り上げた。


『最上階の4LDK!お風呂なんて私の部屋ぐらい広いんだから!』


 その茶化しに、芽衣も思わず笑ってしまう。


「わかります……。窓から見える夜景、映画みたいで……! でも、先輩が普通にコーヒー淹れてるの見ると、なんだか不思議で」


「あれ? な、なんか私だけ笑いものにされてない?」


 結衣がむっと口を尖らせると、三人は一斉に笑い声をあげた。


 そうして気づけば、完全に女子会の空気が出来上がっていた。

 仕事の話も少しは混じるが、それ以上に――「女帝様の自宅のここがすごい」「結衣さんって普段はこんな人なんだ」なんて軽口が飛び交い、笑いが絶えることはなかった。


 芽衣はふと、胸の奥で温かなものが広がっていくのを感じた。

 秘密を知ってしまったことで距離が遠くなるのではなく、むしろこうして一層近づける。

 その事実がたまらなく嬉しかった。


(ああ……この時間が、ずっと続けばいいのに……)


 尊死寸前の胸の高鳴りを抱えながら、芽衣は画面越しの仲間たちと笑い合い続けた。


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