第88話 社会実験?
笑い声がしばらく続いたあと、結衣はマグカップをテーブルに置き、少しだけ真面目な顔をした。
「……ねえ、ちょっと真面目な話をしていいかな」
みやびとノアが同時に「おっ」と身を乗り出す。芽衣も慌てて背筋を伸ばした。
空気は緊張感を帯びながらも、女子会の柔らかさをそのまま残している。
「鬼怒川のこと?」
みやびが穏やかに尋ねる。
「そう。もう観光地としての盛り上がりは十分に伝わってるよね。温泉街は“女帝様の拠点”ってことで人が増えて、聖地巡礼もSNSで広まってる」
結衣は軽く肩をすくめる。
「でも、それだけじゃない。本当に大事なのは――発電方式の部分」
芽衣の胸が跳ねた。彼女だけが知っている“大学を巻き込む”話が頭をよぎる。
みやびとノアは顔を見合わせ、やはり、という表情を浮かべた。
『だよね。配信でわざわざ“地熱がどうの”っていう裏話まではしないけど、私たちも最初から聞いてるからさ』
ノアが小さく笑う。
『結衣さん、本気で発電に力入れてるんでしょ? データセンター建てるだけじゃなくて』
みやびとノアの指摘に、結衣は頷いた。
「そう、地熱で本格的にエネルギーインフラを作るつもり。うちが元々強い分野ってわけじゃないから……大学や研究機関を巻き込むつもり」
その一言に、みやびの目が丸くなった。
『大学? え、具体的にどういうこと?』
芽衣は思わず息をのむ。自分が聞いた内容が、今ここで明かされようとしている。
「工学部やエネルギー工学の研究室に資金を投下して、最終的には共同研究の形で進めようと思ってるんだ。カスケード型の地熱発電とか、有機ランキンサイクルとか、まだ研究段階の技術を小型化して実地に落とし込むためにね」
『カスケード……?』
「段階的に温度差を拾って発電する方式。簡単に言えば“無駄を極限まで減らすシステム”ね」
説明を聞きながら、ノアが「へええ」と感嘆の声を上げる。
みやびは眉をひそめて真剣な表情だ。
『でも、それってかなりセンシティブなんじゃ? 研究段階の技術を拾い上げていきなり事業化なんて、普通はやらないんじゃない?』
「そう。だからこそ大学にまとまった資金を落とすつもり。科研費や国の枠組みを通すことで基礎部分を支えるとして――芽が出たテーマについては、ライトブルーHDが“共同研究契約”を結んで事業化まで面倒を見たいと思うの」
結衣の言葉には、投資家としての現実的な目算を織り込んでいる響きがあった。
「あとは継続的に資金を入れられれば研究室の雇用も守れるし、人材流出を食い止められると思う、起業してうちのHDに組み込んでもいいかもね」
軽い言葉の裏には人材育成と産業化を同時に見据えた周到さが垣間見え、ノアと芽衣は思わず息を呑んだ。
「……ただし問題はそこから。もし“巨額の資金”を民間が投じたとしても、成果を優先的に持っていく、という構図が広まったら、必ず反発が出る」
芽衣は大きく頷いた。
「確かに……『学問の自由を食い物にしてる』とか言われそうですね」
「そう。でも私たちとしては、研究費をただ“寄付”するつもりはないんだよね。身銭を切る以上、その恩恵を受ける権利ないとおかしい。けれど、独占的に見えれば社会からの理解は得られない。……だからどう両立させるかが一番難しいんだよね」
投資家としての冷静な目と、社会から突きつけられるであろう視線。その狭間で、結衣は慎重に言葉を選んでいた。彼女の声に宿る硬さは、未来を描く者が抱える責任の重さそのものだった。
芽衣は大きく頷いた。
「確かに……世間がどう反応するかちょっと怖いです」
結衣は微笑んで芽衣を見やった。
「そう。その反応を確かめたいの。──配信でね」
部屋の空気がふっと変わった。
女子会の延長線上にある未来の話。それを軽やかに告げたのだ。
『え、配信で?』
みやびの声が一段高くなる。
「大っぴらに“エネルギー開発します!”って言うわけじゃなくてね。ただ、“温泉街の未来を考えるなら、観光だけじゃなくて電力とかも大事だよね”くらいのニュアンスで触れてみたいの。反応を見れば、どのくらい世間が受け入れるか測れると思う」
みやびが腕を組んで考え込む。
『なるほど……。観光PRの延長に聞こえる形なら炎上はしにくいし、でも敏感な人は“あ、これ本気だな”って気づく。』
「そう。タグが伸びるか、否定的なコメントがどれくらい出るか。それを材料にして、次に文科省へ持っていく。――“世間はこれだけ関心を持っています。だからこそ大学を巻き込むべきです”って」
芽衣は息を呑んだ。
(すごい……これ、ただの配信PRじゃなくて……社会実験なんだ)
自分が尊敬してやまない先輩が、こうして配信と政策の間に橋をかけようとしている。その発想力と実行力に、胸が震えた。
『結衣さんらしいなあ……。ファン巻き込んで世論形成するっていうか』
ノアがにやりと笑う。
『私たちの出番ってことだね』
「うん。私ひとりでやるより、みんなと一緒の方が温度感もリアルに伝わると思う」
芽衣は思わず声を上げた。
「わ、私も……裏方でもいいので、お手伝いさせてください!」
三人が同時にこちらを見る。ノアが楽しそうに笑った。
『あー! 芽衣ちゃん完全に裏方デビューだ!』
みやびも落ち着いた声で言葉を添える。
『でも、本当に大事な役割だよ。コメント欄拾ったり、空気の流れを分析したり。現場感覚を持った芽衣ちゃんが加われば心強い』
結衣は柔らかく微笑み、短く頷いた。
「ありがとう。芽衣ちゃん。君がいてくれるのは、私にとっても安心だよ」
その言葉に、芽衣は胸が熱くなり、再び尊死寸前になった。
(……ほんとに、夢みたい。私が、先輩と一緒に、配信で未来を作るなんて……!)
豪華すぎるメンバーの中で、自分も一役を担える。
その現実が、芽衣にとっては何よりも誇らしかった。
真剣な話題になったとはいえ、部屋の空気は女子会の延長だった。
結衣がメモアプリを立ち上げると、ノアが早速身を乗り出す。
「じゃあ! まずは配信タイトル考えようよ! “女帝様、鬼怒川を救う!”とか?」
「いや、それだと大げさすぎるかな」
結衣が苦笑する。
みやびが静かに首を傾げた。
「……温泉街を舞台にした企画っぽく見せた方が自然かも、“未来の温泉街プロジェクト”とか」
「なるほど。観光地としての文脈を強調した方が入り口は広がるよね」
結衣が頷く。
「でしょ! んでタグは“#女帝様と鬼怒川の未来”とかどう? ハッシュタグ祭りにして!」
ノアが無邪気に両手を広げる。
芽衣はその勢いに押されつつ、思わず笑ってしまった。
「すごくノリがいいですね……」
「ノアはいつもこうだから」
みやびが小さく笑みを浮かべる。
結衣はタブレットを指で叩きながら、改めて言葉を選んだ。
「大事なのは“観光”を前面に出すことね。ただ、それだけだと薄いから……ほんの少し、“電力の話”を混ぜて……」
「でも、“地熱発電”ってワード自体は誰でも聞いたことありますよね」
芽衣が恐る恐る口を挟む。
「そうね。だからこそ、そこから一歩踏み込むの。――温泉に使うための一次冷却以外にも、湯元から廃棄される熱水や、利用後に捨てられる排湯からエネルギーを取り出すとか。段階ごとに無駄なく拾う仕組み。これって意外と知られてないでしょ?」
「なるほど……。確かに私も初めて聞いた時びっくりしました」
芽衣は大きく頷いた。
「さらに、ORC――有機ランキンサイクル。マニアックだけど、絶対リスナーに“そういう技術大好き!”って層がいる。そこに軽くフックさせるのはどうかな?」
「おおお! マニアック枠釣りに行くんだ!」
ノアが大げさに手を叩いた。
「うん。彼らが“この配信、ただの温泉観光PRじゃなくてガチだ”って思ってくれたら成功」
結衣はさらりと言い切る。
みやびは少し考えるように顎に手を当てた。
「……でも、あまり専門用語を連発すると引いちゃう人もいるよね。説明は比喩を混ぜて、“お風呂のお湯を使い終わっても、まだ十分温かいから温室を温められる”みたいに言い換えるとか」
「それいい! わかりやすい!」
芽衣が目を輝かせた。
「でしょ?」
みやびは控えめに微笑む。
「じゃあ配信では、結衣さんが“普通に温泉に入ってもまだ余るエネルギーがあるんですよ”って言って、私が“えー! じゃあそのお湯で温泉卵できるじゃん!”ってツッコむ!」
ノアが勢いよく拳を突き上げる。
思わず結衣も笑いをこぼした。
「それはちょっと極端だけど……まあ、そういう親しみやすさは必要ね」
「いやいや、ノアさんっ!」
芽衣は慌てて手を振った。
「でも、わかりやすいのは確かに大事で……。私も社内で初めて説明受けたとき、“お湯の二度使い”って表現が一番腑に落ちました」
「ふふ、芽衣ちゃんまでそう言うなら採用だね」
結衣はペンを走らせ、メモに大きく「お湯の二度使い」と書き込んだ。
再び笑いが広がる。
だがその中に、確かに未来を形にしていく真剣さが混じっていた。
(……すごい。裏で、こんなふうに未来を決めていく話し合いがされているなんて……!)
芽衣は胸を押さえ、尊死寸前の心臓を必死に落ち着かせながら後で野間に自慢しようと誓っていた。




